母のタイムスリップ日記
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お願い
この日記は 介護のすべてが記録されている訳ではありません。 また私の取り組みが正しい訳でもありません。 介護の取り組みはそれぞれ異なります。 本人の育成歴や環境によって違うと思います。 直面する課題もそれぞれですね。 そんなことを踏まえて読んで戴ければと思います。
母を見送って間もなくひと月 経とうとしています。 諸手続や母の物を整理しながら これまで関わっていた介護者の会やディメンシアカフェの立ち上げ準備をお手伝いや地域のサロンや助け合いの活動をしています。
納骨の日も決まりました。 納骨に関しては すべて弟たちに任せています。
悲嘆にくれている自覚もないのですが ふとした時間の隙間に寂しく感じる時があります。 母がいなくなったことをゆっくりゆっくり受け入れながら今を過ごしていこうと思っています。 不思議なのは時を経るに従い 母はショートに行っていると感じるようになっています。
日記に記している日もありますので省きます。
4月13日 夕がたショート先より電話があった。 発熱し痰の絡みが少しあるとのこと。 たまたま夫の故郷に出かけていた。 すぐに戻れないので 解熱剤を使い 衣類の調整をして様子を見て貰 うことにした。
4月14日 家に戻ってショート先に電話をして様子をうかがう。 熱は下がって落ち着いているとのことだったので夕方まで待つこと にした。 ショート先より戻ってからは 日記に記載されている。
4月15日 いつものようにデイサービスを利用。 熱発はなく食事も全量接種したと報告有り。 ただ デイにいる間目を瞑っていたそうだ。
4月16日 デイ利用のない日。 痰が絡んでいるので通院。 かかりつけの医師がお休みの日なので近所の診療所へ。 抗生剤と去痰剤を戴く。
4月17日 デイはお休みして家でゆっくりと過ごしてもらう。 ベッドで休んでいたわけではない。 「起きていたい」と意思表示するので車椅子で過ごす。 車椅子で過ごしたほうが痰がらみの咳は少ない。 日記に記載済み。
4月18日 デイはお休みした。 食事の摂取量は普段の4分の1ほど。 呑み込みが悪「食べる?」と聞いても困った表情をした。
4月22日 デイへ。 食事は全量摂取。入浴あり。 夕食は 普段の5割。 時折意欲をなくしたような表情を見せる。
4月25日 デイへ送り出したものの 入れ歯を洗浄しその後装着せずにデイへ。 デイでは 完全ミキサー食で対応してくれた。 痰が絡むので吸引したとのこと。 夕方通院。 今後 往診していただけるかを確認。かかりつけ医の変更を決めた。 翌週にこれまでの経緯をかかりつけ医にいただくことにした。
4月26日 痰がらみが強いので娘の友人で訪看をしている方と施設で介護士をし ている方に吸引器の相談。 デイで吸引しているので家でもしたほうがよいのではないかと思った から。 通院の折 医師は吸引しなかった。 吸引機は医師に言えばすぐに準備してくれることを介護仲間より情報 を得ていたが それはもう少し先で良いのではないかと思っていた。
娘の友人たちは 状態にも拠るけれど在宅では ベビー用の鼻つまり用 の吸引器具で間に合うと思うと返答あり。
とりあえずベビー用の吸引機で対応。 実は 先を見越してポンプを押して手動で吸引する器具をネットで 購入した。けれど ポンプを押しながら吸引するのはうまくできな かった。ベビー用のものは ドラックストアで980円で購入。 管の短いものと長いものの2種類あった。長いほうがきれいにできるよ うだった。
4月27日 痰は時折出るがひところより少なくなった。 母自身 自分で痰を切ろうとしていた。 食事の摂取量は少なめながら食べてくれた。当然ミキサー食。
4月28日 痰も絡まず体温も平熱。座位もしっかり取れておりスプーンを口に 運べば口を開いてもぐもぐして飲み込んでいた。 ショート利用は可能と判断して送り出す。 10時17分 母はショートの車に乗り込んで出かけた。 11時近くに ショート先より電話があった。 バイタルチェックで痰がらみなし。平熱。血圧 正常。 少し呼吸が浅いように感じるので救急搬送します。とのことだった。 「あ どうか 遠くの病院へなりませんように…」と思いながらこれま で利用している病院への搬送希望を伝えた。 そのやり取りしている間に「呼吸が停止しました。救急車を待ちます 。」と。 救急車がついて「延命希望されますか」と幾度も聞かれた。 そのたびに「希望しません」と伝えた。 その時ほど命を預かっているのだなと感じたことはなかった。 おそらく母は脳死状態。 搬送先が決まるまで少し時間がかかった。 その間に 夫や娘や弟に連絡した。 搬送先が決まり私もそちらへ向かった。 私が到着すると医師は心電図を見ながら「延命を希望なさいますか 」と聞いてきた。「希望しません」と伝えた。 しばらくして「只今亡くなりました」と医師は静かに言った。
夫と娘はしばらくして病院へとついた。 私は警察の人から聞き取り調査を受けた。 これは通過儀礼なので仕方のないことと以前から受け止めていた。 その後母は警察署で検死を受けた。
検視した医師は死因は「原因不明の呼吸不全」と言った。 非常識を承知しながら「年齢を考慮して老衰というわけにはいきませ んか 」とダメ押しをしてみた。 医師はしばらく考えてから「百歩譲って老衰による呼吸不全」として くれた。 後でショート先の職員に聞いたところ今は老衰とせずにできる限り 詳しい死因を書くようにと指示されているとのことだった。 素人だからお願いできたことだった。
その後 ちょっと時間があるときに警察の方から「褥瘡もなくきれい なお身体でしたね」と言われた。 その言葉が「頑張っていたのですね」と言って貰えたような気がし た。
こんな経過だった。
痰がらみが出てきたとき「病院へ入院」「もっとすべきことがある のではないか」と悩んだ。 過去に講演して戴いた石飛先生の言葉で「人は水だけでも十分生き られます」というお話を思い出し幾度も反芻した。 また国立の新田 医師 が「在宅で看取るときには家族はひたすら我慢 が必要になる」といっていたなあとも思った。 介護仲間が「いつでも電話してね」という言葉も強い支えとなった。
在宅で看取っていくということは我慢が必要であること。 そして私にはその責任があると思った。
この後 もうひとつの大きなストリーがある。 これも多くの介護者が直面することだろうと思う。 このことを記録に残すか悩むところだ。
しかし そんなドタバタが深い悲しみに浸りきらずに静かに葬送し なくちゃと動けたのだろうと思う。
掲示板への書き込みやメールを戴きありがとうございました。 20数年にわたり 家の事を半ば放棄していましたので 後始末がいっ ぱいあります。 今日も20年前に母が付けていた食事記録帳がひょっこり出てきまし た。 そうだったそうだったと苦笑しながらしっかり文字をかけてたんだな と懐かしく思い出しています。 これから私のタイムスリップ日記となるのでしょう。
何となく尻切れトンボになりますが このあたりで終了します。 本当にありがとうございました。
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