モテるといふ事(其四) - 2002年06月13日(木) ちょっと個人的なことを書く。 僕が「モテる」という「概念」をはっきり意識したのは、小学生のころ、GSブームというのがあり、その時以来である。 GS、グループサウンズとは、まあ、日本におけるロックバンドのハシリなのだが、見てくれは長髪でヒッピー風ではあっても、やっている音楽はまったくの「歌謡曲」であった。 それはともかく、このGSブームでの女性ファンの熱狂ぶりはすさまじかった。 今のジャニーズ系だの、ヴィジュアル系バンドだのの比ではなかった。 ライブをやれば、もう会場内は黄色い喚声の渦、なんてレベルではない。 阿鼻叫喚地獄といいますか、演奏がクライマックスに入ると、失神するファンが続出、PTAからはコンサート禁止令が出る騒ぎともなっていた。 そんなものすごい騒がれかたをしているGSは、現在のジャニーズ系あたりのアイドルタレントと違って、必ずしも美少年、美青年のみの集合体ではなかった。 むしろ、人気のあるグループには、たいていしっかりした音楽的才能をもつリーダー格の男性がいて、そういうひとはどちらかといえば地味めな容姿だったりしたものである。 ほんとうに芸能人っぽいのは、フロントで聴衆をあおる、リード・ヴォーカリストぐらいのもので(たとえば、ジュリーやショーケン、野口ヒデト)、他のメンバーは、よくよく見れば「並み」のルックスの男性も多かった。 それを見て、僕はひらめいた。 「そうか、バンドをやれば、そんなにハンサムでなくても、女の子から騒いでもらえるのか!」 つまり、「音楽」という、女性の好みそうなものを付加価値として持てば、必ずしも長身ハンサムでなくてもオッケーということを鋭く察知したのである。 バンドマンはモテる。そゆこと。 で、実際には中学3年あたりから、僕もそういうバンド活動を始めた。 以降、大学2年のころまで、断続的にフォークやロックのバンドをやっていたものである。 ではバンドをやって、モテモテになったかというと、残念ながらそうは問屋がおろさなかった。 というのは、女性ファンを引き付けるための、「華」のあるフロントマンがうちのバンドにはまったくいなかったのである。 僕はヴォーカルとギターを担当していたので、本来フロントをつとめないといけないのだが、その器ではなかった。 おまけに、残るベース、キーボード、ドラムス、いずれも華々しさには欠けた地味な男ばかりだった。 ステージをたまに観に来てくれるのは、おさななじみの子とか近所のおねーさんくらいで、いわゆるグルーピー的存在の女性は絶無。 バンドをやればモテると思ったのは、まったく読みが甘かった。 バンドは、もともとモテる要素を持っている人間がやれば、ますますモテモテになるが、本来まったくモテない人間をモテさせるほどの「魔力」はないのである。 無から、有は生まれない。 だから、せめて、ひとりはもともと「モテる」タイプの男を入れておかないとダメってこと。 GSも一時は何百もあったようだが、結局、スターになれたのはひとつかみのグループだけだった。 それらトップ・グループには、必ずひとりやふたり、音楽をやっていなくてもモテただろうなというメンバーが必ずいた。 他のメンバーは、その恩恵を大いに蒙っていた、ということだな。 教訓:本来モテない男性が、モテるためにバンドやスポーツなどをやったからといって、モテるようになることは、ほとんどない。 ... モテるといふ事(其参) - 2002年06月12日(水) これまでは、 「モテないひとは、一生モテない」 とか、 「自分は、モテない過半数のほうに入っていると割り切ったほうがいい」 とか、ちょっと(かなり?)辛口な意見を書いてきたが、少し観点を変えて書いてみよう。 すべて世の中のことは「考え方しだい」というところがある。 とりあえず、たとえがわかりやすいので、またまた、お水関係の話にする。 たとえばあなたが、あるお店にフリーで行って、初めてついた女の子が割りといい感じの子で、あなたも気をよくして彼女に携帯の番号なり、メール・アドレスを教えたとしよう。 翌日以降、彼女からお礼の電話、あるいはメールとかが来たとする。 ここで、 「彼女は、僕にかなり気があるのだ」 と思ったひと、それはかなり考えが甘いとしか言えない。 メールをくれるということは、 「また、お店に来てくれ」という意思表示であって、あなたと個人的に付き合いたいということでは(たぶん)ない。 しかし、 「なんだ、営業メールか、つまらないな」」 としか思わなかったひと、それではあまりに夢がないのでは? たしかに、その電話なりメールは、8割がた営業的なものであるだろう。 が、残り2割は、それなりに「彼女のチョイス」が加わったと見てもいいのではないかと思う。 つまり、その女性のキャラにもよるのだが、お客さんから携帯の番号やメールアドレスをもらっても、あまり好きなタイプではないお客には自分からアクセスしないという子は、結構多い。 (これは僕自身も現実的に体験していることだから、たぶん間違いない) 自分を指名してくれるお客ならそれこそオタクでもヒッキーでもいい、なんて子はごく少数派で、ある程度は自分のメガネにかなったお客でないと、「営業」をかけないものなのである。 だから、営業コール、営業メールとはいえ、「来ただけマシ」と考えたほうがいい。 同様にして、同伴やアフター、さらには休日のお付き合いをしたからといって、即「自分に気がある」と判断するのは愚かだが、まったく好意を持っていないお客に対しては普通やらないことだから、そういう依頼があることは「あるだけマシ」と考えたほうがいいだろう。 世の中には、そういったことすら頼まれない「カヤの外」のひとも少なからずいるのだから。 だからといって、むやみに「これは脈あり」と暴走、やたらと女性に個人的な付き合いを迫るのはいただけないけどね。 先方の同伴等の依頼はこころよく引き受けるが、だからといって多くの見返りは期待しない、というような、あっさりとした態度のお客が好まれるのは、間違いない。 いいじゃないの。自分の本当の彼女になってくれなくたって。 世間のレベルからいえばかなりみめうるわしい女性と、何時間かを一緒に過ごせるだけでも、十分ありがたいことじゃないの。 そういう、ポジティブな考え方をし、かつ心に余裕を持てば、自然と女性からのウケがよくなり、ひいてはたまに本当にモテたりする。 「モテたい」という欲望のオーラがモロに出ている人間、ガツガツした人間は、絶対モテることはないのである。 (この項、さらに続く可能性あり) ... モテるといふ事(其弐) - 2002年06月11日(火) 「モテる」ということについて、ほんの少しだけ科学的に考えてみる。 動物全体を見渡すと、すべての個体が配偶対象を持ちうる種など、ごくごく一部に過ぎない。 おおかたの動物は、ごく限られた数のオスが何匹、何十匹ものメスを「寡占」するというのが通例だ。 それは、結局、身体能力・生命力にもっともすぐれたオスの遺伝子を残していくために、一番有効な方法なのであろう。 さて、文化を持ち、社会というものを形成して生活している「人間」の場合は、そうはいかない。 どんなに人並みはずれた魅力を持った男性でも、イスラム教国などをのぞけば、一度にはひとりの女性としか結婚してはいけないことになっている。 これはもう「国家」「法律」による規制だから、さからいようがない。 独身男性が複数の女性と交際することについては、法律による規制はないのだが、「二股、三股をかけている」などと言われて、倫理的見地からはあまり好ましいことではないとされている。 特に有名人などの場合は、マスメディアによって厳しくバッシングされることが多い。 それに対して、真っ向から反論した有名人は、ひとりもいない。 結局、なにかモラルに反することをやっているかのように言われて、グウの音も出ないのである。 (僕が思うには、限られた期間のうちに、出来るだけいい相手を見つけようとしたら、二股、三股もやむを得ないような気がするんだが…。) かくして、魅力ある男性たちも、いくら女性が群がって来たとしても、ひとりの女性と付き合って結婚することしか許されないし、魅力のない男性も、そのおかげで、彼らに女性をひとり占めされることなく、結婚するチャンスを確保できるのである。 なんとも、見事な「平等社会」ではある。 しかし、これは果たして健全な社会かどうか。 どんなに「法律」や「モラル」の規制によって、モテる人間が複数の異性を寡占することを阻止してみたところで、 「モテないものはモテない」 これまた真実なのだから、マスメディアあたりが 「誰でも自分のことを好きになってくれる異性をひとりは持てるはず」 みたいな平等幻想を万人に抱かせるのは、いかがなものかと思う。 「富は偏在する」 ということわざがあるが、 「魅力もまた偏在する」。 これもまた、真実だと思う。 だからこそ、数の限られた「魅力ある」ひとびとをつかった、「俳優」「タレント」「歌手」と」いった「人気商売」が成立するのである。 そういうことを、皆うすうす感じてはいるものの、気づかないふりをしているのではないだろうか。 「モテないひとは、一生モテない」 くらいの認識をし、 「自分は、モテない過半数のほうに入っている」 と割り切ったほうが、人間、「モテたい願望」に一生ふりまわされるよりは、心安らかに生きられると思うんだがなあ。 これって、反感をかう発言? (この項、さらに続く) ... モテるといふ事(其壱) - 2002年06月09日(日) 前回のテーマに関連して、「モテる」ということについて、書いてみる。 一般にオトコどもは漠然と、「女性にモテたいなあ」と考えている。 ま、かくいう僕もその例外ではない(笑)。 しかし、そうは夢想してみたところで、たいていの場合、なるようにしかならない。 「モテる」というのは、前回も書いたように、ごく少数のオトコにのみゆるされる状態なんだから。 容姿も、才能も、財力もごくごくフツーのレベルで、まったくモテなかった男性が、ある日突然モテるようになっていた、などということはありえないといってよい。 つまり、大多数のオトコは「モテている」という実感をまったく味わうことのないまま、一生を終えるのであり、それが「健全な社会」なのである。 しかし、そうはいっても世のオトコの多くが、「モテる」状態への見果てぬ夢を見つづけているのも事実だ。 でなけりゃ、あんなにキャバクラが繁盛するわけがない(笑)。 キャバクラに代表される擬似恋愛産業は、多くの男性の心理を実に巧みにつかみ、翻弄し、莫大なる利益を誘導する、たぐい稀れなる「知能集約型ビジネス」だと思う。 きょうもまた、キャストの女性の携帯電話やメールに誘われて、一体何万人のオトコどもが鼻の下を長くしてお店を訪れることだろう! ま、それはいいとして、僕がいつも思うことは、モテたがっているオトコに共通した「盲点」「陥穽」がひとつあるように思う。 それは、彼らの心の中では「モテる」イコール「自分の好きなタイプの子、可愛い子にモテる」ことになっているということだ。 自分の魅力が、自分の好みの子だけに伝わり、彼女だけから好かれる。 そういう虫のいいことを、おそらく全員のオトコが夢想しているのである。 しかし、「モテる」という状態は、本来相手を選ぶものではない。 たとえば、今モテモテの美男歌手といえば、福山雅治、Gackt、藤木直人あたりだろうが、彼らのファン(ほとんど100%が女性)を見ると、容姿に関しては、世間一般のレベルより低めの女性がほとんどだな?と思う。 (なかには少しマシな女性もいるが、全体から見れば、ごく少数派である。) これは実は理の当然であって、ひとというものは「ないものねだり」で生きていくものなのだ。 容姿に恵まれない人間は、せめて容姿のいい異性と結婚してブサイク因子をやわらげないことには、子供が永遠にブサイクの繰り返しになってしまう。 だからこそ、あまりご面相のよろしくないひと(男女を問わない)に限って、相手のご面相に執拗にこだわるのである。 つまり、多くのモテる美男は、器量のあまりよくない女性たちの、絶大なる支持があらばこそ、あんなにモテているのだ。 彼らにとっては、「モテモテで、うれしくもあり、うれしくもなし」といったところがホンネなのではなかろうか。 だから、多くのモテたがっているオトコどもの「カワイ子ちゃんだけにモテたい」願望など、まったく噴飯ものだと思う。 修業がまったく足らん! ブ●なファンにもきちんと愛想をふりまいて、しっかりと商売しているモテ男たちのツメの垢でも煎じて飲みなさいっての。 「モテ道」もまた、キビシイ道なのである。 この項、奥が深いので、また回を改めて考察を進めます(笑)。 ... 黄金時代 - 2002年06月05日(水) 「ひとは誰でも、モテてモテてしょうがない時期が、一生に一度はある」 なんて俗説がある。 つまり、誰しも「モテモテの黄金時代」が一度は来るという説だ。 僕の会社の先輩にも、その存在を信じて疑わないひとがいる。 もう五十に手がとどこうかという彼いわく、 「僕は独身時代、一度もモテたことはない。女房もしかたなく、見合いでもらった。 が、死ぬまでの間に一度はモテるというからな…」 なんていいつつ、今日も女の子のいる酒場通いにうつつを抜かしている。 つまり彼は、 「(若い頃はまるでダメだったが) 今、バリバリだぜい! (あるいはバリバリになりそうだぜい!)」 と言っているわけなのだが、 果たしてそうか? だいたい、根拠はあるのか? それは甚だ疑問ナリ。 なんかその俗説に、そうやって自分を鼓舞でもしないととても生きていけない「オトコの悲しいサガ」を感じるのは僕だけであろうか。 論理的に考えてみるといい。 もし、仮に「黄金時代」が誰にでも訪れるというのなら、男女を問わないはず。 つまり、あなたの周辺でもっともモテない女性である、あのお局サマ、あのブーコだって、そのうちモテる時期が来なきゃ、おかしいってことになる。 でも、そんなことが起こりうるなんて、誰も本気で思わんでしょ? つまり、若いころモテなかったオトコが中年以降になってモテたとしたら、 それは「モテている」んじゃなくて、 無理やり「財力」によって「モテさせている」だけってこと。 そんなのは、「モテる」うちに入れたらあきまへん。 だいたい、少数の人間だけが享受している「おいしい状態」だからこそ「モテる」という表現に意味があるのに、魅力のない人間まで含めた大多数の人間がモテている状態になってしまったら、「モテる」「モテない」という言葉を使う意味などなくなってしまう。 8割の人間がモテて、2割の人間がモテない、というのではおかしいのである。 だから、中年以上のオトコが「モテる」ようになったといったって、たいていは「自己申告」。 しかも相当なコストがかかっていたりする(笑)。 金などかけずとも女が群がってくる、本当の「モテモテ男」の実態を知れば、そんなことを言って虚勢を張るのがいかになさけないかわかるはず。 ま、そのへんは回を改めて紹介しようと思うが、いずれにせよ「モテる」「モテない」は「天性」の問題であって、努力でどうなるというものではない。 「ゴマメの歯ぎしり」をしたって、しょうがないのである。 ... たまには日記らしく(藁 - 2002年06月04日(火) 朝、メールボックスを開けてみたら、 最近行きつけの酒場の、わりとよく指名するAという女のコから 「4日はワールドカップ記念で6時から開店します。 よかったら来てください」 みたいなことを書いてある。 そーいえば以前、お店に行ったときに、そんな話をしとったなあと思う。 W杯期間中は、店内にいくつもある、ふだんセクシーアイドルのビデオとかを流しているモニターで(どんな店やちゅうねん)、試合の生中継が観られるというのだ。 しかし、何が悲しくて、ワールドカップをわざわざ女性のつく酒場で観なきゃいかんのだ! ふたりして、ブラウン管を食い入るように2時間弱観て、 「ああ、楽しかった」と、1万なんぼの高いお勘定を払うのか? 観たかったら、家でタダで観られるでしょうが。 女のコだって、ほとんどがW杯限定の、にわかファンだろう。 彼女に解説でもしてあげて、少しは尊敬でも勝ちえようとでもいうのか? よーわからんぞ。W杯(便乗)イベント。 ということでAちゃんには、 「都合が悪いので行けません。メンゴ」 とメールを送っておしまい。 果たしてそのイベントは成功したのか、不発だったのかは、Aちゃんから報告を受けないことにはよくわかりません(笑)。 ... 独身男性M君の場合 - 2002年06月03日(月) 僕の友人でM君というひとがいる。 彼は僕より2才下だが、今でも独身。 離婚歴もない、まっさらの独身。 地方の大学を卒業し、就職のため東京に出てからはや20年。今も都内在住。 だいぶ以前に会社(大手のメーカー)をやめ、何人かの友人と小さなIT関連の会社を興している。 業績はこの不況下にしてはまあまあで、そこそこ食べていけるそうだ。 さて、彼によれば、 「今まで、女性とまともな交際をしたことがほとんどない」 という。 そこにはなかば彼の「照れ」もまじっていて、事実そのままとはとても思えない。 とくに会社を立ち上げ、事業を軌道にのせるまでの約10年間は、女性と付き合っているどころではなかったといえるし。 が、男性はふつう、実際より経験が多いように話すものだから、彼の申告、あながちウソでもないようだ。 さすがに○ーゾクなどもひととおりこなしてきたようなので、「ドーテイ」ではないようだが、少なくともここ10年ほどは、恋人がいないもよう。 彼いわく 「この年齢で女性と付き合おうとすると、まわりには同級生の売れ残りオバチャンしかいないし、そんなのだったら付き合ってもしょうがないし、下手に気をゆるすと、すぐ結婚を迫ってきそうで怖い」 とか。 なるほど、適齢期を大幅に過ぎた女性と付き合うということは、「交際即ウェディング・ベル」なんてことにもなりかねないから、さすがに二の足をふむんだろうなあ。 付き合ったらかならず結婚しなくちゃいけない、なんてリスクを背負わずに、気楽な交際をしたいのだったら、束縛されることを嫌う、うんと若い女性にしくはない。 でも、以前書いたように、30代後半でもモテている連中がいることから考えれば、彼が若い(20代の)女性と付き合うことも不可能ではないと思う。 M君は、小柄でやせ型、ものすごく若作りというわけではないが、彼と同年代のオヤジ連中と比べれば、まだまだ全然若い印象。 20才くらい年下の若い女性と付き合ったって、十分オッケーだと思う。 ま、そこまでいかずとも10才以上年下であれば、彼としてはいいみたいだが。 仕事柄、若い女性とコンタクトすることもまったくないワケではないそうだが、彼のようなシャイなひとは、そういう仕事関係の女性とプライベートでも付き合うなんて大胆なことはムリそう。 そうなると、どうしたらいいか。 いっそのこと、ネットで募集するなんてのは、どうかな? うん、試してみる価値はあるかも知れない。 ということで、ネットでこの日記をお読みになっている女性の皆さん、一度M君とカジュアルお見合いをしてみませんか? 連絡、待ってます。 ...
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