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2002年09月12日(木) 愛情をきちんと伝えるために…

ピアノの練習というのは、往々にして、辛いことが多いものです。
そして、多くの子どもにとって、辛いことをするのは、楽しい事ではありません。
ピアノを指導する…という事の中には、子どもにとって楽しくない、けれども必要不可欠な練習というものを通して、人間的な成長を促す…という部分が少なからずあると思うのです。大袈裟ですが。
通常、週に一度30分〜1時間くらいしか顔を合わせない私たちが、それらの指導を行なうためには、指導を受ける子どもに愛情を持つこと、その愛情を感じさせながら、どうするべきか…という事を指し示す必要があります。
ご紹介する2冊は、本来、お子さんを育てている親御さんに向けて書かれたものですが、その内容は、ピアノを指導する私たちに参考になる部分も非常に多いと感じています。
著者は、心理学に精通し、子育ての経験も豊富な、家庭教育コンサルタント。
豊富な知識と経験に裏付けされた言葉の持つ説得力は、きっとレッスンで困った時の助けになるはずです。

『子どもが育つ魔法の言葉』ドロシー・ロー・ノルト、レイチャル・ハリス共著(PHP出版刊)

同じ事を言っても、子供たちの受け止め方は様々です。
人生経験と呼べるものの少なさ故に、大人が想像もしない受け止め方をしてしまう事も多いものですし、その事について、心無い指摘をされると傷ついて頑なになってしまう事もあるでしょう。
子どもを指導する…というのは、一人の大人として、様々な価値観を示すことに他なりません。
ピアノを上達したければ、毎日練習をしなくてはならない。
できない事があっても、諦めずに続けたらかならずできる。
例え失敗しても、それで終りではない。失敗を乗り越える事が大事。
などなど、言葉で言うと簡単でも、実際に行うのは大変なことが沢山あり、それを子ども自身に納得させるように指導するのは、たやすい事ではありません。
幾ら言っても通じない…とか、どう言ってあげたらよいか分らない…という時に、ヒントになる言葉が沢山ある1冊です。
子育てのバイブル…と言われるほどのベストセラー。

『10代の子どもが育つ魔法の言葉』ドロシー・ロー・ノルト、レイチャル・ハリス共著(PHP出版刊)

この本でいう10代とは、所謂、ティーンエイジャーです。
幼い頃から続けてきたピアノについて、迷う年頃でもあり、ピアノを教えていらっしゃる皆様の中も、葛藤があったことを思い出される方も多いことでしょう。
本の中では、親ごさんの役割、ものの見方が多く語られていて、そういう意味では、先に紹介した、『子どもが育つ魔法の言葉』よりも、ピアノ指導者として参考になる部分は少ないかも知れません。
しかし、それと同時に語られている、「10代というのは、親以外の大人の力が必要な年頃」という事例は、10代のお子さんとピアノ指導者との関わり方について、多くのヒントを与えてくれるはずです。
実際に、ピアノとの関わりについての事例もありますし、この年代のお子さんにとって、何が大切なことなのか…ということについて考えさせられます。
そして、その関わり方については、相手を尊重する全ての事柄について関係あるかも知れない…と思わされるものでした。

どちらの本も、アメリカ人の習慣、感性で書かれている部分がありますので、ここに書かれている事をそのまま実行しても、必ずしも上手く行くとは限らない部分があるかと思います。
でも、子どもたちにとって大人の愛情を感じることがとても大切な事、そういった中で必要なことをきちんと示唆し、習慣化させる事が大事なこと、そしてその為には、大人が本当に大人である事が求められること…などは、普遍的であるようにも思います。

どちらの本も、読みながらレッスンに来ている一人一人の顔が浮かび、指導上の悩みが少し軽くなるような気がする内容です。
レッスンでのコミュニケーションがスムーズになることは、レッスン内容の充実にも繋がることになります。


2002年09月07日(土) 誉めるお手本…

ピアノを習っている多くの方が、レッスンで誉められると励みになって練習がはかどる…という風に感じていらっしゃるのではないでしょうか。
数あるピアノ指導の本でも、誉める指導は語られていますし、このHPにおいでくださるピアノ指導者の皆様も、誉めることの大切さは、実感されていると思います。

でも、実際にどのような言葉で誉めたら伝わるか…というのは、なかなか難しいものです。
そこで、誉めるボキャブラリーを増やすために良さそうな本を2冊ご紹介してみます。

『清水義範の作文教室』(ハヤカワ文庫刊)
『作文ダイキライ 清水義範のほめほめ作文道場』(学研文庫刊)

作家の清水義範さんが小学生に作文を指導する…という内容の2冊です。
清水さんの文章や、ユーモアがあり読みやすく、理路整然としていてわかりやすいので、愛読されている方も多いと思います。
その清水さんが、弟さんの経営する塾の生徒達が書いた作文をFAXで受け取り、添削して送り返す…という作文教室をされていて、その最初の1年間の様子を本にしたのが、『清水義範の作文教室』。
それが評判になり、学研の学習雑誌上で、読者の小学生から送られてきたものを指導したのが『作文ダイキライ』です。
どちらの本でも、小学生の作文と、それに対するコメント(このコメントがとても良いです)、それとは別に、清水さんの子供への作文指導に対する考え方が書かれています。
人気作家に作文を添削してもらう機会に恵まれるなんて羨ましい限りですが、この清水さんの子供に指導する際の考え方…というものが、非常に的を得ていて、なるほど…と思わされました。

私には子供がいないのであまりわかったようなことは言えないのだが、子供というのはまだるっこしいものである。何度も何度も同じ事をアドバイスして、ごくまれに少しだけ進歩してくれる。ついにこっちの言う事が通じなかった、ということのほうが多いであろう。
で、進歩してくれたのは嬉しいことであって、これが教育の喜びというものだなあ、と思っていると、ひょいと足元をすくわれる。次の壁にぶつかったり、迷いが生じたり、スランプにおちいったりして、子供はもとの低レベルのところへ、それどころか最初よりヘタなレベルへ落ちこんでしまったりするのである。そう簡単に、教える、学ぶ、上達する、というわけにはいかないのだ。
子供に教育するには、気を長く持たなければならない。せっかちに、うーむまだわからんのか、と思ってしまってはいけないのだ。あせらず、じっくりとつきあい、イライラしてもそれを見せず、ほめて励まして教育をくり返す。
そういうことを何年も、最低でも1年は続けて、それでようやく少しは進歩、成長してくれるかな、というところである。一年やれば、確実に何か、少しでも育ってくれるように思う。
だから、数ヶ月指導しただけで、わかってくれないなあ、と嘆いてはいけない。どうしてうまくならないんだと、イライラしてはいけない。子供とは、行きつ戻りつ、その積み重ねによって、ようやく少し成長するものなのだ。

(『清水義範の作文教室』より抜粋


子供の教育について、こんなにも完結で分かりやすく、的を得て書かれた文章に接する機会は、そんなに多くはありません。
ここに書かれていることは、作文に限らず、教育の全てに当てはまると思います。
子供だけではなくて大人にも、有効かも知れません。

そして、このような考え方に基づいて書かれた各々の作文へのコメントの素晴らしさ!
誉める…というのは、(少なくとも指導のプロの場合は)むやみやたらに誉めれば良いという訳ではないのです。
的を得て誉めなくては、進歩への糧にはなりません。
その点、清水さんの誉め方は、すばらしいです。
そういう誉め方を学びたい指導者の皆様に、是非ともオススメしたい2冊です。
もちろん、小学生のお子さんをお持ちのお母様にも、オススメいたします。
子供たちの作文もかわいらしくて、楽しめます。 (^m^)


2002年08月14日(水) lesson de ラ・パレット、その後…

4日に行なわれた北川先生の公開レッスンを受けた二人の生徒のその後について、ご報告します。

正直な所、レッスンを受けたその時には良くなったように見えても、1週間経ったらどうなのかしら…という風にも、ちょっとだけ思っていたのですが、その心配は杞憂に終りました。
二人とも意識が高まり、指摘された点はモチロンですが、ピアノ全体への意欲も高まり、北川先生のレッスンの影響力の大きさを、改めて感じました。

けれども、公開レッスンに対する二人のスタンスは、全く違うものになりました。

一人は、次の公開レッスンを楽しみに、北川先生を驚かせたい…と、練習に励んでいます。
もう一人は、レッスンは受けたいけれど、知らない人がいて物凄く緊張したので、公開形式ではイヤ…という意志表示をしています。
参加する生徒の年齢が低い事を考えると、もう少し、工夫が必要だ…という事を、私のほうが教わる事になりました。

しかし、音に対する意識の持ち方、ピアノを弾くことに対する意識の高まりなどには目を見張るものがあり、本物に触れる事が、どれだけ子供に大きな影響を与えるか…というのを目の当たりにした思いです。
これから、2ヵ月に1度のレッスンを受けることや、他の生徒さんとの交流を通じて、どのように成長してくれるのか…を、見守っていきたいと思います。


2002年08月05日(月) lesson de ラ・パレット…

少し前からお知らせしていたlesson de ラ・パレットがいよいよ動き出しました。
28日には、興味を持ってくださった先生方にお集まりいただき、北川先生に、この試みの趣旨についてお話していただく機会を持つことができました。

時間をかけて焦らずに育てていくこと、大人が変わらなければならない部分、指導者のあるべき姿勢…など、レッスンに直接関係ある事から、子供たちをとりまく社会環境や大人の価値観など、お話は多岐に渡り、刺激的な時間となりました。
素晴らしいピアニストである北川先生が、レッスンを受ける生徒について、
「上手下手は問いません」
とおっしゃってくれたのは、街のピアノ指導者の一人として、とても嬉しく、希望を感じるものでした。

第1回となった8月4日には、私の教室から小学5年生の二人の生徒が参加して、デモンストレーションレッスンを行ないました。
スタインウェイのB(セミコンサイズ)を2台使っての贅沢なレッスンで、タッチの指導を受けると、普段指導をしている私が驚く位ハッキリと演奏が変わっていきます。
はじめの演奏を聴いて、先生が最初におっしゃった事は、日頃のレッスンで私が悩んでいる事でもあり、改めて、北川先生の視点の鋭さに感動しました。
生徒たちも、偉い先生…というので、緊張していたようですが、北川先生の口調は始終穏やかで、でも、指摘される内容は的確で絶対的である…というのが、子供にもわかるものでした。

レッスンが終って、子供の指導にどのような教材を渡したら良いか…というお話では、近代現代の音楽を学ぶ上で、ミクロコスモスが不可欠であること、他の教材ではどのようなものを使ったら効果的に子供の興味を引き出しつつ指導ができるか…などをお話くださいました。
ミクロコスモスの指導法については、公開レッスン形式で取り上げる…というのが、指導者にとっても、一番わかりやすく学べるスタイル…なのだそうです。

また、この活動を公開レッスンに留めず、ソルフェージュ教育の実践方法や、古典舞踊(バロックダンス)の勉強会、本当に子供のことを考えたコンクールに変わる研鑚の場などを作っていく土台にしたい…なんていう、実現したら素晴らしい話もでていて、これからの活動がますます楽しみになっています。


2002年08月01日(木) 上杉春雄さんのコンサート

インターネットをはじめてから、まだ3年の私ですが、ネットの威力というのは素晴らしく、非常に多くの、ネットをしなければ出会えなかったであろう方々と出会うことができました。
日本で最初の医師ピアニストである上杉春雄さんも、その一人です。
上杉さんを通じて、尊敬できる方たちと出会う事ができ、ご縁の不思議さ…というものを感じているこの頃です。

で、その上杉さんのコンサートが、27日の土曜日に、とあるサロンで開かれました。
2年前にも同じ場所でコンサートが開かれ、モチロン足を運び、それを機会に親しくお付き合いさせていただいている方も大勢いらっしゃるのですが、こちらのサロン、日本クラシック界のそうそうたる面々がいらしていて、客席にもなかなか緊張感があります。
土曜日にも、今、人気のピアニスト、イリーナ・メジューエワさんがご夫婦でいらしていました。

コンサートのプログラムは以下の通りです。

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   ラヴェル:水の戯れ

   ラヴェル:夜のギャスパール


   ドビュッシー:映像第1集

   メシアン:「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」より
        第15番 幼子イエスのくちづけ
        第10番 喜びの精霊のまなざし

   (アンコール)
   フォーレ:ノクチュルヌ第1番
   バルバストル:ロマンス(手回しオルガンのための)

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最初に演奏された、“水の戯れ”は、以前、上杉さんのお宅に伺った時にも聴かせていただいたことがありました。
でも、ご自宅のプレイエルでリラックスした雰囲気で演奏されたものと、コンサートの聴衆の中で第1曲として弾かれたものは、やはり、少し雰囲気が違います。
とはいえ、それはラヴェルらしい透明感に満ちた魅力的な演奏でした。

次の『夜のギャスパール』は、“オンディーヌ(水の精)”“絞首台”“スカルボ(地の精)”という、オカルティックな(?)3曲から成る曲集です。
第1曲の“オンディーヌ”では、先の“水の戯れ”にも通じる透明感がありながら、ドラマティックな演奏で、解釈も私にとっては納得できるものでした。
第2曲の“絞首台”は、おどろおどろしげな静寂と、胸をえぐるような不気味さを感じる演奏でした。
そして、第3曲の“スカルボ”の何とも言えない気持ち悪さと、滑稽さが表現されていて、興味深いものでした。
超絶技巧を要するラヴェルのこの曲集で、こういった1曲1曲の性格を表出する演奏には、実は、なかなか巡り合えなかったりするものです。
お医者様という、決してヒマな筈がないお仕事をされながら、ここまでの演奏をされる上杉さんに、改めて、尊敬の念を感じてしまいました。

後半のはじめの『映像第1集』は、“水の反映”“ラモーを讃えて”“運動”の3曲からなります。
“水の反映”は、先のラヴェルの水にちなんだ作品との対比も感じられ、同じ演奏家が同じ時に演奏するのを聴くのは、興味深いです。
ラヴェルの水が清冽で、実際に触って冷たさを感じるようなものだとしたら、ドビュッシーのこの作品では、水面に小石を投げ込んだ時の変化や、水面に映る光の変化を描写しているような気がします。
調律のせいか、高音が少し固かったのが残念に思いましたが、それでも、上杉さんの演奏からも、そういったものを感じました。
“ラモーを讃えて”“運動”の2曲も、それぞれに、曲の雰囲気が伝わる、素晴らしい演奏でした。
何よりも、ふとした瞬間に、心の中まで音楽が入ってくる…、その感じが、聴いていて心地よかったです。

どの演奏も、とても楽しめるものでしたが、最後に演奏されたメシアンの2曲は、格別でした。
メシアンは20世紀を代表する作曲家であり、ピアノの為の作品も沢山残しているのですが、演奏されてからの歴史が浅い事と、どの曲も難曲である事…などから、私にとって、とても分かりにくい印象がある作曲家でした。
それなりに興味があり、CDも何枚かは持っていますし、コンサートでプロによる生演奏を聴いた事も、何度もあるのですが、メシアンの薫陶を受けた方、メシアンと親交のあった方の文章に時々出てくる、『メシアンの音楽の素朴さ』というものを、実際の演奏から感じたことがなくて、自分の感覚に自信をなくしていたりしたのです。
でも、上杉さんの演奏を聴いていると、その素朴さや、原始的なエネルギーのようなものを自然に感じ取る事ができて、演奏を聴く喜びを感じました。
メシアンの演奏によくある、頭の良さを感じる演奏ではなく、その先にあるものを表現している演奏なのです。
上杉さんが知り合いだから…ではなくて、上杉春雄さんというピアニストの演奏が素晴らしいから、メシアンをもっともっと演奏して欲しい…と、心から思いました。

14年前に、元祖Jクラシック(?)の騎手としてデビューした上杉さん、14年ぶりに、CDをリリース、来年は、2月東京、3月大阪、4月札幌…と、リサイタルも予定されているそうです。
友人として、そして音楽を愛する一人として、これからも、できる限り応援していきたい…と思っています。


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