こころの大地に種をまこう 春名尚子の言霊日記

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2004年12月06日(月) 【 蓮追想 】1 19才の私からの手紙


蓮の花が好きだ。

泥の中で芽を出して、やがて天を目指し葉を広げ
美しく芳しい花を咲かせる。
私はいつまでも蓮の花に憧れる蓮根だった。

蓮の根が花ひらかせるためには、
泥の中からはじまる生命であることを認めなければならない。
私は、その泥を見ないふりをしてここまでやってきた。

けれど、時がやってきた。
勇気を持って踏み出そうと思う。
泥の中から這い出して、さまざまなものと出会い
上へ向かうことを怖れずに、泥水から顔を出そう。

しかしそれでも、美しい蓮の花の根は、泥の中に在る。

すべてをつなぎ、輪を描き、和をもたらす
悟りのうてなに、すべてをゆだねて
私は文字をつづってゆくことにしよう。

【 蓮追想 】


10年前の私から手紙が届いた。

19才の私のノートにつづられた、29才の私への手紙。
それに気づいたのは9年と11ヶ月目の満月の日。

ふとはじめた掃除がきっかけだった。
山のように溜まったネタ帳をぱらぱらとめくっていたときだった。

そのタイミングに身体がふるえた。

日付は、沖縄に移住する直前の1993年6月24日

私はたくさんの不安を抱えていた。
解消できない過去をひきずっていた。

小学3年生のとき両親が離婚して、私は母とふたりで家を出た。
5年生になったとき、5才上の兄と一緒に住むようになった。
以来6年間、私が家を飛び出すまで兄から暴力を受けつづけた。

創価学会信者の母は、それをカルマだといって目をそらし
私は暴力から逃れることはできなかった。
性的虐待を受けずにすんだのが幸いだが、
その間の記憶を失うほどの日々が私の少女時代だった。

15才で音楽と出会い、16才のときスピッツと出会った。
湾岸戦争が起こり、はじめて“声”が聞こえてきた。
私は、声に導かれ、音楽に支えられて家を飛び出した。
そして喜納昌吉と沖縄の強烈な自然に出会った。


19才の私からの手紙の内容に、私は涙した。

19才の私はたくさんの想いを抱えて、
10年後の私にむけて言葉少なに手紙を書いた。

 10年後の私は幸せですか?
 あなたはいまなにをしていますか? 

19才の私からの手紙を受け取った29才の私は、
ちょうど10年後の2003年6月24日に
彼女に手紙を書くことに決めた。

その日以来、私は少し変わった。
精一杯日々を生きていたあの日の私に、
誇りを持って今の自分を紹介できるように。

愛と祈りとともに生きることに決めた。

2003年5月16日から6月24日まで、
まわりの人が驚くくらい清らかな日々を送った。
たくさんのことを教えてもらった。


2004年11月27日の満月の日。
これまでのことを書きはじめなさいと“声”が聞こえてきた。
何からはじめればいいのか、わからないままに、
こんなに日が経ってしまった。

暴力や怨念や憎悪という
悪循環のスパイラルを断ち切るには
私が私を愛するしか方法がない。

愛を発しつづけるしか方法がない。

親から受け継ぐカルマがあるとしても、
私はそれを子には伝承しない。
それが、私の愛だ。

世界を愛で満たすために、私は生きる。

そのことを学ぶために、私の子供時代はあり、
兄もまた加害者ではなく被害者だったことに
11月11日に、気がついた。


私からは、暴力を発しない。
私に限っては、暴力は暴力を生みださない。
苦しみと時間を経て、私の中で学びと愛を生みだした。

けれど、それをもう他の人が学ぶ必要なんてない。
傷ついて“なにか”を学ぶ必要なんてない。

だから私は、すべてをさらけ出してゆこう。
赤裸々に私の通ってきた修羅の道を描きつづけることで、
暴力をこえる愛が存在することを立証しよう。


私のイキザマで実証したいのだ。

愛することは、なによりも美しいことだと。


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