ひげのお兄さんの日記

2006年08月28日(月) 向上心

今晩、ある若手のバーテンダーと飲みました。
若手とはいっても腕は良くて、この辺では業界で
知られた本物。
今日はお互いプライベートで肩の力を抜いて
いろいろ話をしました。
それぞれの仕事の事や趣味の話や生き方の話など。
彼の素晴らしいのは「プロ」の仕事への姿勢。
都会から数年前にこの地に帰ってきて、いろいろ
その道で目指していくうえでのジレンマもあるのですが
仕事への拘りや向上心には感心します。
ゆったりとした流れの会話で楽しい時間が過せました。



2006年08月24日(木) 人間ドック

昨日の午前中、人間ドックに行ってきました。
それでも年に一回はキッチリ診て頂いておくと
何となく安心。
でも、毎年同じ事を指摘されて、いつも同じ努力目標を
立てているような・・・・・。
とにかく酒と煙草を減らせという事、体重をもう1〜2キロ
減らせという事です。
毎度の事ながら、それでも努力はしてみなければね。



2006年08月20日(日) 今日はチャンバラ

昨日の居合に続いて今日はスポーツチャンバラ。
昨日の久しぶりの稽古で右腕がヤッパリ使い物に
なりませんでした。しかし、これはこれで
実践向きの良い練習になります。
私の居合は、古来より伝承されてきている古武道として、
流派の宗家から伝えられる居合の継承と、私なりの
古武術研究によるものの意味がそのほとんどですが、
型稽古が中心であることから練習が形骸化しやすくて、
人によっては「型」の持つ意味、「型」を稽古する意味を
はき違えたり、狭義なものに捉えたり、ひどいのになると
鋳型にはめて量産するような、舞踊と同じようなレベルの
ものになったりで、その取り組み姿勢や考え方によって
随分と違ったものになってしまいます。
私はあくまでも「武士道」の修練のひとつとしての
自身への位置づけのなかで、実践の古武道としての
居合道に拘っているので、いざという時には、武器を手にして
打ちのめすかどうかは別として、(居合では、闘わずして、つまり
刀を抜かずして勝ちを修めることを最善とする考えを
基本としています。)実生活に役立つものでなければならないと
考えていますので、やむを得ぬ勝負を想定した実践力の習得も
必要なのです。ところが、なかなか日頃の居合の稽古では
そういう質の練習が出来ません。
そこでスポチャンがいきているのです。
勿論、スポチャンのときには他の参加者にそんなプレッシャーや
練習形態を強要しているわけではなくて、
わざと打たせながら、相手の太刀筋を味わっているのですが
なかなかこれも難しいですね。
でも自分らしさが最も出てくるのが居合とチャンバラの時だと
思います。





2006年08月19日(土) 久々の稽古

久しぶりに居合の稽古に行ってきました。
約一ヶ月間ほど会議や付き合いやらでお休み
してましたが、これではいかん!と、思いっきり
気合入れて武道館に向かったのですが、
袴姿に着替えて、刀を10回ばかり振った途端に
流れる汗。
とにかく蒸し暑い空気が何とも苦しい環境下に
これでもかというぐらい汗が流れ出ました。
まあしかし、こういう事で流れる汗は気持ちが良い
汗の部類、この2ヶ月間は何とも落ち着かない
汗を流してたので久しぶりにサッパリとした
疲労感に包まれています。
今年は日程的にも3連覇を目指した試合には出られないので、
少しジックリ構えて磨きを入れたいと思っております。
これからがホントの私の居合修行です。



2006年08月18日(金) 改めて「武士道」を読む

最近、靖国問題の影響でしょうか
私の周りでは「日本人として・・・」のような
話題が多く語られます。
小学校の時から武道の道に入り、一度は休憩も
あったのですが結局また武道の世界へ戻ってきて、
一ヶ月目標4冊の読書のうち1冊はその世界の
関係の本を読んでいる私ですが、周りでの
「日本人らしさ」みたいな感覚とはやはり
ズレを感じます。
どうやら明治以降の軍国主義の解釈による「武士道」が
影響しているようで、血の気の多そうな方々が説いておられる
「武士道みたいなもの」と新渡戸稲造が書いた「武士道」や
山岡鉄舟の「武士道」とは随分とかけ離れれています。
血の気の多い方々は、もっとシッカリ勉強してから「武士道」を
語って頂きたいものです。
四季豊かな自然の繊細な変化の中で、仏教や儒学、陽明学など
と融合し、キリスト教とも根底の価値観の通ずる「武士道」の
本質をシッカリとわかった上で議論するのは面白い。
いくらでも受けて受けて立つのですが、今のところ勇ましい話
ばかりでガックリきます。



2006年08月15日(火) 靖国参拝の波紋

小泉首相が靖国神社を参拝して、
テレビはそれを中心にしての番組編成
となっています。
参拝の是非論は別として、日本人として
戦後の歩みと、今の日本人の感覚を再確認する
良い機会ではないかと思います。
よその国のように中心的な宗教に精神的土台が
無いと言われてたり、そうだからこそ道徳心の
土台が無いというような批判をたまに聞きますが、
古来からの日本には諸外国の状況とは違った
精神的土台があったという方たちもおり、
私もそう思っています。
テレビに出て議論している多くのコメンテーターは、
賛成論者、反対論者ともに私とはズレていて、
この両論者たちこそ、もっと宗教を勉強しなければ
政教分離の民主政治を語りきる事は出来ないと思います。
先ずは、理屈で考える前に感覚を取り戻す必要が
多くの日本人にあると思うのですが。



2006年08月14日(月) お盆

毎日暑い日が続いていますが、最近は
少し朝晩が涼しくなってきたような気がします。
でもヤッパリ今朝も暑いのは暑い!
朝のニュースで、昨日も海が賑わっていたと。
しかしなんですね、私が子供の頃は、お盆に
海に入ると足を引っ張られるとか言って
連れて行ってもらえませんでした。
子供ながらに自分自身もそんな気になったりして。
今でも何となくそういう感覚を持ち合わせているのですが
今頃の子供たちは違うようですね。子供というより
その親の感覚が違うのでしょう。
まあ、妖怪を観光資源にしたり金儲けの材料にする
時代ですから、本当の意味では妖怪の存在とかは
信じきっていないのが実情。
私は、オカルト的な感覚で信じる信じないという事より、
昔からの四季を通じての自然の変化や大自然の様々な
動きや、静けさ、穏やかさなど、先祖たちが感じていた
八百万の神に通じるような自然に対する感性が大切であり、
自分のルーツに対する感謝といった心の有り様は
大切にしなければと思っています。
お盆も、そういう意味で自分と自分のルーツを振り返り、
明日を考える穏やかな節目ではないでしょうか。


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