耳鳴りおやじの日記
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...七夕である...この前、久しぶりに七夕の歌を歌ったが良かった...
...最近、エリート学生の犯罪が目立つ...おそらく、ほとんどのエリートは犯罪とは無縁なのだろうが、ひとりでも事件を起こすとイメージが残る...
...問題のすべては有名国立大学入学という目的にある気がする...とにかく、ブランド大学に入学すれば後は卒業できるし、社会は優遇する...
...就職が信頼を買っている以上、ブランド大学は強い...しかし、エリートの世界でしか歩んでこなかった連中は、だいたい甘やかされているから、社会性はない...
...私も昔は不良(今もかも)だが、どこまでやっていいかという基準はあったし、それを越えることがどういうことになるかという判断はあった...
...どんなに親が憎くても殺す行為に至るのは、小学校から(幼稚園から)全く成長していない...
...これを解決する方法は2つある...ひとつはブランド大学の卒業率をかなり厳しくすること、もうひとつは教養教育の単位取得を厳しくすること...
...東大に入っても勉強をしなかったら退学というプレッシャーにさらされれば、甘えることはない...さらに教養を厳しくすれば初等中等教育が変わる...
...どうせ、会社は大学名しか見ていないのだから、卒業をむちゃくちゃ厳しくさせればいい...理系に入っても徹底的に教養単位を厳しくする...専門より厳しくする...
...厳しくしてもブランド校は学生が集まるから問題なし...
ブランド大学に入学しても教養の単位が取れなくて卒業できないというケースが増えれば変わる...と思うのだが...
...しかし、まあ、学生がおかしくなっている...
...米倉が出ているドラマ...夫婦で見るドラマではない...歌はいい...
...毎回、楽しみにしている”プロフェッショナル”...プロと呼ばれるおやじやおばはんを紹介して、あーだこーだと話す番組...
...人によっていろいろな考え方があるだろうが、この番組を見ていると プロというのは自分の能力のぎりぎりのところで仕事ができる人ということになるのかもしれない...
...誰もが自分を成長させたい、大人になりたいと少なからず感じている...そのときに絶対乗り越えて行かなくてはいけないハードルがある...それはだいたい自分の能力のぎりぎりラインである...
...オープンエンド...どんな到達点にもその先がある...そのハードルを乗り越えるとまた、次のハードルを越えたくなる...
...優れた研究者は失敗を気にしない人だと聞いたことがあるが、そういう人はたくさんの挑戦をしている人でもある...
...村上龍の”シールド”ではないが、組織や派閥の盾ではなく、自分の盾を作るために自分なりの多くの挑戦と失敗を繰り返さなくてはいけないのかもしれない...
...なんとなく、情けなくなってきた...追い込みが足らない...
2006年07月06日(木) |
レジの子と東京バナナとドラマ |
...もう少しで授業終了...ドラマも始まったが、みずきありさ主演のドラマってどうしてこう面白くないのだろう...
...いつも夕飯を買いに行くスーパー...そこにとても気になるレジの子がいる...
...非常に礼儀正しく、一生懸命に仕事しているのがよくわかる...特に、おつりを返すときに”ありがとうございまーす”という言葉...おやじの心にぐさりと突き刺さる...
...語尾の”まーす”という伸ばし方...どこかで聞いたことがある...むむむと考えていると、あ、”東京バナナ”の売り子だ...
...東京駅の東京バナナの売り子はどうして語尾を”まーす!”と伸ばすのだろうと不思議に思っていた...
...ということは、レジの子はもしかして、東京バナナでバイトしていたのではないか...
...結婚かなんらかの理由で関西に住むことになって、レジでパートに入っているに違いない...
...ドラマが面白くないとどうもくだらないことを考える...しかし、羅生門はまだましか...
...
2006年07月04日(火) |
ドラマから今を考える |
...教務課に文句のメールを書いたら、それなりの回答が帰ってきた...説明できるなら最初から説明すべきだ...
...例のリンチ殺人と言い、親殺し放火殺人といい、何か子供がおかしくなっている...
...格差社会が進行すると、今になって総中流時代が良かったなんて話が聞かれる...資本主義と共産主義がバランス良く、共存できた時代は理想的な日本だったのかもしれない...
...格差社会の問題は必ずしも努力した人が成功しないことだ...格差はやむを得ないという小泉首相の真意がつかめない...
...我が輩は主婦である(またきた)...一見、親が子供ぽいがそれがいい...子供のような大人であることを子供は見ている気がする...それは弁護士のくずも同じ事かもしれない...
...子供ぽい大人はいいが、大人が子供では困る...大人が子供では本当の子供が不安になる...今はそんな世の中になっている気がする...
...引退した中田が自らのHPで語ったが、語らずも中田の姿勢はファンに伝わる...それが大人というものだ...
...究極のおやじが最近はいなくなってきた...やはり、おやじは背中で語り、子供はそんな背中を見て育つ...
...ああ、そんなおやじになりたいのだが、なれない!!
...誕生日祝いで何を買うわけでもないので、家族で少し離れたもくもくファームというところに行ってきた...
...この場所はとても便利なところとは言えないが、なんと年間30万人が訪れる場所である...今まで3回ほど訪れたが、その意味がよくわかる...
...とにかく、食事がおいしい...それも何から何まですべて美味しいのである...その上、環境教育的なこだわりがいろいろあって、実に斬新である...非常に癒される空間だ...
...ゆっくりしたいのだが、マンションでややこしい議論をやるというので、しょうがなく急いで戻ってきた...ホント、忙しい誕生日だ...
...何か、訴えるとか訴えないとか、そんな話になっているらしい...それもほとんど、おせっかいおばさんが先導して話が進んでいるらしい...参加すると、なるほどこれはまずい...
”私ががんばっているのになぜ、みなさんはがんばらないの”
”そうちゃいますの”
...最後の語尾に”〜の”ってつける言い方ってなんか気分が悪い...しかも議長だ...
...疲れた...娘からの誕生日レターが一番良かった...やはり、娘はいい...
...誕生日が近いので、職場でケーキを頂いた...有り難い...
...障害を持つ長男が中学進学...頭が痛い問題だ...
...近くの中学に話を聞きに行くというので嫁さんと行く...
...中学という場所に久しぶりに入った...なぜか懐かしい....
...おやじは私だけだ...お母さん方と先生の会話...なぜかかみ合わない...
...女性にはありがちだが(失礼!)、とてもおしゃべりだが、何を言っているのかわからないタイプ...質問されても、要点を捉えず、関係ない話をして、自分で完結し、質問とは関係ない話をしてまた自己完結...
...コミュニケーションとは話を多くすることではない...と考えさせられる...
...非常に優秀だと思われる女性教授と何回か話すと、ほとんど会話をしないにも関わらず、よく理解できる...
...コミュニケーションの基本はやはり洞察力だ...相手が何を質問しようとしているのか...もしわからなければ、自分が繰り返し整理する...そして聞き返す...
...質問を理解できれば、適切な答えを端的に返す...できないことをできるとあいまいな答えを返しても、不安感が増すだけだ...
...養護の子供にすべての教科を教えて欲しいという質問に
”もちろんやりますが、自立訓練も大事です”
...というのは答えではない...
...そういえば、この前の国際学会でバリバリの女性教授が講演して、かなりまわりくどい質問をされたが、少し考えて...
”NO”で終わった...その瞬間、質問者も理解したし、聴衆も納得した...
...やはり、女性は凄い...おやじはだめだ...
...暑くてばてばて...
...なかなか、次の一歩が踏み出せない状況の中で、動物実験をしている先生から連絡が来た...
...”試料をお分けしますよ”...とのこと...これはラッキーである...
...新しい校舎はきれいで、実験室も良かったのだが、本校舎から離れているため、どうも寂しく感じる...
...しかし、ひさしぶりの動物実験...懐かしくもあり、かわいそうでもある...これがだんだん、麻痺してくるのだろうか...
...そういえば、昔、300匹以上はさばいていたなあとか、勝手にゲージから逃げて捕まえたなあとか、思い出された...
...ネズミならまだしも、サルとかを実験動物として使う心境ってなんか怖い...
...どうせなら、高等動物ではなく、菌とかハエとか、カエルですましたいのだが、そんなわけにいかないか...
...しかし、最近の倫理規定...ハエとかカエルとかはないのだろうか?...
”カエルちゃんがかわいそう”という女子大生も増えてきているし、学生のニーズにあわせて、倫理規定をつくったら面白い...
...ただ、ゴキブリを実験につかっているところもある...ゴキブリの倫理規定だけできなかったりして...そんなもんである...
...少し、研究進展...
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