星降る鍵を探して
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2003年09月07日(日) 星降る鍵を探して4-3-1

 その頃の新名克。
 扉を開けると、真新しいリノリウムの冷たい匂いと、あのリィリィ言う不気味な音とが押し寄せてきて、克は眉をひそめた。ゆっくりと中に入り込むと、こつ、こつ、と靴が渇いた音を立てて、真っ白な部屋に静けさが落ちる。
 梶ヶ谷という男は怪盗を捕らえよ、と、どこぞに電話をかけ――恐らく桜井なのだろうが――その後、ここに行け、と克に指示を出したのだった。桜井が来る前にあそこを抜け出したかったし、研究内容を何とか探り出したいと思っていたこともあって、克は従順に指示されたこの場所へと歩を進めたのだったが、
「本当にここだよなあ?」
 つい心配になってしまうほど、この部屋には何もなかった。四畳半ほどの小さな部屋はまるで病室のように白々と仄明るくて、床は廊下と同じクリーム色のリノリウム。今まで誰も足を踏み入れていないのだろうかと思わせられるほど、何の汚れもない。埃すらもない。あのリィリィという、人の神経を毛羽立たせるような不気味な音がいっそう大きくなった他は、取り立てて何も言及する印象がない部屋だった。
 こつ、こつ。
 あんまり静かすぎて、普段ほとんど立てていないはずの克の足音が静けさに響く。
 以前就いていた仕事の癖で、こういう部屋の中は本能的に探らずにはいられない克だった。とりあえず扉の外には誰もいないことを確かめてから、部屋の壁を叩いて回る。指の関節でコンクリートの壁を叩くと、ごつ、ごつ、と中身の詰まった音がした。
 と――
 がつん。
「ん……?」
 先ほど入ってきた入り口の正面に当たる壁に差し掛かったとき、克は眉をひそめた。指で確かめてきたこの壁の音が、ここに来て明らかに変わったのである。目が痛いほどに真っ白な壁に目を凝らすと、克の目線よりわずかに高い位置に、ごくごく細い亀裂が入っているのがわかった。
 亀裂を指で辿る内に、それが大きな長方形を描いているのがわかってくる。
「扉か」
 その場所を忘れないようにしながら、克は数歩、後ろに下がった。梶ヶ谷先生からは、「とりあえずその部屋に行って、作動したら廊下の内線電話で連絡して欲しい」と言われている。何が『作動する』のかはわからないが――桜井の仲間だと思われている以上、質問をすることは出来なかった――万一その扉から何かが飛び出してきても、対処できる位置にまで移動する。
 一体あの扉の向こうには何があるのだろう、と、その細い細い亀裂を見ながら考えた。何よりも気にかかるのは、このリィリィという、人の神経を毛羽立たせるような不思議な音だった。先ほどまではよくよく注意しないと聞こえなかったようなかすかな音だったのに、この部屋に入ってからは、はっきりとその音を辿れるほどの音量になっている。セットで聞こえるヴ……ン、という冷蔵庫の稼働音を更に低くしたような音は、鼓膜をふるわせるのがはっきりとわかるような重厚な質感を伴っていた。
 その時、
 ゴクン、
 という、何か重いもの同士が噛み合わさるような鈍い音が響いた。
 次いで、壁に埋もれて見えない謎の扉が、ゆっくりと、せり出してくる。克は更に後ろに下がった。ヴ……ンという低い音と、リィリィいう不思議な音が、その動きと共にいっそう強くなる。扉は完全にその輪郭を現した。かと思うとほとんど音も立てずに、すう……っと横にスライドする。
 その向こうにあったものを前に、克はしばし呆然と立ちすくんでいた。一番はじめに浮かんだ感想は、『何だこれは』というものだった。扉の向こうには広々とした空間が広がっていて、そしてその中央に、巨大な――
「地球儀……?」
 克が呆然と呟いたのと、
「……見つけたわよ」
 優しいとすら言えるような、女性の綺麗な声が投げられたのは、ほとんど同時だった。


相沢秋乃 目次前頁次頁【天上捜索】
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