楓蔦黄屋
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身体がすごく休みたがっている。
思えばこの1年、休みらしい休みをとったことがなかった。 去年はとった。…かな?あれ、一昨年だったかも。
ずうっと仕事のことを考えていたし、 そもそも「休日」というのが制定されていない。 加えて親という業を背負っている。 逆に言えば休みたければいつでも休めるわけだが、 誰かに許されたわけではないので休んでいる間いつも後ろめたい。
そういう1年だった。
そういう後ろめたさで身体を壊したりしたもんだから、 秋口あたりからもうその後ろめたさを放棄した。
休んでもたいがいは何とかなってきた。 ならもう休んでしまえ。 休んでダメになるならもうそれはそれ、先のことなど考えてたって どうせ憂い通りになったことなんてないしもういいや。
と考えるようにしたら 別に状況は良くもならないが悪くもならず、心持ちだけがちょっとラクになったので まあじゃあこれはこれでいいかな、と思うようになる。
そんなこんなで仕事を納めた。
そしてそこからこっち、ビックリするぐらい何もできない。 身体が全然動かない。
こうやって無為に日記などぽちぽち打つならできる。 本を読んだりもできる。テレビも観られる。ゲームもできる。 でも家事がなんにもできない。 部屋の掃除をしようと思ったけどそれもできない。 しようとすると頭がフリーズする。
これはもう、1年分休めということだと思っている。 というわけでゴロゴロ休んでいる。
一緒に住んでいる人たちは、そんな私を特にとがめることもなく 家のことをやったり楽しく過ごしたりしてくれている。 そして私は逆にふざけがてら鬱陶しく彼らにつっかかったりしている。
いま一緒に住んでいる人たちが、この人たちで本当によかった、と思う。
メリークリスマス。
もう何をしても、子どもの頃に感じてた あのクリスマスのきらめきや特別な空気感は 味わえないけども。
でも実はサンタさんはいると今でも思っている。
記録の上でしか存在しないなら徳川家康だって一緒だ。
とはいえ盲目的に信じているのとはちょっと違って、なんというか
ここ数年、クリスマスを親として毎年慌ただしく過ごしていて、 その原動力になっているのは確かに自分が子どもの頃サンタさんにもらったすべての輝きで、 そうするとああやっぱりサンタさんていうのはいるんだなと、 いるからこうやって私は子どもが楽しめるように手を動かしているんだなと、 そう思うわけです。
親の手柄をサンタにとられてたまるかみたいなことは、だからあんま考えたことがないわけです。
お風呂に入る気がおきないなあ。
長年勘違いをしてきたが、 私にとって毎日の入浴はリラクゼーションではなく 義務なのだと知った。
銭湯とか、スパとかは大好きなのだ。 大きな湯船につかるぜいたく、あれこそはリラクゼーションだ。
でも身体を洗う行為は義務。歯磨きと同じ。 そしてうちにはたっぷりとお湯にたゆたえるほどのだだ広い浴槽はないので 毎日の入浴は完全にオール義務だ。
しずかちゃんは何が楽しいんだろう。
でもお風呂に入らないと汚れるのだ。 寝てるあいだに汚れるのだ。 人は寝てるあいだにコップ一杯の汗をかくと聞く。 お風呂に入らないと、身体にたまった垢がその汗と混ざり合って 起きたときけっこう汚れてるのだ。 私は垢もけっこう出るタイプなので。
で、お風呂をリラクゼーションと思っていた頃は もう面倒くさくて仕方なかったが、 これは義務なのだと思うと不思議なことに面倒くささが軽減する。
今日は夜にスピッツのオンラインライブチケットを買ってある。 スピッツのライブなんて劇的にひさしぶりだ。隼ツアー以来だ。 新譜は必ず買ってきたが、ライブは行っていないので 本ライブのチケットはことごとく外れた。
そのひさびさのオンラインライブをお風呂に入らない身体で観るってのはなあ。 やっぱりゆっくりさっぱり観たい。
こうして日記を書くことによっても、お風呂に対する面倒くささが薄れてきたことだし さて、よしお風呂いれよう。
明日はクリスマスイブだね。
そうそう、今日で仕事納めでした。 一年間お疲れさまでした、トゥーミー。本当に今年はよくがんばったと思う。
2020年12月21日(月) |
戊戌・冬至・好きでないもの |
冬至。 ゆず湯に入ったりはしなかった。 でも冬至。夕暮れがきれいだった。
ライブカメラにハマっている。
毎日、世界の気になった都市を3つほど巡回している。 もともとは東京のライブカメラで 朝なんとなく「出社感」を部屋の中で感じてから仕事をしたくて見始めたのだが そういえば世界を見られるんじゃないかと思って見ている。 外国ではたいてい昼夜が逆転していて面白い。
ライブチャットも楽しめる。 日本語をほとんど見かけないからだ。 何言ってるかパッとわかんないからめちゃくちゃ気軽だ。
私も英語でやる。 でも合ってるかわかんないから一度DeepLで日本語にして おかしくないか確かめてからやる。 たいしたことは打ってないから英語でもできる。 英語以外の言語は日本語を翻訳してぶっこむ。
チャットもその場その場で、なんとなくお国柄みたいなものが出るから面白い。 けっきょく、一番のんびりして平和なのが東京だ。 みんな優しい。
ニューヨークはトランプのことばっかり話している。 私はパンダのことばっかり話した。だっているんだもん。パンダ。
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そろそろ何かを学ぼうとして興味のない本を読むのをやめようかと思う。
今年、2冊ほどそれで失敗した。 それなり生きてきて、もう自分には好きでないものから学んでるヒマはないんだな、ということがわかった。
友人が星読みの勉強を始めている。 この先はもう身軽に、フットワークを軽く生きていったほうがいいとのことだ。 腐れ縁も切っちゃっていいとか、地位も名誉も気にしないとか。
人の口から語られるものはあまねくフィクションだ。 創作の意識なく事実を語っていても、人の口を通した瞬間それはフィクションになる。 と私は思っている。
だから話半分に聞くのがちょうどよいと思っている。
友人の忠告もありがたく、しかし半分だけ受け取る。 心にひっかかってるな、と思ったものだけ考える。
好きでないものがたくさんある。 好きなもののほうが少ない。
好きでないものに心と身体を動かさない準備を、 この30代最後の歳に1年かけてしようと思う。 四十にして惑わない準備だ。
好きでないものに心を動かさないためには まずは初動が肝心だ。 何事もまず心構えだ。
しかしどうしたらよいものか。それを1年かけて学ぶ。 2020年の目標は「wrap around fluffy」だったが、 2021年の目標は「好きでないものに心を動かさないための心構え(仮)」かな。
2020年12月12日(土) |
己丑・熊蟄穴・ピアノ弾き語り |
ピアノ弾き語り活動を、ぼちぼち再開しようかなとひそかに画策している。
あまり集団行動に向いていないのに大学時代はバンド活動をしていた。 ピアノは弾けるが、東京事変のコピーバンドでもないかぎりは キーボード活躍の場は少なくてつまらないのでもっぱら歌を歌い散らして満足していたが、 卒業してからあるときを期にピアノの弾き語りを始めた。
もっと早くに始めればよかったと思うが、 私は長いこと「弾きながら歌う」ができなかったのだ。 練習してみたらできた。できるもんだった。
初めて1人で弾き語りとしてステージに立ったときは その心細さにビックリしたものだ。 バンドのときはステージ上のプレッシャーを分散してもらっていた。 1人だと緊張がその比じゃない。ピアノの発表会より緊張する。声を出さないといけない分。 MCとかも初めてやった。なんかおかしなことばっかり語ってた気がする。 でも仲間の和を重んじるバンドよりもはるかに自分に向いていると思った。私は自分勝手なので。
自分の歌ってる歌とか聞き返したくないですが、 弾き語りするのは大好きです。自分の姿みえないし。
弾き語りのライブを主催してみよっかなんて友だちと言ってたけども、 そうこうしてたら子どもが生まれて、仕事も忙しくなって いったん保留となった。
そうこうしてたら、ちょっとではあるがピアノ練習しよっかな、とふと思うぐらいの余裕は生まれてきた。
じつは楽譜はコツコツ買いためてはあるのだ。 弾いてみたいものが10曲ぐらいある。
家の近くにスタジオもある。今も営業を続けてくれている。ありがたい。
まだ友だちがライブしてくれる気があるかな。あるといいな。
楓蔦きなり
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