雨の色は何色だと思う、と唐突につぐみは言葉を放つ。それまでの沈黙、それもあまりいい意味ではないそのどろりとした空白を断ち切るには充分なきっかけであったので、獄寺はその言葉を耳に入れ、脳を動かしてみた。雨の色、雨の色、
「透明じゃないですか」 「そうよね、透明よね」
そう言ってまた黙り込んでしまうつぐみを見て、彼女は何が言いたいのだろう、と獄寺もまた考え込んでしまった。雨の色、雨の色、たしかに今、窓の外では大粒の雨が降っていて、それは土砂降りといっても構わないほどの激しさで、そのために自分は彼女の家にいるのだけれど、ああ、だからどうしたというのだろう。 何ごとにも深い理解と論理を求める獄寺が、論理の渦に巻き込まれていくのをよそに、つぐみは首にかけたタオルを弄びながら、窓を眺めていた。いや、正確に言えば、窓の外に見えるはすむかいの家の窓を眺めていた。窓には濃い色のカーテンがひかれていて、その内側を見せることはない。しかし、つぐみはカーテンを開けなくてもその中に何もないこと、誰もいないことを知っていた。なぜなら、その部屋の住人は今、委員会の仕事、という名の粛清を行っているからだ、本人がそう言っていたから間違いはない。それを告げられたのがたった10分前、まだ雨の降る前だったので、彼はバイクにまたがって颯爽と道の向こうに消えてしまった。1時間で戻るよ、とそう言い残して。 ああ、だったらあの窓を見ている意味はない、そう気付き、つぐみはふっと目を窓から逸らす。
「あの、つぐみさん、さっきの質問ですけど」
結局納得のいく答えを出せなかった獄寺が、しびれをきらせて口をきった。つぐみは、既に脳のかたすみに追いやられていたさっきの質問、を思い出して、ばかなことを言ったものだ、と自嘲を含めて微笑った。
「ああうん、いいの、忘れて」 「・・・そう言われると逆に気になります」 「うん、そうね・・・」
既につぐみの気は獄寺から逸れて、また窓のむこうがわに向かっていた。目線を少し左にずらし、今度は聴覚に集中した、彼が帰ってくるあしおと、もといバイクのエンジンの音が聞こえるかもしれないからだ。さすがに獄寺にもそれが伝わったらしく、まゆに皺を寄せる。彼は知っているのだ、目の前の想い人が自分ではない別の男に捕らわれていることを、彼女は以前、その男を自分の半身のようだ、と言っていた。それがたまらなく自分を揺らす。
「つぐみさん」
からだの内のざわめきを見せまいと耐えながら、獄寺はつぐみの名前を呼ぶ、遠慮がちに、それでいて熱っぽい声で。つぐみは逸らした目線をまた目の前の男に戻す。
「なあに?」 「俺、雨の色は透明だと思いますけど、白いといいなって思いますよ」 「・・・どうして?」 「だって、そうしたら、」
あなたは外を見れなくなる、
獄寺がそう言って、前に、自分の方に歩を進めるのを、つぐみはまるで映画の中のスローモーションのようだ、と思いながら見ていた。縮まる距離は侵食に似ていて、つぐみの内側の、今頃、血をこの土砂降りの雨で洗い流しているかもしれない男でめいっぱいに占められているある部分を、じわりじわりと、たとえば、雨が大地を濡らすように、侵していく。不思議といやな心地はしない、1つ心をざわめかせるのは、からだの芯が熱く熱くなっていくことだった。 獄寺の右手がつぐみの左手に触れ、指を絡める。左手を頬に伸ばし、触れたときの獄寺の顔は、同じように迫るときのヒバリの顔とは別の種類のものだ、とつぐみは思った。血液が駆け巡ってからだのところどころを熱するさなか、無意識に獄寺とヒバリを比べていることに、彼女は気付かなかった。その時の彼女の頭の中では、雨の色と、昔話と、獄寺隼人をつなげる作業が必死に行われていたのだ。
「わたしはね、」
いままさに、くちびるとくちびるが触れる過程に入ったところで、つぐみが小さな声でつぶやいた。獄寺は水を差されたような気持ちがしたけれど、彼女の言葉を待った。
「灰色だと思ってた」
雨の色、と言葉をつなげて初めて、獄寺は彼女の言葉を理解した。
「どうして?」 「空が灰色でしょ、だから」
小学生のときの話だけど、とつぐみは目を伏せる。それは愚かで、幼い過ちであった、そして今、また過ちを犯そうとしている、それもいつか、愚かだ、幼かった、と懐古する日が来るのだろうか。雨が灰色ではないと知り、その透明な水滴に濡れるのを恐れなくなったように、このどうしようもない過ちを、わらって話せるようになる日が。そのとき、自分は誰と一緒にいるのだろう。そんなことが、ジェットコースターのように彼女の頭をかけぬけた後、はた、と合った獄寺の目線に、つぐみは困ったような顔をして言った。
「でも、今は白がいいな」
真白な壁で、囲まれてしまえばいい、せめて、バイクの音が雨の音をかきけす、あと1時間先までは。つぐみを想いが伝わったのか、獄寺のくちびるはつぐみに触れた、が、つぐみの想いを知っていたのか、雨はその5分後に止んでしまった。白い水の壁のなくなった後には、また窓から、むかいの部屋のカーテンの濃い色がのぞいていた。
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