今日から県議選のスタートです。 天気は毎回良くは無い時期ですね。 深夜から雷雨で、波乱の予感がします。 今日は「マフィアの日」。1282年のこの日、 「シチリア島の晩鐘事件」というのが あったそうです。 フランス支配下だったシチリア島で、フランス兵が 土地の娘に手を出そうとした事に反発した島民が、 この日の晩の復活祭月曜日の晩鐘を合図に、フランス アンジュー王家の兵隊を虐殺。その時にの合言葉が 「フランス人に死を!これがイタリアの叫び」だったそうで、 その各単語の頭文字を並べると「マフィア」となるそうです。 時、あたかも県議選。獲った獲られた、手を付けて来た などの動きは、この時期からはあることで、 よくある話。前回までは、県議選がこの時期で、3週間遅れ の時期に市議選でしたので、県議と市議の選挙が連動している 事が多く、市議候補も一定の期待を持って県議選に協力していたはず。 ところが今回は、とっくに市議選は終わっており、 昨年の市議選での県議とのかかわりからか、うまく進んでいない 陣営もあるようです。
今日、会議の合間をぬった日曜日、 居合道の昇段審査に行ってきました。 先日、我が流派の宗家と電話でお話を させて頂き、宗家の演武のDVDも 送って頂き、4時半置きの日帰りで岡山まで 行ってきました。 無事、5段へ昇格。 5月の連休にある京都での全国大会で演武も してくる事になりました。 現代の西洋スポーツをはじめとする身体の 使い方と、身体感覚、脳ミソの中、それらを 前提に考えたり体を動かしたりしていては 理解できない古武道の身体操法。 これ以上、自分のものにするためには、 極端にみえるかも知れませんが、 室町時代あたりの武士の感覚に出来るだけ 近づけなければ理解が出来ないという事を 最近思っています。 勿論、日々の仕事上、スーツに身を固めて会議に出たり、 社交的場面で立ち振る舞うというなかで、 あまりにも突拍子もないパフォーマンスをしているように 周りに受止められるのは困るのですが、 自然体として感じていただけるような和風の中田利幸も そろそろ、もう一歩踏み込まなければと思うような 状況下になってきました。 着物姿で見かけるのもそんなに遠い話では無いかも知れません。
今日は、米子市の古くからの事を よく知っている方達と、ちょっと一杯 やってきました。 この方たちは、米子の裏も表も人一倍知ってる 方達で、今は退職後の生活を楽しみながら 時々集まって昔話に花を咲かせています。 ご縁で、結構可愛がって頂いて、 この飲み会がある時は必ず声をかけて頂きます。 昔話も楽しいらしいのですが、ヤッパリ社会の 第一線でかつて頑張ってきた方達なので、 最新情報も聞きたいみたいですね。 私も、過去の経緯が解らない事や、 人間関係がわからない事などを教えてもらったりで、 大変楽しみな会です。 今日も色々な話題が出て面白かったですよ。 残念ながら、明日も忙しいので1次会で失礼しましたが 結構、いい情報も仕入れてきました。
連日の会議で流石に疲労感が出てきました。 まだ日程の3分の1なのに、この疲れ方。 多分、会議の中身というか充実感の無さというか そんなところからくる疲労感だと思います。 今日は皆さん、ビールサーバーの日だそうですよ! ビールサーバー・ドットコムというのを主催している 木村さんという方が、2001年にサー(3)バー(8) の語呂合わせで制定したとか。 また本日は、国際女性デーでもあります。 1910年(明治43年)にコペンハーゲンで 女性の政治的、社会的、経済的な 自由を訴える会議が開かれた事からで、 日本では1923年(大正12年)が最初だったようです。 居酒屋あたりでは、それこそビール片手に元気良く 話に花を咲かせている女性たちも多いですが、 当時では考えられないような光景でしょう。 考えてみると、今では政治的にも社会的にも経済的にも 制限がキツイのは私の仕事かもしれませんね。
今日は二十四節気の啓蟄。 虫が穴から出始める時期だそうです。 今日明日は冬型の天気で、会議の途中休憩の時、 窓の外は雪が降ってました。 今年は暖冬で、つい先日も18度くらいの気温に 汗をかきました。 「例年なら中学校の卒業式は寒くて震えてたのに・・」 と言っていたばかりなのに、やっぱり寒くなりました。 それでも、これが過ぎるとめっぽう春らしくなるんですよね。 今日はスポーツ新聞の日でもあるそうです。 昭和21年に「日刊スポーツ」が創刊された日だそうです。 連日、朝から晩まで会議室のイスに座りっぱなしで、 腰は痛くなるし、目は疲れるしですが、 何とか合間を縫って、そろそろ居合の仕上げにも 入らなければなりません。
今、この書き込みをしているのは、夜中の0時を 回ったところです。 昨日は、あの2・2・6事件があった日。 1936年(昭和11年)のこの日、陸軍の皇道派の 青年将校が、対立していた統制派の打倒と国家改造を 目指し、約1500名の部隊を率いて首相官邸などを 襲撃しました。 この事件に関係する西田税という方は、この米子の 方で、山陰歴史館にも展示がされています。 実は私が書道を習ったのは、この方のお宅で、 小学校から中学2年生の時まで通いました。 2階が教室に使われていましたが、いつも順番待ちで 一階の仏壇の西田税の遺影の前で、他の生徒と話をしながら 順番を待ってたもんです。 現在の0時をまわった27日は、1862年(文久2年)に 「新撰組」の前身である「壬生浪士組」が結成された日。清川 八郎が提案し、事件が頻発している京都の警護にあたる為、 幕府が募集をかけて編成しましたが、京都に着いた途端、 清川が壬生浪士組の目的は尊王攘夷だと言い出したため、 空中分解し、幕府は帰還命令を出し、清川たち209名は 江戸に戻りましたが、近藤勇、芹沢鴨、土方歳三ら24名は 残り、「新撰組」と改組し、そのご約4年間の京都での 活動は有名です。何年か前にNHKの大河でもやりましたね。 清川は、私の好きな山岡鉄舟とも交流があったようですが、 鉄舟は、政治的にも思想的にも、あまり深入りせず、 剣術家としての修練に精を出していながら客観的に 情勢を見つめていたようです。 この時期は、血気盛んな人を決起させるような、そんな 何かがあるのでしょうか?特に「尊王派」のような人達の 感性に影響するようなものが。 私は「尊王」という思想性とは開きがありますが、 違う意味で西田とも清川とも、わずかながら縁を感じる 部分があるので興味も湧きますし、山岡鉄舟の生き方に 憧れる部分が多いのですが、私自身が置かれている状況は、 剣術修行と政治との比率が、恐らく鉄舟とが逆に近いんでしょうね。 タダ、鉄舟も、薩長との交渉や、幕府が倒れた後には 新政府のもとで役職に着くなど、政治・行政の世界にかかわらざる を得ない訳でした。 置かれた状況の中で、「与えられた職務に正義があれば、天職として これに全力を傾注する。そのため武士道の徳の習得と、それを 貫く力の習得に努める。」これは、私が修行している居合道の 「修行の目的」に書かれているものの一部です。 今のこんな時代、様々な価値観の中で、経済にしても哲学にしても 宗教にしても、様々な考え方と動きがありますが、 基本がブレない行動理念をシッカリと持っておきながら 鉄舟のように生きたいものです。
昨日は、小さなボーイスカウトの皆さんに お招き頂いて、スポーツチャンバラを してきました。 前日の居合の稽古で、肘が痛むのは勿論ですが、 最近、膝も痛くなってきました。 知り合いのカイロプラクターに電話で聞いてみたら、 「多分、膝だけではなくて、その背景には大腿部の 裏側の疲労があって、もっと根本的に治そうと 思えば腰からだね」と言われ、1〜2回では 直らないとの事。 来月の下旬には5段の昇段審査もかかっているので 困った状況ですが、そんなボロボロのカラダに 鞭打って、初めてスポチャンをする小さなボーイ スカウトさんたちと、ワイワイやってきました。 アシスタントとして、インストラクター3名と 道場に通ってきている子供たち3名にも 手伝ってもらい、何とかそれなりに出来ました、 こんな感じの出張スポチャンもどんどんやって、 普及が進めばと思います。 それと、うちの道場に通ってきている子供たちが、 他の子達よりヤッパリ強いというのは 正直、気持ちの良いものです。 それと、その会でのお偉い方に、知り合いのお医者さんが いました。先生から、随分と私のナンバ身体操法について 興味を示して頂きました。 これもシッカリと勉強しなおしておかなければなりません。
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