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2003年09月27日(土) 子供の気持ちを大事にするという事…

ピアノに限らず、お子さんが何かをする時には、大人のフォローが必要です。
目指すものが大きければ、時には、献身的なフォローでなくては、乗り越えられない場合も多いものです。

しかし、この献身的なフォローには、落とし穴があります。
献身的である余りに、我が事のようになってしまう…という事です。
いえ、正確に言うと、“我が事のよう”ではなく、親御さんにとってフォローした結果が“我が事”そのもの…になってしまうのです。
努力した成果が出れば、心から喜び、上手く行かなければ、心からガッカリする。
ちょっと聴くと、親子二人三脚で、微笑ましい…とも取れる光景ですが、そのどこが問題なのでしょうか。

それは、お子さんの感情を“横取り”してしまっている…という点にあります。

具体的に、どのようなことか。ピアノレッスンのHPですから、ピアノレッスンについて…で、例を挙げてみましょう。

例えば、ピアノの発表会やコンクールなどで…。
毎日一生懸命に練習した甲斐があって、練習した通りの、あるいは練習した以上の出来栄えだった時…。
本来、一番嬉しいのは本人のはずなのに、親御さんの方が大喜び…なんていうケース、ありがちな光景です。
お子さんの一番のファンは親御さん…というのは、理想的なのですが、お子さんの気持ちを置いてきぼりにして、喜びすぎてしまうと、演奏したお子さん自身は、演奏が上手くいって嬉しいのかどうか分からなくなってしまいます。

あるいは、毎週のレッスンで…。
お家で練習した成果を、先生に聴いていただくと、あれもこれも…と注意する所が沢山出てきます。
音楽をステキに演奏するためには、どんどん新しいことを勉強しなくてはなりませんから、これは当然のことです。
でも、真面目で熱心なお母様の中には、ご自宅での練習の至らなさ…と思い込んで、ますます沢山の練習を、お子さんに強いてしまう場合があります。
そして、レッスンで合格すると、練習が間に合ったことにホッとするのです。
これでは、お子さん自身が、毎週のレッスンで、先生に褒められたり注意されたりすることを受け止めにくくなってしまいます。
これは、それほど珍しいケースではありません。
しかし、このケースで困るのは、指導者側はお子さんがそんなに大変な練習を強いられていることに、なかなか気づかない場合が多いのです。
また、お母様のほうも、「先生には相談しにくい」と思っていらっしゃるようです。

どちらのケースでも、数年のうちに、お子さん自身のピアノへの興味がなくなってしまう場合が多く、その時になって、親御さんが大慌てする…という風になりやすいのです。
そうなるまで、大抵の場合、親御さんご自身も、指導者も、お子さんの気持ちに気づきません。
私が今まで指導した生徒さんの中にも、そのようなケースで、レッスンを中断した生徒さんも、中断しないまでも何となくお子さん自身がピアノを弾くことに喜びを見出しにくいケースがありましたし、おそらくどこの教室でもありがちなケースなのかも知れない…という気がしています。

それに、これは、親御さんだけが犯しがちな失敗ではありません。
ピアノを教える側だって、レッスンやイベントの際に、知らず知らずのうちに、そんな風に、気持ちの横取りをしていないとも限りません。

横取りするのは、嬉しい気持ちだけとは限らないのです。
親切心で、悩みを先回りして解消してあげたり、ガッカリした気持ちをフォローしてしまったり…というの、熱心な方ほど、やってしまっている可能性があります。

嬉しいはずの場面なのに、悔しいはずの場面なのに、お子さん自身が余りそれを感じていないような表情を見せたら、感情の横取りをしてないか、考えてみる必要がありそうです。

喜びも哀しみも悔しさも何もかも、その人の感情は、その人のものです。
それを尊重することが、1番大切で、1番難しい事なのかも知れませんね…。
でも、それが、本当の意味で、「子供の気持ちを大切にすること」…のような気がします。


2003年09月08日(月) 大人の器…

ピアノのレッスンというのは、ある程度のレベルまで到達しようと思ったら、長い時間がかかるものです。
そして、その間、常に順調に上達していく…というケースは、ごく稀なのではないかと思います。

お子さんの場合、お子さん自身の成長に伴う様々な感情的な面(反抗したり、自信をなくしたりイロイロだと思います)と、それを見守りフォローしていく親御さんの忍耐の双方に、問題が起きがちです。
長い間に起きる数々の危機を切りぬけられるかどうか…は、親御さんご自身が“上達に必要なもの”に対する経験や知識に、大きく関係するような気がします。
そういう意味では、ピアノのレッスンには、やはり親御さんの力が必要なのですね。

時々、お母様ご自身にピアノの経験がない事を気にされる方を見かけますが、“上達に必要なもの”をご存知なら、ピアノの経験は必ずしも必要ではないように思います。
実際、ピアニストの中には、お母様も音楽の専門家…という方もいれば、そうでない方もいらっしゃいますから。

では、その“上達に必要なもの”が何かというと、これは、なかなか一言で言うのは難しいですね。
素直さだったり、強さだったり、努力だったり、集中力だったり、好奇心だったり、挑戦する気持ちだったり、自分に言い訳しないことだったり…と、その時ごとに違いますから。

指導していて、素晴らしいな…と思うようなお母様を思い返してみると、レッスンがスムーズに行かなくなった時に、お子さんや指導する私の事を責めるのではなく、そのような状況を受け入れて、前向きに努力されているように思います。
そのようなお母様を拝見していると、指導する側にとってもとても勉強になります。

人と人とは、互いに影響しあっているのですね…。
少しでも、良い影響を与え合える器を持った大人になりたいものです…。


2003年08月25日(月) 『天才の読み方 究極の元気術』

ピアノのレッスンについて勉強しようと思った時には、それについて書かれた専門書を読まれる方が多いと思います。
しかし、ピアノレッスンについて書かれた本というのは、著者のピアノレッスンの位置付けや音楽観、人間観によって、具体的な事が大分違ってきますので、自分が求めるものと必ずしも一致するわけではありません。
私も、どうすれば良いか判らず随分悩んだものですが、自己啓発書の類の中には、そんな時のヒントになるものがあります。(このテの本の怪しげなのは、本当に怪しいですけど

『天才の読み方 究極の元気術』斎藤 孝 著(大和書房刊)

最近、話題の本を次々と出版している印象の著者によるこの本も、学ぶ姿勢や物事に対する考え方についてのヒントを与えてくれた1冊でした。
この本で取り上げられているのは、ピカソ、宮沢賢治、シャネル、イチローの4人の天才たちです。
天才を取り上げた本は、他にもありますが、この本の面白く、しかも私たちにも参考になる所は、天才というものを「上達の達人」と位置付けている所です。
「上達の達人」ですから、“学ぶべきものの宝庫”であり、“私たちが持っている多くの課題を集約的に抱え込んでいる存在”というわけです。
そのような視点で、天才が乗り越えた困難や、成し遂げた偉業をみつめ、ジャンルや時代が違っても、共通する部分や、固有の部分を見出していくのは、読んでいて、なかなか楽しいものでした。
特に、シャネルのクリエーターとしての能力の発揮の仕方と、イチローの子供の頃のお父様との練習については、ピアノのレッスンや練習にも通じる部分を大いに感じました。
この辺り、是非、ピアノを指導される先生や、お子さんにピアノを習わせていらっしゃる保護者の皆様にも、読んでいただきたいと思います。

沢山のヒントがありますが、それらの中でどれが印象に残るか…というのは、読む人によって、大分違うのではないか…という予感がします。
私にとって印象に残った言葉を、いくつか並べてみますね。

【ピカソ ― 生きることも創作もすべてプロセスだ】

よく人は「自分なりの」という言葉で自分を守ろうとします。
(中略)
そんなふうに自分にこだわっていると、だんだんとエネルギーが落ちていきます。人間というのは、自分を刺激するような素晴らしいもの、素晴らしい人物との出会いによって、エネルギーを得て、どんどん元気に、大きくなるものです。

【宮沢賢治 ― 自然に身体と心をさらして自己を鍛える】

そこで、宮沢賢治から私たちが学べることの一つは、「知識と体験の深さというのは対立しない」ということです。
学生たちに聞いてみても、「知識より経験が大切だ」と言う人が多いですね。
それは知識より体験の方が価値が高い。知識だけでは役に立たない。知識をつめこむと感性が損なわれてしまうと思うところから出てくるのでしょう。しかし、この考え方は浅いですね。(中略)
実際にはそんなことはまったくないことが、宮沢賢治を読むとよくわかります。(中略)
経験の深さは知識の深さによってよりいっそう深められるということがいえます。

【シャネル ― 孤独とコンプレックスをプラスのエネルギーへ】

本当の教育というのは、自分のために都合のいいようにするのではなくて、相手自身が成長していくようにすることです。

【イチロー ― 完成された技を生み出す集中力のゾーン】

感覚と結果をつねに照らし合わせ、ずれをチェックするような作業ができれば、どのような世界であっても、さらに内側の感覚に潜りこんで敏感に差を感じることができるようになります。こうし内側の感覚を自分でつかむことがものごとを上達させる一つのコツなのです。

天才のエネルギーがどこから出るのかといえば、自分の才能を全開させたいという自分の中の動機がまずあります。しかし天才は、それを続けていく時の苦しさの中で、支えになる存在を何か必ず持っているものです。
天才はその土台に、「感覚を共有できる」「信頼関係がある」存在があって、激しい活動を支えていることができるのです。甘えられる、愛されているということは、非常にエネルギー源になります


これらは、印象に残った言葉の中の、ホンの一部です。
どれをご紹介しようか迷ってしまうくらい、参考になる言葉が沢山ある一冊でした。

ところで、こういう本を読む時には、有益に活用するコツがあるような気がします。
それは、有益な部分だけを覚えて、書いてある事全体に対して、深追いしない…という事。
より、興味がある部分があったら、もっと他の本を読んでみる…という事です。
この本の場合でも、それぞれの天才について、詳しく書かれた本は、他に、もっと沢山あるでしょうし、天才について論じた本も、他にあるかも知れません。
そういうものを読んだほうが、より多くのものを得られると思います。
ピアノの上達には、沢山の曲に取り組んだほうが良いのと、同じようなものですね。


2003年08月20日(水) ものを教えるということ…

先日の、〜 lesson de ラ・パレット 〜の後に、1周年を記念して、北川先生を交えて、お茶を飲む機会を設けました。
これからの活動や、子供にとっての練習のあり方、男の子のレッスンについて…など、有意義なお話をしながら、親睦を深める事ができました。

その中で、ふと北川先生がおっしゃった事が、私にはとても印象的でした。
それは、
「自分が弾いている時に、他人にとやかく言われるのは、誰だっていやなものなんだ」
というような内容でした。
北川先生ほどの方でも…と驚いて伺っていると、それに続いて、
「相手が、聴くに値する事を言う人間だと思うから、仕方なく聴くんだ」
とおっしゃるので、納得しました。
その場でも、結局、他の方たちも、同じように感じていらっしゃる…というのが分り、笑ってしまいましたが、でも、ピアノを指導する際に、指導者が忘れてはいけない部分だな…という気がしました。

考えてみれば、他人にモノを教える…という事自体が、おこがましい事なんですね。
改めて、自分が、生徒さんたちにとって、聴くに値するコメントを言う人間だと思われているかどうか…というのを省みる機会となりました。
それと同時に、自分が習う側となった時には、尊敬している方からのアドヴァイスは、たとえ自分にとって辛口であっても、受け入れられる人間でいたい…とも思いました。


2003年08月18日(月) 8月3日の〜 lesson de ラ・パレット 〜

報告が遅れてしまいましたが、8月3日に、〜 lesson de ラ・パレット 〜は、無事に、一周年を迎えました。
1年間続ける事ができたのは、北川先生の熱意と大勢の方のご協力があっての事…と、皆様には本当に感謝しています。
第6回の 〜 lesson de ラ・パレット 〜では、以下の曲目のレッスンが行われました。

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バッハ:シンフォニア 第8番、第14番
クラマー=ビューロー60の練習曲集 第8番、第31番
モーツァルト:ピアノソナタ 第2番 F-dur K.280

チェルニー30番 23番
バッハ インベンション11番
ミクロコスモス 2巻 57番
チャイコフスキー:子供のためのアルバム 古いフランスの歌

チェルニー50番 8番
バッハ:平均律第1巻より 第1番
ベートーヴェン:32の変奏曲 WoO80
ショパン:エチュード Op.10ー5 Op.10ー12

ピュイグロジェ教本2より モーツァルト分散オクターブ
バッハ:シンフォニア 第3番
ショパン:即興曲OP.29

ドビュッシー:エチュード 第11番 アルペッジョのための
リスト:バラード 第2番

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この曲目をご覧になって、お気付きの方もいらっしゃるかも知れませんが、この中には、秋以降に行われるコンクールの課題曲が何曲が含まれています。
今回の公開レッスンでは、図らずも、コンクールを受けるために必要な事について…というのがテーマとなった形となりました。
人前で演奏するのは、誰にとっても大変な事ですし、そうやすやすと思った通りにできるものではありません。
レッスンで良く弾けている生徒さんが、本番で思うように弾けないこともあり、その点を踏まえた指導というのは、なかなか難しいものです。
公開形式のレッスンでは、人前での演奏を対象にレッスンできるという利点があり、今回は、その利点がとても分りやすく示された気がしました。

もちろん、それ以外の点でも参考になるお話が沢山ありました。
個人的に面白かったのは、チャイコフスキーの『子供のためのアルバム』の中の曲、「古いフランスの歌」についてのお話でした。
この曲には元になっている歌があり、それは、チャイコフスキーがイメージしたようなゆったりしたものではなく、吟遊詩人の歌う、軽やかなものだったとか…。
長年、フランスに在住された、北川先生ならではのお話で、この曲に対するイメージが少し変わった気がしました。

高度な点でも、そうでない点でも、レッスンを聴講しながら、さまざまな経験ができるのは、本当にありがたい事です。
1年間通してきた事で、生徒さんたちの成長の様子を拝見できたのも、他の公開レッスンにはない、非常に勉強になることでした。
次の1年も、きっと、新しい事を学んだり、分かっているつもりでおろそかになったりしていた事を再確認しながら、素晴らしい時間が過ごせる事と楽しみにしています。
ぜひ、興味を持たれた方は、ご参加してみてください。
近いうちに、この1年の活動をまとめたページを作るつもりです。
そちらも、ご参加いただけると嬉しいです。


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