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2003年07月27日(日) 著作権のこと…

旧ラ・パレット掲示板でも、何度か話題になり、激論が交わされたこともある話題ですが、最近、また、気になる書き込みを余所で読んでしまったりしたので、楽譜のコピーや、CDのダビングなどについて、書いておこうと思います。

殆どの方は、ご存知だと思いますが、楽譜のコピーやCDのダビングは、個人的使用と、学校のような公の機関が教育用に使用する場合をのぞいて、著作権を侵害する行為です。
ところが、ピアノレッスンにおいて、メインの教材以外の曲は、コピーで済ますことを容認する指導者や、そのような指導者を支持する保護者が、実際には多く見られるように思います。
確かに、楽譜は、一冊、1000円前後の事が多く、コピーは1枚10円前後ですから、下手をすると、全てのページをコピーしても、コピーの方が安い…などということになるかも知れません。
しかし、そうして、大勢の人がコピーしてしまうために、良い楽譜を出しても、なかなか売れず、採算が合わなくて、絶版になってしまう…というケースは、珍しくありません。
似たようなモノがいくらでもあるのなら、絶版になっても次を探せば良いかも知れませんが、似たようなものが見つけられないと、指導そのものに、支障をきたしてしまう場合もあります。
今、現在も、何種類か、代わりが見つけられないでいるテキストがあります。

こういった現状は、消費の場からは、なかなか見えにくい、実感しにくいモノですが、楽譜が商品として流通している以上、他のあらゆる商品と同じように、需要と供給の論理に従わざるを得ないのは、悲しいかな、当然のことです。

また、楽譜のコピーには、もう1つの問題点があるように思います。
それは、楽譜に対する、生徒さんの意識の問題です。
一度、発表会の曲を決めてから、一日も早く練習したい生徒さんのために、1ページ目だけをコピーして、貸してみたことがありました。
しかし、結果は散々で、親御さんは、コピーがあるから…と、楽譜を買いに行くのを先延ばしにし、何人かの生徒は、楽譜を買ってもらう前に、コピーをなくしてしまう…という始末でした。
連弾譜などを、譜めくりの都合上、本番用に、コピーして使用する場合でも、台紙に貼るように…といって、すぐに貼る生徒さんは、私の教室では、ごく稀です。
酷い場合は、本番当日、画用紙がない…と騒いでいる始末。
おそらく、書かれていることは同じでも、今の子供たちにとって、コピーしたものは、あくまで、ただの紙に過ぎないのではないでしょうか。
そのような意識で勉強したモノが、人前での演奏に耐えるものには、なりにくいような気がします。

音楽を好きになって欲しい、音楽に愛情を持って欲しい。
そう思っていらっしゃるピアノ指導者の皆様でしたら、きっと、同じようなことを感じられたことがあるのではないか…と思うのですが…。


2003年07月24日(木) 耳の使い方…

目のお話をしたので、今度は、耳のお話です。

目の使い方は、頭の働きと繋がっていますが、耳の使い方は、集中力と繋がっているように思います。
そして、今の多くの子供たちにとって、こういう集中力を発揮するのは、苦手な事のようです。
でも、音を集中して聴くことが当たり前…でなければ、本当の意味での、音楽的な指導はできないのですよね。
今の時代のように、苦手なことをやらなくても良い…という方向に社会が進んでいると、音を聴けない生徒さんに、聴くことに神経を集中させる…というのは、至難の技です。
カードを使った、簡単な和声聴音などを行って、少しづつ聴けるようになってきても、自分のピアノの音を聴く(つまり、作業しながらでも、耳が働いている)というのは、また一つハードルがあるようで、そこを、どうクリアさせていくか…を、今、考えている所です。

音楽を日常的に聴く習慣があるご家庭のお子さんなら、そんなに悩まなくて済む事ですし、幼児の時から、音楽のレッスンをしていれば、自然と身につくことではあるのですが…。


2003年06月30日(月) 目の使い方…

「目は心の窓」と言いますが、心=頭の働き…という事でもあるように思います。
レッスン中の生徒さんを観察していても、どれくらい集中しているか、音からだけでなく、目の動きからも察する事ができます。
集中力がないお子さんは、ピアノを弾いていてもキョロキョロしているし、集中していると、目は、必要な動き以外はしなくなるのは、少し長くピアノを教えていらっしゃる方なら、自然と気付いていらっしゃる事ではないか…と思います。。
で、指導の中には、この“目の使い方”を教える…というのも、含まれているように思います。

例えば、音符を読めるようになり、指番号が分っても、両手でなかなか弾けない生徒さんを観察していると、視線が、固まってしまっている事が分ります。
こういう状態を長く放っておけばおくほど、両手で弾く事が大変に思えてきてしまうので、できる限り、視線が固まる前に、両手での目の使い方に慣れておく必要があるように思います。

この件については、以前、巨大掲示板で困っている方にアドヴァイスした所、
「そんな事、今まで聞いたこともありません」
…と言い放たれました。(書き放たれた…と言うべきか?)
ご自分の勉強や観察の範囲の狭さを棚に上げて、生徒さんに苦労を押し付けるような方を説得する気もなかったので、そのままにしておきましたが、そういった方でも、ご自身は熱心な指導者のつもりだったりするのだ…と知って、複雑な気持ちになりました…。

関係ない話は、これくらいにして、本題に戻ります。

目の使い方には、主に二つの面があるような気がします。
一つは、読譜の際の目の使い方。
もう一つは、鍵盤を見る、目の使い方。
これらは、両立できない場合もあるので、その場合、暗譜やブラインドタッチが必要になってきます。

具体的な細々とした事というのは、文章だけではお伝えできないのが残念ですが、できない生徒さんというのは、間違いなく、視線が上手く使えていません。
きっと、ピアノを練習する…という事の中には、そういった事の習得も含まれていて、練習をきちんとこなす生徒さんなら、大して問題にならない事も多いような気がします。
でも、ちょっとの躓きで、ピアノを弾く事が楽しくなくなってしまうのは残念な事ですし、そういう指導が、長い目で見て、『どんな生徒さんにもピアノを楽しんでもらえるように』という事にもつながっていくような気もするのです。

また、上手くいかない時に、その原因を分析的に考える習慣は、長い目で見て、上達のための一助にもなる筈です。
そういった角度から指導していく事で、きっと、指導者も学習者も、多くのものを得られるはずです。

念のために付け加えると、指導者がこのような事を考えるのは当然の事ですが、その前提として、生徒さんが指導を熱心に受け入れる事があります。
時々、私の文章を読んで、師事されている先生への不満がつのってしまわれる学習者や、保護者の方がいらっしゃるようですが、その場合、熱心な生徒であったか…というのを、もう一度振りかえってみてください。
師事されている先生への不信感は、全ての指導を台無しにしてしまいますので…。


2003年06月12日(木) 6月8日のlesson de ラ・パレット…

今回も、非常に勉強になる6時間でした。
曲目と時間配分は、以下の通り。
これだけの内容を2500円で聴けるのですから、お得以外の何物でもありません。
…と自画自賛。 (;^_^A

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バッハ : インベンション8番
チェルニー30番 : 27番
バルトーク : ミクロコスモス2,3巻より  65,66,67番
モーツァルト : ソナタ K545 1,2楽章 

チェルニー50番:17番
クラマー=ビューロー:60の練習曲 8番、31番
バッハ:平均律第1巻より 21番
ドビュッシー:こどもの領分 4
バルトーク:ルーマニア民族舞曲集

チェルニー30番:22番
バッハ:インベンション13番
バルトーク:ミクロコスモス 2巻 58、59
チャイコフスキー:子供のためのアルバム ワルツ、ババヤガ

バッハ:平均律第1巻より 第13番 Fis-dur
モシュコフスキー:15の練習曲より 第5番
ベートーヴェン:ピアノソナタ 第6番 第1楽章

ベートーヴェン ソナタ op31-3  2,4楽章

バッハ:平均律第2巻より 第4番 Cis-moll
ショパン:ファンタジー

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今回も、沢山の印象に残ったお話がありました。

暗譜で演奏する事の重要性について、「音がちゃんと出ていても、譜面を見て弾くと、音楽としての連続性を失う」というお話は、自分が弾いていても心当たりがあるだけに、とても納得が行くものでした。
ピアノを弾く事についてもう一つ、「ピアノの基本は、指だけで音がしっかり出ること。腕の力で音を出すのは例外なくダメ。そういう弾き方では、ロマン派は弾けても、古典やバッハ、近現代は弾けない」というのも、非常に納得が行くもので、イロイロな時代を並行して勉強していく必要性にもつながるものでした。

その他、リズム感や歌って弾く事について、感動とは…など、日頃、漠然と分っているつもりでも、具体的な理解となると心もとなかったりする事柄について、端的な言葉でお話くださり、目からウロコが落ちる思いでした。

次回は、8月3日です。
もう、お申し込みを受けつけています。
興味のある方は、是非、いらしてください。お待ちしています。


2003年05月23日(金) ピアノの先生にとって勉強とは…?

前々からとても不思議に思っていた事があります。
それは、ピアノの先生にとっての勉強についての事です。

ピアノの先生とお話する機会がある時や、ネット上での大勢のピアノの先生のやり取りを拝見する度に思うのですが、ピアノの先生って、音楽の話を殆どなさらないような気がするのです。
具体的にどういう事か…というと…。
勉強熱心なピアノの先生は、教材の話は良くされます。
指導法の話もよくなさいます。
また、生徒さんの話や、特定の曲(何かの課題曲などが多い気がします)について、詳細を話したりはなさいます。
でも、これ、音楽の話のようで、音楽の話ではないのですよね…。
素晴らしい音楽を聴いて感動した…とか、その音楽の素晴らしさの源は何か…とか、どういう音楽を素晴らしいと感じるか…というのとは、少し違う事ですから。

…で、どうも、音楽の世界の中でも、ピアノの先生だけが、ズレているみたいなのです。
だけど、多くのピアノの先生は、同業者以外の方と音楽の話をする機会もないようで(ネット上では、求めればいくらでもあると思いますけど)、気付かないどころか、どんどんその傾向が強まってしまうような気がします。
今、ピアノの先生よりも音楽に詳しく熱心なアマチュアの方も大勢いらっしゃいます。
また、プロの演奏家も、子供たちの教育には、絶大な関心を持っていらっしゃいます。(私が今まで親しくお話したことがある、複数のプロの演奏家の方たちは、皆さん、子供を教えることの意味や価値を、非常に大きく考えていらっしゃいました)
でも、ピアノの先生の側から、そういう方たちへの働きかけ…というのは、非常に限られています。

これは、個々の問題…と切り捨てておけない面があります。

一つは、教え方には熱心でも音楽には熱心でない先生に習った生徒さんが、音楽を愛する気持ちを持つことができるだろうか…という問題。
もう一つは、コンクールなど評価の場でのズレの問題です。
特に後者は、評価されてプロになったその後…の問題にもつながるので、重大です。
しかし、この問題は、プロやプロを支える人たちや、プロの演奏を聴くのが仕事の評論家の方たちが、皆同じように感じている事実であるにも関わらず、当事者であるピアノ指導者は、その事に気付いていないのが現状です。
これは、指導者のレベルの問題ではなく、音楽とどのように関わっているか…の問題だと思います。

どんなに沢山の知識があっても、音楽を感じるセンスがなかったら、意味がありません。
そして、そういうセンスを持たないピアノ指導者にピアノを習った子供たちが音楽を愛せるようになるのか…。
とても深刻な問題であり、私たちピアノ指導者自身が考えていかなくてはならない問題です。

音楽について、どんな勉強をなさってますか?


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