刑法奇行
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2009年05月05日(火) 連休でなるほどザ・ワールド

暦通りの連休であったが、やはり休みが続くと仕事もはかどる。われわれにはダラダラ考える時間が必要なのであり、思考の中断こそ最大の敵である。こういうときにこそ「なるほど、そうなんだ」と納得のいくことも多いのである。
こうなると、ツンドク状態の書物もぱらぱら読む余裕も出てくるわけであり、「そのとおり」と思った書物2点をご紹介したい。

①平川克美『経済成長という病』(講談社現代新書)
秋葉原連続通り魔事件について
「ニュースのキャスターも、新聞も・・・自分たちは可能性としての被害者であるという立ち位置から自由になれない。ここに欠如しているのは自分たちが、どこかで、何らかの行き違いや、思い込みや、あるいは必然によって加害者である『かれ』になり得たかもしれないという可能性としての加害者の視点だろう」(209頁)
「俺たちは、この事件の真相を究明することで、再度かれを社会から切断しようとしている。そうではなく、犯人と被害者と、俺たち自身をもう一度どうやったらつなぎなおすことがことができるのかを考えてみる必要があると俺は思う。」(216頁)
「・・・加害者の逮捕のときの映像を見ていると、私は『許さない』とか『許す』とかいうような言葉づかいで容疑者を断罪する気持ちには到底なれない。・・・『直接的にか、間接的にか、あるいは何かを迂回して』加害者と被害者と自分自身の間に隠れているつながりを何度でもたどり直す以外に、この取り返しのつかない事態を取り返す方法はないように思えるのである。」(217頁)

②太宰治『人生ノート』(光文社知恵の森文庫)
「審判:
人を審判する場合。それは自分に、しかばねを、神を、感じているときだ。」(13頁)

①は被害者問題について、②は裁判員制度について、実に考えさせられる言葉ではないだろうか。こういうふうに考えることのできる人がいることに、今更ながら感動した。高校時代にかぶれた太宰は、やはりすべてが正しいと思う。今は、耳の中がかぶれている。

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