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冷たい風の中で 2006年11月26日(日)
僕は道を歩いていて、教会の前で立ち止まり、中へ入って牧師さんにたずねた。「みにくい、汚い」というのはどいうことですか?牧師さんは答えた「それは自分で見つけ給え」僕は教会を出て煙草を取り出し火をつけて、冷たい風が吹き荒れる道を西の方へ向かって歩き出した。道ばたに寝ている浮浪者に出会った。僕は浮浪者に向かって質問した。人格とは一体なんですか?浮浪者は答えた「この道を真っすぐ歩いていったら分かるよ」僕は理由が分からぬまま道を歩いていった。ずっとずっと歩いていた。だいぶ遠くまで歩いた。何もないじゃないかと思った。ただそれだけだった。 終わり。
1985.10.25(木) AM 0:50 K・H
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 20年前の大学ノート(←なんて今言うのかな・・)を開いてみた。
その頃いちばん仲の良かったKと僕は、互いに「題目」を与え合い、その「題目」に沿った詩や文章や物語をひとつのノートに書き合うという文学少年モドキの遊びをしていた。 彼の書くものはどれも斜に構えたりアマノジャクなものが多く、まったくもってくだらいなものばかりだった。まあ、僕の書いたものも今読んでみるとK以上に幼稚でアホらしくて、とても人様にみせられるようなものではありません。
でもKのも僕のも20年後の今読みかえしてみると、所々にドキッとする言葉使いや表現を使っていることに気付いた。例えばKの書いた「トンネルの中と赤い靴の女の子」の冒頭の書出し↓ 僕はあわてていた。周りのみんなは靴ひもを完全にしめ終わっていた。僕はあわてるあまりに手がふるえて全然靴ひもが結べなかった。みんな次々と駆け出して行き僕ひとり廊下に残された。僕は恐かった。 という始まりのシーン。あるいは、冬という名の常識 とか、デリケートなかたつむり とかの表現。 Kは実は才能あふれるおもろい奴だったのかもしれないね(笑)
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