くじら浜
 夢使い







2002   2002年12月31日(火)

今日の想いは未来への希望
がんばれ自分。







くじらのこころ   2002年12月28日(土)

なきゃ 来ぅじ
わきゃ 来ぅじ

くじら浜にゃ ぬぅもねん

ちゅうぬ うらん
ぬぅも うらん
くがしゃんとぅくに 波ん たち

あまん こころも
アダン こころも
くじら浜も

かなしゃぬぅ
かなしゃぬぅ
おっしぇきらん



あなたちが来ても
わたしたちが来ても

くじら浜には 何もない

人もいない
何もいない
でもこんなとこにも波は立ち

やどかりの想いも
アダンの想いも
くじら浜も

愛しくて
哀しくて
たまらない







始まりのシーン 「満月の十三祭り」   2002年12月21日(土)

波の音がした。

本堂の後ろのドアがギィィと開くと、
観客は一斉に振り向いた。

真っ暗だった本堂に、開いたドアから光が射した。
その光はステージ正面のやや右上に、
ドアの形の縦長の長方形を作った。

そしてその人がドアから出てきた瞬間、
正面の長方形に、その人の大きな影が映し出された。


ドアから射す光を背に受けて
その人は
ゆっくりとゆっくりと
チヂンを叩きながら
マイクを通さない生の唄声を本堂に響かせながら
ゆっくりとゆっくりと
ステージに歩み寄る。

歩み寄る毎に正面の大きな影は
またゆっくりとゆっくりと
小さくなっていき
ゆっくりとゆっくりと
等身大になってゆく。


やがてステージに到着し
ドアが閉じ
チヂンの音が止み
そして大きな拍手が起きて、

お祭りは始まった。







ジョンソン・リーという指揮者   2002年12月15日(日)

生のオーケストラを初めて観に行った。
「指揮者」というのは物凄い監督であり演技者だと思った。
大勢の演奏者達を自分ひとりで指揮監督し、同時に自身の指揮の様子を、演技として観客に観せなければならない。それも後ろを向いたまま、背中で。
顔と表情が見えない分、想像力は膨れ、その振り下ろす腕と背中の鼓動に、確かにドラマと流れる汗を見た。
次はどんなストーリーが展開されるのかと、固唾を呑んでその指揮者の背中にみんなの視線が集中する。
予想通りの展開にほっとしたり、以外な展開に期待を裏切られたり。
そして、指揮者はあるとき脇役にもなる。目の前に堂々と主張していた背中が、ふと気がつくとまったく気配を消しているのだ。そして除々に除々にまたその存在感を現してくる・・
あぁ、なんということだ。オーケストラとは指揮者のひとり舞台ではないか。
指揮者とは、紛れもなく主役であり監督であり演出家であり名演技者だと実感した。
(イシ松も凛々しかったです。)








雪    2002年12月11日(水)

一瞬のひらめきは
永遠の想いであり
あのとき刻まれた
確かな跡は
それは欲するより強く
遥かはるか深く
握りしめた手のひらの
汗に
それは強く深く
どこまでも白く
優しく
強く







地中で   2002年12月08日(日)

12月は木々がざわめき始める

わずかに残った枝の葉を揺らせ
ゆるりゆるりと落ちた葉は
アスファルトで踊りながら
それはさも楽しげで

葉のすっかりなくなった枝たちは
ニシンカゼを受けてざわざわと
また揺れ始める

産まれたばかりの冬の声を聴きながら
枝も葉もざわざわざわと


そして
地に這う根っこたちは
その中で春を育んでいる






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