楓蔦黄屋
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2020年12月01日(火) 戊寅・師走・おかたづけ

仕事部屋がそろそろ散らかってきたので片付けたい。

が、なんだか気分が乗らずに放置したまま何日か経つ。

仕事部屋に限らず、
「部屋をきれいに保つ」ことに関してだいぶ前から試行錯誤している。
諦めたり、諦めきれなかったり。

「部屋をきれいに片付ける」ことはできる。
要らないものを捨てて、必要なものをそれぞれの居場所におさめればいい。
でもそれと「部屋をきれいに保つ」というのはじつは全く別のスキルだ。

「片付ける」というのはつまり「散らかす」とセットになっていて、
要するに「きれいに保つ」のとは正反対のスキルではないかと私は思っている。
「きれいに保つ」というのがどういった行為から成り立つものなのか
私は知らない。教わってもいないし自ら手習いにも行っていない。

長年、「片付ける」=「きれいに保つ」だと思いこんでいた節がある。

逆なんだと思う。
「きれいに保つ」=「片付けない」なんだと思う。
「片付ける必要のない状態に設定する」ことなんだと思う。

書いてて気づく。

「散らかったものを収納にセットする」のではなく、
「現状の散らかった状態に、収納のほうをセットしていく」
というのが有効なのではあるまいか。


やってみよう。

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てなわけでとりあえず、
家にあまっていた数々のカゴたちを仕事部屋に一挙召還。
散らかっている箇所に設置。

おお。スッキリ。

自分の散らかしがちな場所とモノの種類が一目瞭然になる。
必要な収納家具が見えたのでそれをぽち。

と同時に、自分の散らかさない場所も見えてくる。
散らかさないでちゃんといつもきれいになっている箇所もあるのだ。
モノ単位で収納場所が決まっている作業机だ。

「小物」というざっくばらんなくくりではなく
「シャーペン、消しゴム」「手帳」「はさみ」といった単位で
100均の箱やお菓子の空き箱なんかに、マステに名前を書いたラベルを貼り付けて収納してある。

このマステラベル収納を試そう、思いついたときは
これで果たして散らからないようになるのだろうかと自分でも思っていたが、
結果1年半、きれいに片付いたままだ。自分に合っていた。

この「ラベルを貼り付ける」というのがミソで、
こうするととたんに頭の中までスッキリして、何も考えずにモノを出し入れできるのだ。
ラベルがある=名前のついてある場所にしまうという作業も好きらしい。
居場所を作ると安心するタチなのかもしれない。

自分のアクセサリーだの趣味のものだのをしまうキャビネットも散らかっていない。
これもしまい場所は決まっているが、ラベルは貼っていない。
キャビネットは長いことキッチンで使っていたものを、家具シートを貼ってリメイクしたもので、
小物入れなんかもそれなりにこだわって選んだ、
要するに自分が気に入るものだけで作り上げた収納場所で、
そういうものだとラベルを貼らなくても頭の中は常にスッキリしている。

「しまうべき場所にいちいちしまう」という行為もどうやら好きらしい。苦にならない。
しまうべき場所が目に見えていないのが苦なのだ。


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服なんかも、基本的にハンガーにかけてしまうのが好きだ。服そのものが見えるから。何よりのラベルだ。
たんすの引き出しにも、いちいちしまうものが書いてある。
こないだ、衣替えのときには、中身の見えないたんすにしまってある服の絵をカンタンに描いて貼った。
散らからなくなった。

基本的に着替えるという行為がめちゃくちゃ面倒くさいのだが、
これをやったらちょっとラクになった。


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部屋をきれいに保つ方法を、誰にも教わらなかったのでこうして
不惑を前にしてもまだ試行錯誤している。

でも試行錯誤して、できるようになるのは嬉しい。
この喜びが勝っているから、部屋が散らかっていると気になるんだと思う。
部屋が散らかってても全然気にならなくなりたいとは思わない。



2020年11月28日(土) 乙亥・大安・こたつ

こたつを出した。

今住んでいる家はわりと寒さに強いので昼間は暑すぎるぐらいだが、
朝夕が冷えてきたのであったまりたくてこたつを出した。

先週買ったみかんはもうほぼない。
こたつでみかん、がやりたくて、でもこたつを出すかどうか迷っていた時期だったので
多めに買ったのだが早々になくなってしまった。
子どもが食べる量が思っていたよりも多かった。

ついこないだまでみかんが苦手だったのに、
いつのまにか好きになっている上にみかんの皮も自分でむける年なので
ガツガツいってくれたのだ。

今まで我が家で果物が好きなのは私だけだったから、
果物を買ってもなんら気にすることなくひとり占めだったのに
これからはヤバいぞ。悠々自適の果物ライフに陰りが。

まあいいんだけど。

サクランボとかぶどうとか、時期もので高いやつはどうなるのかなあ。
好きになるかなあ。

私には好きなものをがまんする機能はついていないので
そうするとそういう果物を心ゆくまで食べるには
今までの倍量買うようになるんだと思う。

経済観念があまり育たないままこの年まできた。

まったくお金持ちじゃないのに、ていうかむしろ貧乏寄りだったのに。

でも贅沢な暮らしとかわりと性に合ってると思う。
漫画なんかで、庶子からいきなりお金持ちになった主人公が
「何もしてないのは肩身が狭くて…」と台所仕事を手伝ったりするのが
育ちのよさとか心根のまっすぐさとか清い感じとかあらわしててめちゃくちゃ憧れるけど
でもたぶん自分だったら全然肩身が狭くならないと思う。

いくらでも使っていいカードとか渡されたらホントにいくらでも使えると思う。
「欲しいものを欲しいだけ買ってもむなしいだけ」って言うお嬢様も漫画でよく見るけど
自分はたぶんむなしくもならないし飽きないと思う。
メイドさんに何かを頼んでやってもらうのとかも全然抵抗ないと思う。
着替えさせようとするメイドさんに顔を赤くしながら「自分でできますから!」とかも言わないと思う。
全然平気で着替えさせてもらうと思う。

人に頼るのは本当に得意だ。

正しくは、的確な判断を手早く要求される場で
そのこと自体に気づくのが人より遅いので
(例:乗るべき電車に乗る、出るべき時間に家を出る)
まわりの人が先に気づいて行動してしまうのだ。
子どもの頃などは私のことなどほっぽって行かれることが多かったが、
年をとるにつれて皆優しくなっていくので
自然と助けてもらえるというだけなんだが。

頼られるのも嫌いではないが、
頼られて行動したところであまりいい結果が出ない。
出せたことがない。

「あなたに期待してますよ!」と言われても正直ピンとこない。
とたんに面倒くさくなる。というかちょっと裏切りたくなる。
「お前は元来頼られる立場なんだからいい加減しっかりしろ」と
怒られて初めて重たい腰をあげる感じ。
もしかしたら褒められるより叱られて伸びるタイプなんだろうか。
でも上手に叱ってくれないとすぐヘソを曲げます。

面倒くさいタチだな本当に。


2020年11月27日(金) 甲戌・朔風払葉・冒険

子どもとちょこっとおでかける。

とある目的のために土地勘のない町中を歩く。
目的を果たすのは合計30秒ぐらい。
歩いたのは5時間。

だんだん寒くなってきた季節の中を歩く。
寒くなってきたから暗くなるのも早い。
寒くなりはじめだからアウターを着たり脱いだりが面倒で忙しい。
そんな中をふたりで歩く。

目的を果たせて嬉しいねと言ったり
見知らぬ公園でギュンッと遊ばせたり
歩いてるとちょっとお互いイラッとくる瞬間が訪れて
あっこれは疲れだ、いかんいかん落ち着こうとふたりで深呼吸したり
コンビニに寄って道の脇でホットスナックを食べる。

目的に間に合うか間に合わないかのところで走る。
ワー!疲れるー!とはしゃぐ。
電車に乗り間違えたのを子どもが気づく。
目的の場所を子どもが見つける。

めちゃくちゃ楽しいな。

子どもと二人ででかけるのはめちゃくちゃ楽しい。
昔からそうだった。
赤ちゃんの頃からそうだった。

疲れるし間違うし機嫌悪くなるしで体力が削られるんだけど、
それでも楽しい。それが全部楽しい。

別にふたりで終始ニコニコしてるとかそういうわけでもないし、
すごい面白いことがあるわけでもないんだけども、
なんか楽しい。

そして子どももどうやらそう思ってくれてるらしい。
楽しいねーなんかわかんないけど楽しいんだよねー、とふたりで言い合う。

家族3人ででかけるのも楽しいし
ダンナと二人で出かけるのも楽しいんだが、
子どもと二人で出かけるのはなんというか、なんだろうな、冒険感があるのかな。

赤ちゃんの頃は特に、冒険感がものすごかった。
装備もものすごかった。
今思えばあんなに持ってなくてもよかったよな、と思うけど、
それもあんなに持って行ってたから得た、自分だけの知識だ。

ひとりでなら入れる喫茶店にも子連れだと入れなくて、
自販機で買ったあったかいコーヒーを飲みながらちょっとだけ寂しい気持ちになったけども、
それ以上になんだかその状況そのものがめちゃくちゃ楽しかった。
抱っこひもの中があったかすぎて全然寒くなかった。

ちょっと前までは、
でかけた先でイヤな思いをすることにとてもおびえていた。

でも今、子どもとでかけるときはいつも、
なんか困ったことが起こるかもねえ、そのときはどうしようねえ、
まあ無事に帰ってこられたらいっか、と思えるようになってきている。

私と出会ってくれてありがとう。

2020年11月21日(土) 戊辰・脳内イメージ分野

はー。

今回もなんとかのりきった。

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自分が今している仕事=納期遅れがち

みたいなイメージが浸透していることが
本当にありがたい。

納期をキチッと守っている人はいるし
社会性のある人が重宝されるのはどこの世界でも当たり前だけども、
でもなんていうか

かっこよくいえば
脳内イメージ分野での第一次産業
なわけで、
脳内といえば、専門家ですら未知の領域がまだまだ多い部分なわけであって

たとえば、本来的な意味の第一次産業に従事しているかたがたは
お天気とか、土壌や水の具合とか、生き物の具合とかいった
自分以外の、人間ではない存在を主に相手どって、そこから生みだし、形にしていくわけで、
そりゃもうどうにもならないぐらい大変なお仕事だと思うんだけども、

仕事舞台が脳内だと、逆に
自分の中だけを相手どって、生みだし形にしていくわけであって、
それはそれでどうにもならないぐらい大変なお仕事だと思うんですよ。

そこを早くて一週間、遅くても一ヶ月かそこらでどうにか形にするところまで
持ってかねばならないという。

売れる売れないとか才能のあるなしとかそのへんの話はおいといて。

そこを納期キッチリに仕上げられる人たちは
それは天才だと思う。この頃、とみに。

いろんなタイプの職人さんがいる中で、
自分自身に関して言うと
「仕事じゃないことをしているとき」がいちばんフルに自分の中を相手どれるという
非常にタチの悪いタイプなので納期を守るのは本当にしんどい。

自分の中を相手どって、それがどうにか脳内で見えてきても、
今度はそれを他人様にも伝えられるように外部出力しなければならない。
しかも自分の場合は3回も。

ふつうは同じこと3回やったら3回分納められるだろう…。


むかし、特に好きじゃないことを仕事にしていた頃、
「どうせ悩むなら自分がやりたい仕事で悩みたい」と思って今の仕事にどうにか就いたわけだけども、
好きじゃない仕事でうまくいかなかったことは
好きな仕事でも結局は乗り越えないといけなくなるわけです。


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乗り越えたいね。いろんなことを。






2020年11月18日(水) 乙丑・幸せ

あー、自分も若い頃はずいぶんまわりに許してもらってたんだろーなー、と
この年になって思う。

自分が一番大変だ、と思うのは当然として、
それは他の人もそうなんだよ、ということは
最近身に染みていることだ。

若い頃は人と自分が同じだと思えなかった。
子どもの頃はもっと思えなかったのでその後遺症もある。

みんな自分よりも上だと思ってた。

今は上も下もない、みんなはみんなで自分は自分だと、
少しずつわかってきた。

だから自分も気を悪くしていいし、気をよくしてもいいのだ。
そしてそれを人にわざわざ伝える必要はない。

自分勝手でワガママな自分を
「自分勝手でワガママなんだ」と押し込めるのはもうずいぶん前にやめたけども、
「そうだそうだ、自分勝手でワガママだったわ」と思い出すことを最近覚えた。

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「幸せになりたい」と思ったことがない。

いつでも満たされていたというわけではない。
情が濃すぎてエネルギーがありすぎる家族が
全員それをもてあまして、誰もコントロールする方法を知らなかった家庭に育って
それはもういろいろあった。

世間の不幸なニュースを見聞きして
でもまあ地続きだわな、自分も何かの拍子でそうなるわな、と
思うぐらいにはいろいろあった。

家庭にいろいろあった、という話を人から聞くたびに
それどころじゃねえのよこっちも、と心ひそかに思うぐらいはいろいろあった。

が、
「幸せになりたい」とかそういうことを思ったことはないな、と
折りにふれ思う。

親からもらった遺伝子のおかげでもともとそういう考えかたなのか、
物語というものに触れていたからなのかはわからないが、
「幸せ」とかそういった類いの概念や言葉がそもそも
ストーリーの流れを汲み取るためのただの道具だ、と
当たり前のように思ってたからではないか
と思っている。

「恋人と想いが通じて幸せになる」
「結婚して幸せになる」
「子どもを産んで幸せになる」
のではなく、
「幸せになる、という結末を迎えるためのひとつのエピソードとして
 恋や愛や出産がある」
ということを知っていた。

実際は「幸せ」とは
道を歩いてたらたまたま落ちてた何か、ぐらいのもんだと思う。
それを拾っても拾わなくても、道を歩いている自分には結局さほど影響はない。

だから「幸せ」を目的に据えて行動しない。

だから「幸せになりたい」と言われてもピンとこない。

でも一度だけ、ある日自分の子を眺めていてふと
「ああ、『幸せ』って概念が具現化すると、
 こんな形してて、こんな温度で、こんな感触なのか」
と実感したことならある。

やはり自分の外にあって、
自分とは違う道を行くものだ。

でも、道中で出会えて、本当に嬉しい。






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