新連載二回目 - 2003年05月04日(日) 「ルナハイツ」の第二回を読んだ。 前回は、念願のマイホームが会社の女子寮に化けてしまい、その入居予定の4人が登場するまでをかけ足で描いていたので、今回はそのフォロー的な展開。 主人公南條が上司の部長によばれ、自宅の女子寮化の一件について話をする。 南條的には、まだ元婚約者への未練があって、どうも踏み切れない。 「風紀上、好ましくないじゃありませんか!」などと、グズりだしてしまう。 しかし、部長は、ひとつ屋根の下でどの女子社員でもいいから結婚してしまえ、とハッパをかける。 けっきょく、南條のアタマがまだまだ固くて、それを見て課長や部長たちは、「彼にはショック療法が必要だ」と考えたのだろうね。 婚約者が突然バイバイを言い出したのも、南條の融通の利かなさに、ヘキエキしていたためかも。 その後彼は、入居予定者の4人のもとを訪れて、入居を思いとどまらせるよう説得工作をしかける。 それぞれの女性キャラの違いが、それにより明らかになるのだが、 ★日高りん=ミーハー、可愛いもの大好き ★茅ヶ崎裕子=仕切りたがり、おせっかい ★土屋重子=変わり者、極端に無口 ★大月窓明(まどり)=マイペース、さばさば という明確なキャラわけがなされている。 もうこのへんは、見事なまでの「黄金分割」的マンガ構成技術だ。 計算しつくされてます。 で、ところどころ小技もきかせてあって、南條が 「僕は、愛のないセックスなんか、絶対しない!」 などと大見得を切ると、まどりが、 「キモーイ」 と引いたりするあたりが、笑えます。 やはり南條クン、まだまだアタマでっかちで、そこが元彼女の友美サンに逃げられた理由なんだろーなと、感じさせます。 で、すべての説得工作に失敗、悄然と自宅に帰ってきた南條を、 「おかえり」 という言葉で迎えるまどり。 そこで初めて「こういう生活もいいかな」と感動して、思わず入居をOKしてしまう南條。 わりと単純なのだ。 彼のアタマの中には、 「まどりだけは”まとも”そうなんで、彼女とだけなら暮すのもいいかな」 なんて思いが実はあったはず。 しかし実際には、近くに残り3人もスタンバイしていて、ちゃっかりと言質をとって、家の中に上がり込んでしまう。 このマンガ、たぶん最終的には、まどりと南條が「いい仲」になるんだろうが、あとの3人のせいで、その「進展」はかなり難航しそう。 ま、そこがストーリーとして面白くなる要素でもあるのだろうね。 この回は、どの部屋を自分が取るかモメにモメて、じゃんけん勝負になって終わる。 前途多難を象徴する幕切れだが、なんか楽しそうでもある。 ひとりの女性と結婚して、息のつまりそうな不自由な生活をするより、おたがい気楽にいいたいことをいえる、こういう寄り合い所帯も、悪くないかも(笑)。 ... 新連載マンガ - 2003年04月13日(日) 先週金曜に発売された「ビッグコミックスペリオール」を、ひさしぶりに買って読んだ。 というのは、星里もちるさんの新連載「ルナハイツ」がスタートしたのである。 僕は特に星里さんの大ファンというわけではないが、「ビッグコミックスピリッツ」に連載を持っていたころはわりと読んでいた。 「りびんぐゲーム」とか「ハーフな分だけ」とかね。 そのレトロな絵柄とか、かなりのんびりとした演出・展開も、意外と嫌いではないのだ。 とくに女の子のキャラクターがかわいいので、ついつい読んでしまう、というのが本音かな(笑)。 今回の新連載も、例によって「人のいい独身男性」が主人公。 (星里さんの作品はたいていそのパターン) 恋人との結婚を控えて、思い切って三階建ての広い建売住宅を購入したのに、家の完成日に恋人からいきなり婚約を破棄されてしまう。 それも何も理由を告げられずに、別れを一方的に宣告されてしまうのだ。彼にも思い当たるフシはまるでない。 (ちょっと不自然だけどね。マンガだからしかたがないか) で、上司の課長に酒席でそのうらみつらみをぶつけたことがきっかけとなり、何故か彼の新居が会社の女子寮となってしまう。(相当ムリっぽい展開) 第一回では、その住人となる若い女性社員4名がさっそく、今後「ルナハイツ」とよばれることになる彼の家へやってくる。なんとも忙しい展開(笑)。 これから、それぞれにクセのありそうな美女4人と、フラレ男との同居生活が始まるのだが、展開次第ではなかなか面白い話になりそうな予感がある。 ヒット作になれば、映画化、TVドラマ化とかもあるかもしれない。 となると、この主人公役を演ずる俳優は誰になるのかな。 こういう役、むかしなら、石黒賢(さらにさかのぼれば江藤潤か?)あたりがピッタリだったろうが、今ではどうも見当たらない。 妻夫木聡クン? 違うなあ。 彼には東京の中流以上の家庭の匂いは、まったく感じられない。 窪塚洋介クン? まるっきり違う。 ただの素行不良な、カネモチのドラ息子って感じだ。 もちろん、小泉孝太郎クンなどでは、断じてない(笑)。 彼は、成績が悪くて大学を除籍処分になるような役しか、出来ませんって。 育ちがよくて、性格も悪くなくて、頭もよくて、女性にもけっこうモテるのだが、本質的にあまり苦労をしていないし、悪女にもひっかかったことがないので、気がまわらないし、女性の気持ちがよくわからない、そういうキャラでないとダメなのよ。 俳優なんてヤクザな職業に進んでいなければ、銀行員か商社マンでもやっていたであろう、そういう雰囲気のある男性でないと勤まらない。 そういう意味で、昔の(20代のころの)中井貴一か、石黒賢にしか出来ない役かも知れない。 世の中、アウトロー的なキャラの俳優は掃いて捨てるほどいるけど、育ちのいいサラリーマン役がはまる俳優は意外に少ない。 キムタクみたいに、いかにもグンタマチバラキ出身の、庶民的なイケメンばっかりなんだよなあ。 アクションヒーローものに出演するような茶パツにーちゃんばっかりでなく、たまには、育ちのよさが顔に出たタイプの俳優が出てきてほしいもんだ。 ... “もてキャラ”に学ぶ(2) - 2003年04月01日(火) 年代を問わず、女性に一番モテている男性有名人といえば、キムタクこと木村拓哉だろう。 彼の王座はここ十年近くも、まったくゆらぐということがない。 結婚しようが、子供がふたりも出来ようが、である。 しかし、しかしである。 彼ぐらい桁ハズれの人気があると、もう「ファン全員の共有物」であって、誰のものでもないという気がするね。 そういうのを嫌って、あえて超メジャーな人気者は無視、「わたしの占有物」的な男性タレントを探す女性も、一方では多い。 彼女たちは、キムタクのような爆発的な人気こそ出ないものの、ルックスもそこそこいけてて、コミカルな演技も出来、いい味を出している男性タレントを見つける嗅覚が非常に鋭い。 そういう「通」な彼女たちのおめがねにかなったオトコたちを、何人かあげてみよう。 たとえば、西村雅彦。 彼は「古畑任三郎」の今泉刑事役で当たりをとったが、いかにもドジで情けないキャラに徹したのがよかったようだ。 現実の西村さんは決して、ああいう「ダメオトコ」ではなく、むしろ相当な「スタイリスト」じゃないかと思うのだが、ミョーに人間臭い役に恵まれたことで、好感度が一気に上がったという気がする。 CFでは、田中麗奈の父親役などもやっているが、ああいう心配性で口うるさくお節介な父親をやらせると、実にハマるね。 いってみれば、配役の勝利。 彼はフツーの「好青年」役などやらないから、むしろ人気が出たとさえいえる。 それから、最近では、オダギリジョー。 国籍不明ふうの名前、ちょっとハーフっぽいルックス。 いわゆる「いいオトコ」の部類に入れてもよさそうな彼なのだが、わりと「くせ」のある役柄が得意のようだ。 坂口憲二だの、織田裕二あたりがお得意とする、万人向けの「好青年」タイプより、ちょっとおビョーキがかった、繊細なキャラクターが彼には似合う。 あるいは、妙に脳天気ではじけた役柄とか。 あと、ミッチーこと及川光博もその路線に近いな。 彼のもつ、正統派ハンサムとは違った、ちょっと妖しいムードは、当然、「好青年」の枠にはおさまりきらない。 どこか心にトラウマを隠し持つような、そんな陰のある青年を演じさせたほうが、しっくりと来る。 誰もが「あのひと、素敵ねえ」というタイプではないが、本人の持ち味と、「役」のキャラが見事にマッチすると、得がたい「味」がうまれるのである。 いってみれば「嗜好品」。 相当「クサイ」のであるが、ハマるとクセになる。 そういうキャラ受けするタレントをよーく観察して、あなた自身の演出にも役立ててみよう。 ... “もてキャラ”に学ぶ(1) - 2003年03月23日(日) ディズニー・アニメといえば、もちろんミッキー・マウスがそのキャラクターの代表選手であるが、実はミッキー以上の人気キャラがいるのを、皆さんはご存知だろうか。 それはなんと、「くまのプーさん」なんである。 元々は英国の作家A・A・ミルン作の童話(1926)の主人公として生まれたプーさんであったが、作者の死後1966年にディズニーによりアニメ化されてはや37年。 今や「プーさんシリーズ」は、ディズニー・アニメの定番として高い人気をほこっている。 ケニー・ロギンス作曲の「プー横丁の家」なんてヒット曲もあるくらい、アメリカ人に広く親しまれたキャラなのだが、この彼のどこが人気かというと、やはりその性格だと思う。 彼の仲間にはティガー、ピグレットといった騒々しいキャラが多いが、プーさん自身はあくまでもマイペースでのんびりしている。 そこがいいのだと思う。 なにか事件が起きても、あわてず騒がず、ゆったりと行動する。 ピグレットのようにキイキイうるさい小心な人の話も、面倒がらずちゃんと聞いてあげる。 この「大人(たいじん)」のようなキャラに、女性は不思議とひかれるようだ。 アメリカだけでなく日本でも、女子学生・OLを中心に根強い人気があったりする。 プーさんのキャラクターを参考にして、合コン・合ハイ等でモテるコツを考えてみよう。 まず、「オレがオレが」と、でしゃばらない。 (押しの強いオトコは、おおむね嫌われる) 自慢話をしない。 (オトコの自慢話に素直に感心する女性は少数派) 聞き上手、尋ね上手に徹する。 (即ち、女性を気持ちよくさせるのがうまい) 自分のことは聞かれたときだけ、簡潔に答える。長々と語らない。 (高倉健さんにも通じる、潔さがいい) ひとの話でなく自分の失敗談を笑いのネタにするくらいのゆとりを持つ。 (女性というものは、えてして自分ではユーモアをうまく表現できないものだが、ひとのユーモアを解することは出来るものだ) 女性を容姿などで差別しない。タイプの子ばっかりを追いかけない。 (こういうことに関しては、女性はものすごく敏感なものだ) 話の輪に入れないひとにも、きちんと気配りをする。 (座持ちのうまさとは、こういうこと) 格好をつけない。 (解説不要) 他人と張り合わない。 (角突き合うのは小物の証拠) ガツガツしない。セカセカしない。マッタリといく。 (相手の女性に安心感を与える、これが一番) 要するに、ニュートラルさ、さりげなさ、包容力が大切ってこと。 さて、男性諸君は、どこまでプーさんに迫れるかな? ... 一周年 - 2003年03月22日(土) ちょこちょこと書き続けてきたこの「まーくん的日常」も、おかげさまで満一周年をむかえることが出来ました。 よくある「三日坊主」で終わらずに済んだのは、無理に毎日書こうとは思わず、「書けるときに書けばいい」と気楽に構えていたからではないかと思います。 これからもマイ・ペースで書き続けていくつもりですので、どうか末永くごひいきに。 さて、最近感じるのは、同性・異性を問わずひとから好かれるのは、やはり「キャラ」だなということ。 もちろん、その土台にある「容姿」も重要な要素ですが、それと同じくらい重要なのは、話し方、身振り手振り、クセ、思考パターンといったもろもろの要素を含んだ「キャラ」なのだと思います。 「好かれるキャラ」とひとことで言っても、いろいろなタイプがあります。 万人に受け入れられるキャラも、もちろんありますが、そういうのは得てして、「広く浅く」的な支持しか得られないことが多いようです。 逆に「通好みのキャラ」というのもあって、こちらは支持者の数こそ少ないですが、ファンの熱烈度に関しては前者の比ではありません。 次は、この「好かれるキャラ」についての考察をしてみたいと思います。乞う御期待。 ... オトコにもてるオンナ(6) - 2003年03月16日(日) このテーマも書き出したらエンドレスになりそうだが(笑)、今回でひとまず終わりにします。 恋愛小説、恋愛映画の永遠のテーマのひとつに「三角関係」がある。 それも多くはひとりの女性と、ふたりの男性を描いたものだ。 女性はもちろんみめうるわしく、でもどこか多情なところがあって、本能のおもむくままに行動してしまうタイプ。 ひとりの男性に心と体を許しているのだが、ささいな理由で彼と喧嘩してしまったときに、たまたま優しくしてくれた別の男性と、後先考えずに関係を持ってしまったりする。 結局、元の恋人に「やりなおそう」といわれても、すでに新しい恋人と抜き差しならぬ状態になっている。 ふたりの男性は彼女を巡って対立し、刃傷沙汰にまでなることもある。 そうして、最悪の場合は、人ひとりの命まで犠牲になることもあるのだ。 ひとはこういうヒロインのことを、かつては「悪女」「毒婦」などと呼んでいたようだが、なんのことはない、女性の社会的地位が向上した現代では、ごくありきたりの話であるね。 実はこういうケースが、僕の近辺にもあった。 女性は、かつてはミスコン荒らしの常連でもあったくらいの美女。 東南アジア系のエキゾチックな顔立ちで、モデルのようなアルバイトもやっていただけあって、プロポーションも完璧。 とりわけその脚線美は超一級品だった。 また、そのような容姿でありながら、別に気取ったところもなく、むしろサバサバとした性格であった。 そんな彼女だから、男性にモテないわけがない。 そんな彼女が仕事の関係で知り合った、とある大手広告会社のやり手営業マンS氏(独身)に見染められ、熱烈に口説かれて付き合い始める。 付き合って数年たったころ、別の男性の影が彼女にさしはじめる。 彼女が転職した先の会社にいた先輩社員、彼は妻子持ちだったのだが、大胆にも彼女に言い寄った。 そしてほどなく、オトコとオンナの関係になってしまったのだ。 最初の彼、S氏とも完全に別れないうちに。 その先輩社員は 「妻と別れて、君と一緒になりたい。だから、彼氏とは手を切ってくれ」 といって彼女に迫ったそうだ。 さらには、そのS氏にも、彼女と別れるよう頼んだともいう。 しかし、S氏はへこたれなかった。 「なんで妻子持ちのアンタに、独身のオレが彼女を渡さなければいけないんだよ!」 と食い下がった。 そのうち、妻子持ちの男性は、その話が妻にばれてしまい、彼女にこっぴどく責められることとなる。 こうなると、事態はもう、完全に彼に不利だ。 結局、女性は最初の彼のもとに戻り、しばらくして、何事もなかったかのようにふたりは結婚することになる。 この話をひとづてに聞いたとき、僕は、 「なんでその女性は、一時とはいえ妻子持ちの男性なんぞに、ころんでしまったのだろう」 と疑問に思った。 だって、僕はその両方の男性を知っていたのだが、妻子持ち氏のほうが「いいオトコ」というわけでは決してなかったのである。 ふつう、独身で経済力もあり、見てくれも悪くないオトコと、妻子持ちのオトコを天秤にかけたら、どちらかを取るか。 言うまでもないだろう。 にもかかわらず、一時の彼女は、妻子持ちのほうにかなり傾いていたのである。 実は彼女は、派手ではじけたルックスとは裏腹に、かなり頭の切れるタイプであった。 そして、まず「本心」というものを、他人に簡単にさらさないひとでもあった。 ブオトコだろうが、妻子持ちだろうが、決してどんなオトコに口説かれても、「あなたのこと、嫌い」とはいわない。 もちろん、簡単に「イエス」ともいわない。 よくよく相手を吟味して、ゆっくりと答を返すのである。 つまり「引っ張る」のがうまい。 口説かれたら、条件反射的に「イエス」か「ノー」を返す、世の中の大半のオンナとは、だいぶん頭脳構造が違うのである。 ま、多くのオトコから言い寄られていれば、自然とそういうワザが身につくのかもしれないが。 そんな彼女のことだから、その妻子持ち男に対しても、特に拒絶するでもなく、淡々とかかわりあっていたのだろう。 で、オトコのほうが、どんどん熱くなってのめり込んでいった、ということなんだろうな。 こういう高度な技術を持った、知能犯的な「オトコたらし」はたしかに存在する。 その「能力」は素質によるものが半分、実地による習得が半分といったところだろうか。 そして、たいていの場合、オトコは見事に彼女の魅力にハマって、破滅する。 が、女性の方は、意外としぶとく、オトコのようには破滅などしない。 「三角関係」というものは、往々にして修羅場を招くものであるが、彼女くらい頭が切れればなんとかなるものだ。 たとえ、その関係が露見したとしても、女性が確かな判断力を持っていれば、最悪の事態は回避できる。 その証拠に、約10年の歳月を経た今も、ふたりは別れることなく、結婚生活を続けているのである。 (一方、妻子持ちの方は、その数年後、妻から三下り半をつきつけられ、いまだに独身でウロウロしていたりする。情けないのう。) いやー、彼女こそまさに「恋愛のプロ」、そういう気がする。 「モテる」ということは、さまざまなリスクを伴うわけだが、それらにひるむことなく、解決していけるとは、プロ以外のなにものでもない。 …ですが、だからといって、誰にでも出来るというものではないので、万事にフツーのレベルの方々は真似しないほうが身のためですが(笑)。 ... オトコにもてるオンナ(5) - 2003年03月12日(水) お水と並んで、オトコにもてなきゃハナシにならない商売といえばやはり、「アイドル」だろう。 今回はこのアイドルのお話。 アイドルの人気というものは、実におもしろい。 送り手が「これは絶対当たるだろう」と狙いすまして世に出しても、全く不発の場合もあれば、「こんなのたぶん売れないだろうな」とたかをくくっていたのが意外にバカ売れしてしまう場合もある。 もちろん、狙ったとおりに売れる場合もあるにはあるが、そういうのに限って消えるのも早かったりするから、まことに不思議なものである。 たとえば、「モーニング娘。」が五人組でデビューしたとき、現在のような人気グループに成長するとは、一体誰が想像出来たであろうか。 プロデューサー、つんく♂氏自身だって、実はまったく予想出来なかったはずだ。 単体(ピン)ではとても売れそうにない子を五人束ねただけで、超人気グループとなったのだから、これはマジックのようなものだ。 しかも、マジシャン自身、果たして受け手がその魔術にうまくかかるかどうか、予めわからないというところがおもしろい。 とにかく、やってみるしかないんである。 ところで、アイドルといったって、一皮むけば年頃のフツーの女の子たち。 いくらカワイ子ぶったところで、素顔はワガママで、オキャンで、かしましい娘たちに過ぎない。 その実体を知ったら、ファンなどつかないだろうなと考えたのが、昔のアイドル・プロデューサー。 初期の松田聖子のように、脱兎のごとき「素顔」をあえて隠して、カワイ子ふうの「演技」をさせる(グループなら、無理にでも「仲良し」さんを演じさせる)。 あるいは本当に「天然」系の子を連れてくる。 そのふたつしか道はなかった。 しかしつんく♂氏は、また違う手を使った。 彼女たちの「地」のキャラを生かし、かつ多人数でそれぞれに役目を割り振って、メンバーたちのやりとりそのものでおもしろさを生み出す、という手を取ったのだ。 これは関西出身で、「お笑い」の世界もよく知っており、バンド活動を通して「キャラ立ち」の重要性を熟知していた彼ならではの発想であった。 おおげさに言えば彼は、アイドル・プロデュース法における「コペルニクス的転回」を成し遂げたのであった。 彼の手腕により、モー娘。たちは自分たちの「欠点」を、大きな「魅力」に変えることができた。 背が低い。あるいは高すぎる。決して美人ではない。プロポーションだって十人並み。足も細くない。 性格だって、けっこうキツかったりする。 こういった、一般に「欠点」としか思えないものが、「親しみやすさ」の源になったのである。 つんく♂氏が自著の中で「男は“おかんな女”が好き」と言ったのは、そういうことだと思う。 それは「見てくれ」を優先するあまり、各メンバーのキャラ立ちにほとんど無頓着な、他のアイドル・グループと比較してみれば、よくわかるだろう。 ここにまさに「モー娘。」人気独走の秘密があると思う。 女子校の寄宿舎でくりひろげられているような世界を、包み隠さずに見せる、そういう手法で「モー娘。」は最強のアイドルとなった。 「顔」や「プロポーション」なんてのは、実は本当の決め手にはならない。 やはり、ありのままの「人間性」、これにオトコどもはひかれるんである。 「作りもの」としてのアイドルから、「あるがまま」のアイドルへ。 若者たちの多くにとって芸能界が「雲の上」ではなく、地続きの場所としてとらえられるようになっている今、このパラダイム・シフトが着実に進行しているようである。 ...
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