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■ コルカ・ラタリーレ
=コルカ・ラタリーレ=
詩という形を借りて、誰かが祝詞を唱える。だからなに? ルーツを探れば、彼は東欧ブリヤートの血を引いている。すると、誰かがこう言います。「僕は魂の救済を求む」弾劾も月握もなにも怖れることはない。三つの言葉たちが跳ね回りました。滑稽な寸劇が描かれました。 なんのために僕は生きるのか分からなくなる。 約二百四十回の満月が僕の魂を洗う。そうとも。できることなら、僧侶になりたい。真ん中を突っ切ってブラジルに行くと、もう二度と日の光を見ることは無い。連帯感。賢いのは判断を捨てたやつ。自転車の前輪の空気が抜けた。マッキーペンからシンナーの匂いが漂ったからには、東洋の珍獣たちは踊り狂い、そして、ピラフを食らいます。さて、これ、言葉に意味はあるか? その通り。ホットケーキは蜂蜜派です。
=こういうのって書きたくないけど、普段書くことないから書いてみる=
今から三百年ほど昔、野心と進歩と効率性に燃えたアメリカの博学者たちは、黒人たちを運ぶにはどちらの方法が効率がよいか、に頭を悩ませた。すなわち
・大勢を船に詰め込み、そのうちの何パーセントかを生かして連れてくるという手段 ・少数の黒人を船に乗せ、ほぼ十割の確立で生きたままアメリカの地を踏ませるという方法
ということ。この議論は、確かにそこに政治的対立が含まれるにしろ、合衆国の議会を二分するものであった。
ところで、三百年たった今、どちらがよりよいものであったのだろうか。 後者のほうが、やや、人道的かもしれないね。
2007年05月05日(土)
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