雨草子
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雨の嫌いな男を好きになった。 彼のうちへ行った日、雨が降っていた。 夜の道を歩く。 手をつないで雨の夜を歩く。 彼は憂鬱そうに見えた。 手も冷たく、握り返されることもなく、 ただただ、私が手を掴んでいるだけだった。
朝方まで触れ合いながら微睡でいると、 雨音が大きく聞こえ始めた。 「万物生・・・。」 彼が呟く。 「万物生だね・・・。」 私も呟く。
帰るときになってもいまだ雨は続いている。 彼は傘もささずに、私を外まで送ってくれた。 別れ際、彼は無表情で言う。 「もうここへ来たらだめだ。」
桜の木から、桜の花びらが落ち、地面に薄汚れた桜色をして横たわっている。 水溜りに浮かんだ桜はまだ、桜色をしていてかろうじて元の姿を保っている。 そんな姿でも桜は、手に届かない美しさを放っていて、私の手は空を切る。
私は記憶の中に閉じ込める。 今日の万物生を・・・。 彼の姿を・・・。
※万物生とは春の雨を総じていう。
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