睦月の戯言御伽草子〜雪の一片〜 Copyright (C) 2002-2015 Milk Mutuki. All rights reserved
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記憶は薄いのだけれど シマリス2匹と父とあたしとアパートに住んでいた。 ガテン系だった父は朝必ず生たまごを飲む。 あたしは今では考えられないほど体が弱かったので 無理にも飲まなければなかった。
家の台所にはあのころ家庭によくあったパイプのテーブル 上にはジンやウィスキーなどのアルコールの瓶と新聞。
朝は嫌いだった。
仕事に行く為か近くの幼稚園へ面接に行ったことがある。 見事に落ちた。クリスチャンの幼稚園で 父の仕事は土木関係。14時ころに迎えにこれるわけがない。 ずっと自分が面接で名前も言えないからだったのだろうと思っていたが 今思えば親の都合が遭わなかっただけなのだ。
結局は祖父の家に引き取られる事になった。 多分3〜4歳のころ しばらくは祖父の仕事についていっていた。 どこに行くにも祖父がつれて歩いたと後年祖母が言っていた。 ただ、一度だけ泊まりの仕事でどうしても帰れないことがあった時には 約束していた靴を探して夜中に帰ってきたという事もあったらしい。
祖母曰くこのころのあたしは賢かったらしい 大人の話しをよく聞いて祖父の商談最後の一押しがあたしの一言。 なんてこともあったらしい。その才能どこ行った・・・。
5歳になって祖父のコネで幼稚園に入る。 市内では誰もが通わせたいという幼稚園だ。 制服がかわいい、結構遠くまで幼稚園バスが走っていた。 さすがに祖父の家の近くまでは走っていなかったので 毎日祖父が送り迎えをしてくれた。
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