2007年03月14日(水) |
ヴェルサイユ〜エッフェル塔【2】 |
3月13日の続き
駅を出ると、観光客集団は道路を渡って右に向かっています。 コンサートの時と同じで、この群れのあとをただついて行けば良い。 途中、ヴェルサイユグッズを売る店を何軒か見かけました。 しばらく行って左に折れると、おお、あれに見ゆるは・・・ 不覚にも、どっと胸にこみ上げるものがありました。
残念なことにヴェルサイユ宮殿は現在、至るところ修復工事中。 宮殿の外壁や鏡の回廊など、足場が組まれシートで覆われています。 表には資材を山と積み上げ、石畳を掘り起こし、トラックが往復している。 まあ、これだけ人気の観光名所、毎日世界中から人が大挙して 押しかけるのだから、あちこち傷みも激しいだろうし しょっちゅうメンテしてないとダメなのかも知れない。
宮殿内部は勿論ですが、何より見たいのはトリアノン宮と大庭園でした。 パッケージツアーのオプショナルなどを見ると、1万円以上払って 精々2〜3時間程度のガイド付き宮殿見学のみ、というのが殆どです。 バカバカしい。たった2時間でなんか見たうちに入るか。 それに今回、屋内は工事が入り目隠しだらけで、やや興醒めがしました。 入場者は思ったほど多くはないが、見学可箇所は限られているようだし 随所に商魂たっぷりのお土産品売り場が設けられ、些か幻滅を味わう。
ちょっと勿体ないけれど、宮殿内は早々に切り上げて外に出ました。 日差しは暖かく、広大な庭園の散策にもってこいの申し分ない晴天。 トリアノンまではかなり距離があるので、プチトランに乗ることに。 切符売り場には行列が出来ていましたが、順番はすぐ回ってきました。 大人一枚6ユーロ。10ユーロ札を出しコインでお釣をもらうと 狭苦しい席にイタリア人の感じの悪いおばさんと向き合って座る。
プチ・トリアノン宮の前で車が止まったので、そこで降りました。 でも他の乗客は乗ったまま。どうして皆、降りて見ないのだろう。 プチ・トリアノンの入口で、パリ・ミュージアム・パスを見せ そのまま通ろうとすると、おじさんが『ノン!』と言う。 バッグを下ろせという素振をするので、言われた通りにすると 飛行機に乗る時のように、機械に通して検査されました。
階段を二階に上がると、マリー・アントワネットの居室があり そこには、ヴィジェ・ルブランの描いた有名な肖像画が架かっています。 あまり大きな絵ではありません。これは本物なのかな? 幸運にも、その時室内には他に誰もおらず、感無量。 人が来るまで、じっとその絵の前に佇み見入っていました。
プチ・トリアノンの前庭を囲む塀に、小さな出口がありました。 そこから出ると、のどかな風景がゆったりと広がり 池の向こうにかの愛の神殿が見えます。 宮殿と違い、見学者でごった返すこともなく、広々として静か。 小道を辿り愛の神殿に向かう。少し冷たい風が心地良い。
愛の神殿からル・アモーにかけ、のんびり歩いて見てまわりました。 うっかりすると迷いそうな、鬱蒼とした森を想像していましたが 木々は葉を落として裸なので、遠くの景色まで見通せます。 木の枝の形ひとつ見ても、ロココの牧歌的絵画を髣髴する。 それにしても、新しいスニーカーを準備しておいて本当に良かった。 お洒落にきめてピンヒールで小道を歩いて来る日本人女性を見ましたが あの靴でこの広い庭園を一体どこまで歩けるのだろう。私には無理だ。
歩き通しで身体はぽかぽか温かいが、汗ばむほどではない。 頬にあたると気持ちの良い、爽やかな風に吹かれてひたすら歩く。 ピンクの大理石柱のグラン・トリアノン宮を見学したあとは 360度果てしなく見える広い広い庭園を、己の視界の及ぶ限り 目に焼きつけながら、真っ直ぐのびる並木道を通って宮殿に戻った。
まだ気力は漲っているが、股関節が油を切らして軋み出している。 喉が渇いてたまらない。出口付近に売店があり、飲みものを買うことに。 『ボンジュール』 「ボンジュール・・・」 バイトの女の子と喋っていたおばさんが、私に気付き挨拶してくれる。 500ml.の黄色いスポーツドリンクを買い一気飲み。3ユーロ。
そして何度も名残惜しく振り返りつつ、ヴェルサイユをあとにしました。
16時でした。ここはC線の終点なので、帰りは殆どが折り返しで パリに向かうだろうと、停車している列車の二階に乗り発車を待つ。 車内は空いていて、後方に若い日本人男女のグループが乗っており 女の子が大きな声で楽しそうに喋っています。 空いた席にぽつんと腰掛け、窓の外をぼーっと見ていると・・・。
突然わいわい騒々しくなったと思ったら、子供が大勢乗り込んできました。 皆小学生くらい、宮殿でやたらと見かけた修学旅行(?)の集団です。 私の隣や向いにも元気な男の子らが次々座り、車両はあっという間に 満席状態となって、蜂の巣を突いたようなやかましさです。
私のいるボックスの端には、引率の男女教諭が向き合って掛け 子供たちに『静かにしなさい、お行儀良くしなさい』と叫んでいました。 英語だなぁ・・・イギリスから修学旅行に来たんだろうか。 美人女教師は時折、背後の座席に向かって 『ミスター・トラブル!』と悪ガキをアダナで呼び叱っています。 確かユーレイルってあったな。ああいうので来たのかしら。 私が小学生の時分は、修学旅行先なんか高知だった。(激つまんねー) ど田舎の公立だから仕方がないが、それにしても流石欧州だな。
周囲をジャリの壁で固められたお陰で犯罪に怯える必要が全くなかった。 ありがとう子供らよ。こうして帰りはほのぼのした気分で列車に揺られた。 高架の上から見下ろす町並みは、様式美を誇るパリのそれとは違い 工場などの建物が目立ち、無味乾燥なコンクリートのビルも多い。 真向かいに座っている男の子は、時々ちらちら私の方を盗み見る。 東洋人のおばさんが珍しいのだろうか。イギリス人ならそんなことないか。 少しそばかすが浮いているが、綺麗な顔立ちをしている。
昨日は、19時半くらいでやっと辺りが暗くなってきたな。 今は17時前だからまだしばらくは明るい。ついでだから寄り道をしよう。 途中のシャン・ド・マルス・トゥール・エッフェル駅からは エッフェル塔が近い筈だ。 そして私が降りる駅の手前まで来ると、女教師が 『みんな、次で降りますよ〜。準備して!』 と声を張り上げ、子供たちが一斉に席を立って降車口に殺到しました。 なんと、この子たちもこれから同じところに向かうのか! こうして、お子さま大行列のしんがりで列車を降りました。
駅を出て、「エッフェル塔はこちら」の表示に従い セーヌ沿いの道を歩いて行くとすぐ、右側に巨大な塔がどーんと出現。 おおお!でででかい!下から見上げると途轍もない迫力です。 天辺までファインダーに収めるには、うんと仰け反らなければならない。
エッフェル塔の下は出店が沢山出ており、大勢の人で賑わっていました。 その間を縫うように、迷彩服の兵士が数人、ゆっくり歩き回り 辺りを睥睨しています。銃を手に、皆ぎらっと眼光鋭い。 これなら、スリかっぱらいの類も仕事を自粛するだろうから安心です。 彼らはコソ泥なんぞじゃなく、テロを警戒しているんだろうけど。
塔の下をくぐり、シャン・ド・マルス公園の芝生の切れ目から 少しずつ距離をおいて写真を撮りました。 日本人女性が同じようにカメラを構えながら 『デカ過ぎて入り切らへん!』と連れの女性とはしゃいでいます。 ほんまや。うんと離れんとちょん切れてまう。 いつかまた来ることがあれば、その時は上までのぼってみよう。 今回みたいにアクセク時間に追われず、ゆっくりパリを楽しめる時に。
シャン・ド・マルス公園の端まで来ると、ド・ラ・モット・ピケ通りを挟み 正面に旧陸軍士官学校の建物がありました。 ナポレオンの墓があるアンヴァリッドまで行ってみようと思い立ち ピケ通りをしばらく歩いていましたが、考えてみるともう時間が遅い。 諦めて、途中にあったメトロのラ・トゥール・モーブル駅へ。 アンヴァリッド、距離的には目と鼻の先だったのになぁ。
クレティユ・プレフェクチュール行きの8号線に乗り、コンコルド駅へ。 ここには、革命期の処刑場跡であるコンコルド広場があります。 日本で言えばさしずめ、小塚原や鈴ヶ森のような血塗られた場所・・・。 そんなところに噴水を造り、エジプトからもらったオベリスクを建てて 名所として美しくリニューアルしてしまうフランスって・・・。
もうすっかり夕暮れ時、影を帯びて黒く聳えるオベリスク。 彼方に、先ほどのエッフェル塔が少し霞み、並んで見える。 広場を交通量の激しい道路が囲み、車やバスがぐるぐる走っています。 噴水の前で楽しげにグループ写真を撮る若者たちがいました。 往時の陰惨な面影は跡形もなく、偲んでみることさえ難しい。
クリヨンホテルと旧海軍省の建物の間に、マドレーヌ教会が見えました。 ここで処刑された国王夫妻の遺体は、マドレーヌ墓地まで運ばれ 無造作に埋められたそうです。享年今の私と同い年。 しかし現在のコンコルド広場を見る限り、感傷の入る余地もなく 何千人という刑死者の魂は、恐らくこの場所に留まってはいない。
隣接するテュイルリー公園に、広場脇の階段をのぼって入る。 すぐに目に入るのは、ジュ・ド・ポームの建物。 三部会の時、テニスコートの誓いが行われた場所です。 今は入口がガラス張りになり、写真などが展示されているらしい。 ここから夕陽を眺めたあと、痛み出した足を引きずるようにして 駅に戻り、1号線でパレ・ロワイヤル・ミュゼ・ド・ルーヴルへ帰りました。
ホテルの側に、パティスリー何とか(名前は忘れた)という パンやお菓子を売っている店があり、そこで夕飯を買いました。 マッシュポテトと牛肉の惣菜、スープ、パニーニ。10何ユーロだったか。 部屋で開いてみて、しまったと思いました。 大して食欲はないのに、どれも食べきれない量。 しかもまずくて、特にスープは死海の海水かと思うほどしょっぱい。 飲んだら腎臓を傷めそうな気がして、全部捨てました。
18時半頃、人心地ついてから国際電話をかける。日本時間深夜2時半。 立つのがやっとのシャワールームのクソ狭さに辟易しながら 何とかシャワーを浴びました。当然バスタブは付いていない。 硬水の湯で、椿油を大量に使ったのに髪がバサつく。
その夜も水を大量に飲んで寝る。歩き疲れた。多分22時頃。
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