なんと、フィリピンで元日本兵が生き残っていたという ニュース、ビックリしました。 小野田さん以来、約30年経ったでしょうか。 今日、元上官だった方がテレビに出演されてましたが 年齢が90歳だそうです。戦争当事は30歳くらい。 しかし、喋りから感じる元日本兵の凛としたもの、 小野田さんがフィリピンで生存している事がわかって 「武装解除命令が無ければ出れない」という事で 元上官が行って、命令を伝え、出てきたときの顔と 敬礼する姿がハッキリ目に焼きついていますが、 あの時の小野田さんが当事52歳だったそうで 終戦から約30年が経った頃だったはずです。 当事フィリピンに行ってた兵士の約8割は 空襲など戦闘で死んでいったそうで、かろうじて 生き残った者も、その後ジャングルでの移動で 多くが餓死したりマラリアなどで病死していったそうです。 そんな状況を生き抜いてきた人たち、やはり人間としての 強さが違いますね。 何とか日本の地を踏める様にと願っています。
昨日、妻木晩田遺跡に所用あって行ってきました。 あそこの景色は最高で、特に綺麗なのは夕日。 ところが夕方5時には閉まっちゃうんですね。 先日そのことを所長さんに話したら、「そうなんですよ。 サマータイムみたいな時間を云々・・」。 「チョット待ってよ、サマーは日没が遅いんだけど」と 思ったけど言葉にしては言いませんでした。 期間限定で良いのです。毎年ボクシングジムのところから 秋に錦海に沈む夕日がとても好きでよく見とれているのですが、 あの時期に2ヶ月ほどで良いから7時くらいまで開けててくれたら と思いますね。 昨日傑作だったのは、私が用事を済ませて、土産物を見ている時、 そこのおっちゃんが「はや米子市のがこんけぇーなぁ」そしたら そこの女性が「なにがあるだぁ〜」と、おっちゃん「なんだか 戸板市に出せって事だと思うけど売れぇせんうぇ〜」 そのあとも悪口が次々と出るので土産物を物色しながら背中で 聞いてました。 まだ「米子のやつら」といった感じなんですね。 まあ仕方ありません。 傑作なのはそのあと市の課長さんが到着して私がいるのに気付き ヤア!って挨拶交わしたのですが、その時のおっちゃんの顔、 壁に耳あり障子に目あり、何故かそこに利幸の背中ありですよ。 私も気をつけよっと。
第2回目のスポーツチャンバラ体験講習会を 開催いたします。 日時は6月12日(日)、午前10時から正午まで。 場所は前回と同じ米子市営武道館の3階柔道場です。 内容は前回同様の乱戦・合戦に加えて一対一の勝ち抜き戦 もできればと思っています。 子供に大人が負けたり、お父さんがお母さんに負けたりで 面白いですよ。 7月からは会として会員を集って週一回の活動も開始いたします。 勿論、未経験者の体験講習会も計画しますので、皆さん是非 やってみてください。楽しいですよ。 出来るだけ会員にもなってね。
今日、琴浦町で開催されたスポーツチャンバラの インストラクター講習会に参加して参りました。 はじめ10時から、我がシュガーナックルでの 第2回健康ボクシング大会と称するマスボクシング (試合やスパーリングのように相手に当てない)の 試合の開会式に、県ボクシング連盟副会長として出席し、 3試合ほど見たあと、大急ぎで琴浦町へ向かいました。 マスボクシングのほうも最後まで見たかったのですが しかたなし。これもなかなか面白い取り組みで、 ボクシングジムに来る人のほとんどは健康程度や ダイエットが目的。選手志向は少人数。選手コースは 目標がハッキリしてるので良いのですが、その他は 自己目標しかないので、余程でない限り達成感や 満足感がハッキリしないんです。そこでマスボクシングの 試合をやろうとなって昨年からやり始めました。 私らにしては物足りない感じですが、そこは目的にそった 受け皿として良いのでは。 さて、スポチャンのインストラクター講習会。 何と言っても難しいのが審判ですね。 剣術やボクシングのように相手に与えるダメージが どうのこうのといった感覚を捨てなければダメ。 フェンシングに似た外国のスポーツくらいの割り切りというか 頭の切り替えが必要です。 今日の講習会には本部の理事の先生が来て下さって教えて 頂きました。また、世界チャンピオンや日本チャンピオンも 来て実技を試合形式で見せてくれました。 ヤッパリ早いわぁ〜。 でも雰囲気はつかめましたよ。何となく。 どういう風に稽古すれば良いのかは、だいたい想像がつきました。 居合の稽古とキチンとスイッチを切り替えて、それぞれに 悪い影響を与えないような頭と感覚の切り替えが必要ですが、 両方をする事によって実践力は上がるでしょうね。
キングダム・オブ・ヘブンという映画を観に行ってきました。 その名の通り、聖地エルサレムをキリスト教徒、イスラム教徒の 双方が奪い合う歴史。そのなかでの物語です。 十字軍については昔、教科書にも出てきましたが、 その戦いの残虐さは習いませんでした。 これも日本らしいところでしょうか。 それはさておき、主人公はフランスで鍛冶屋をしていた若者。 ある日突然、十字軍の騎士が現れて「私はお前の父親だ」からはじまって ついには後を継いで騎士となり、エルサレムの攻防戦を繰り広げ、 最後は和議に出てキリスト教徒を守りエルサレムを後にするという映画。 主人公バリアン役は、オーランド・ブルーム。 ロード・オブ・ザ・リングでエルフ族の弓の名手レゴラス、あの役を やっていた男前ですよ。 あの時は銀髪を束ねた妖精の雰囲気を漂わせていたのに、今回は 髭をはやした黒髪の渋い騎士。 カッコよかったですよ。 映画の内容はよくある戦闘場面がほとんどですが、「騎士道」というものが 表現されている映画でもありますね。 「恐れず、敵に立ち向かえ」「勇気を示せ」「死を恐れず、真実を語れ」 「弱者を守り、正義に生きよ」それらを誓いとする騎士道は 武士道によく似ていますね。 でも、厳密には違うんですよ。 これがキリスト教などの一神教同士が殺しあったり のヨーロッパ文化で育ったものと、 八百万の神と仏教と儒教を日本バージョンにしてしまった 日本文化のなかで育ったものとの違い。 また機会あれば書き込みます。
この2日間ほどストレスが溜まる様な問題に 悩まされてムシャクシャしてたので、 忙しい間をぬって合気道の稽古に行ってきました。 何だか久しぶりで体が不器用に動くのが自分でも 可笑しかったですが良い汗がかけてサッパリしました。 体というのは使ってないと動かないものですね。 私達が武道に励むのは、精神的な「道」としての 修行もあるのですが、私は安易に精神修養を口実にしては ならないと考えています。武技を一定のレベルまで上げて はじめて到達する境地や感覚というものがあり、 なかなか口では説明しにくいものがそこにはあります。 私も、まだまだ努力が足りず、頭では想像しているところへ 時々偶然のように到達するというか、まぐれの様に出来たり 出来なかったりを繰り返しています。 仏門とは違う「武の道」は「術」の習得への努力無しには 進めない、命のやり取りを超えた世界。そんな世界で得るものを 求めた道なわけです。「守・破・離」。古来から伝わる技を習得する「守」 それを極めて質的な転換が出来る域に達する「破」。 師匠を超えていく「離」。 そんな道です。 昔ある武道の先生からこう言われました。 「正義無き力は暴力。しかし、力無き正義は無力」 「命のやり取りを超えたところに本当のやさしさがある」 実践の理論なんですね。特に古武道は。
昨日、私の居合の師匠の所へ行って参りました。 師匠のもつ山の孟宗竹のたけのこが結構いいところまで 伸びたという事で、居合の切れ味を試しに行きました。 高さが1mぐらいのものから4mぐらいの長さのものを 日頃練習している刀の扱いで試し切り。 道場での稽古は、自分と同じ背丈の相手がいることを 想定しての型稽古が中心なので、実際ものを斬ってみないと ちゃんと刃筋が通って斬れる様に刀が扱えているかどうかは わかりにくいものです。 また、「ちゃんと斬る」という事は実際難しい事で、 どう言う事かというと、刀を痛めないように切り口鋭く斬るのは 技がいるという事なのです。 昔で言えば、戦った後の刀が鋸の様にガタガタの刃こぼれ刀になったり、 曲がったり折れたりという事が実践ではあるのですが、要は腕の問題。 どれだけ技を極めているかの違いが切り口や刀に現れるのです。 昨日の試し切り、ほぼほぼ上手くいきましたが、2〜3本、斬りそこなって しまいました。20本くらい斬ったでしょうか、でもまだまだ 修行がたりませんね。
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