営業? - 2003年08月22日(金) 7月28日の項に書いたお店に、また行ってきました。 もちろん、Tちゃんというその子を指名。 前回までは、知り合ってから3か月以上たっていたのに、彼女の年齢ってよく知らなかったのですが、今回話をしているうちに、自然とわかりました。 なんと、まだ21才。 誕生日はまだこれからだとしても、僕とは見事に「ふたまわり」は違うのですな。 ある意味、感動しました。 僕には子供はいませんが、もしいたとしたら、そのくらいの年かっこうの娘がいたって変ではないですからね。 (現実には僕は晩婚なんでムリですが、大学を出てすぐ結婚していれば不可能ではありません。) わりと落ち着いたことを言うので、23、4かなと思っていたのですが、予想以上に若いんですねー。 そんなTちゃん、その後もあいかわらず、週イチペースでしか店に出ていないようです。 曜日が決まっていて、休み前の金曜日だというのが、お客としては「空振り」にならなくてありがたいですが。 ちょっと遅い時間に行ったので、1時間あまりしか話が出来ませんでしたが、彼女の携帯&メアドもしっかり聞き出し、僕のも教えることが出来、「一歩前進」といったところです。 Tちゃん、いわゆる「色恋営業」を一切しない子だとこれまでは思っていたのですが、まったくそういうのでもなさそうです。 というのは、僕とTちゃんの会話を傍で聞いていた、僕の連れの某君がTちゃんに、 「Tちゃんって、●●(僕の名前)のこと、よく知ってるよね」 とつっこんだら、 「恋人ですから」 と笑いながら答えたので、 「へー、Tちゃんも、そういう営業トークをさらりと出来るんだ」 と内心思ったものです。 ま、彼女も、見た目はいつまでも新人みたいな初々しさを漂わせているものの、このお仕事も足掛け3年。 それなりに、お客の喜ぶツボを習得しているのでしょう。 それとも、営業じゃなかったりして!?(ありえなーい!の外野の声多し。) ... 青春に乗り遅れ(四) - 2003年08月04日(月) バーベキュー・パーティの翌朝、僕たち参加メンバーは、かなり遅くなってから起き上がってきたのは、いうまでもない。 僕たちの多くは、なにか近辺に観光に出かけるでもなく、だらだらと喋ったり、カードやボードのゲームをしたりして時間を過ごした。 そのうち、日も落ちてきたので、東京に帰ることになった。 大半の連中は箱根湯元までおりて、そこから小田急線に乗って帰るというコースを選んだ。 当時山手線の某駅近くに住んでいた僕も、その流れに加わった。 みんなスネかじりか、さもなくば薄給の勤め人だったので、ロマンスカーなんて高いものには乗らず、ふつうの列車に乗って、のんびりと帰って行った。 車中で話をしているうちに、Mさんは、僕と比較的近いエリア、それもふた駅となりという至近距離に住んでいることがわかった。 しかし、だからといって、同じグループの仲間であるという以外、まだ大した接点、趣味など大きな共通点もないMさんに、 「そうか、近所なんだ。今度一緒に、どこか遊びに行こうよ」 なんて気安い言葉が僕にかけられるわけもなかった。 「あと、何回かこういうパーティに出て、もう少し親しくなってからだよな、そんな誘いをかけるのは」 そう思って、その日はMさんに対し、何らかのアクションを起こすのは控えることにしたのである。 そのうち、いつのまにか、列車は終点の新宿駅へ到着してしまった。 Mさんは、比較的仲のいいらしい他の女の子ひとりと、新宿でショッピングをするらしく、 「じゃあ、おつかれさま」 という言葉とともに、新宿駅の雑踏の中に消えて行ってしまった。 そうして。 それきり、Mさんともしばらく会う機会がなくなってしまった。 適齢期の男女が多かったグループのメンバーが、その後続々と結婚して、それぞれが自分たちの生活で忙しくなってしまい、その後、パーティの類いは開かれることが稀になってしまったからだ。 たまに開かれたとしても、僕はさらに多忙な職場に移ってしまったので、まったく参加出来る余裕などなかったのである。 約2年後、とある結婚パーティの案内状が、僕のもとに届いた。 そこにはMさんが今度結婚する旨が書かれていた。 お相手は、僕と同業のH社に勤めるSさんというひとだった。 知り合ったのは、ここ一年くらいのようだった。 案内状には、やたらと「お似合いの美男美女」「オシャレなカップル」というような表現が躍っていて、読むのがいささか辛かった。 幸か不幸か、そのパーティの日は、多忙極まりない僕にとって出席出来ない日であった。 「欠席」に○をつけ、僕は出欠ハガキをポストに投函したのであった。 こうして、僕の淡い感情は、誰にも知られることなく、終わってしまった。 そして、他の恋も見つけられないまま、僕は28才を迎えようとしていた。 イベントにはなんとか、ギリギリで駆け込んで参加したつもりだったが…。 が、結局、僕は「青春に乗り遅れ」たままだったのだなと、この時、強く実感したのだった。 あのとき、少しでも声をかけてさえいれば…。 わが青春に大いに悔いあり、である(苦笑)。(この項・了) ... 青春に乗り遅れ(三) - 2003年08月03日(日) 山荘の建物の引き戸は、すでにしっかりと鍵がかけられていた。 しかたなく、僕は軽くそれをノックした。 そして言った。 「こんばんはー」 ほどなく、ひとりの女性が「はぁーい、どなたー?」と言いながら、やって来た。 前に一度会ったことのある、Kさんという僕と同年代の、ややぽっちゃりした女性だった。 すでにムウムウのような部屋着(寝間着?)に着替えていた彼女は、戸を開けるや、自分の服装を意識したのか、一瞬恥ずかしげな表情になった。 後ろから何人かの仲間がぞろぞろとやって来た。 「ええーっ、●●君、今来たんだ! もう、絶対、こられないと思ってた」 と彼らは口々に言う。 「それにしても、よく来たねえ」 と、ひとまずは歓待を受ける僕。 彼らは僕が1万4千円もタクシー代をかけて来たとは、ゆめゆめ思っていないようだ。 幸い、10何名かの参加者のうち大半のひとたちは、まだ床に着かずに酒を飲んだり、ダべったり、ゲームをしていたりしたので、その集いに参加させてもらった。 その中でも、ひときわ目をひく女性がいた。 前にも一度二度、会ったことがあるので、僕もMさんというその名前は知っていた。 彼女、化粧っ気はほとんどないが、実に整った優美な顔立ちをしていた。 そして、細身で抜群のプロポーション。 ごくシンプルなニットのワンピースだけを着て、アクセサリーもろくに着けていなかったが、一座の女性たちの中ではとりわけ輝いて見えた。 彼女は某お嬢様系私大の大学院生。 美学を勉強しているとのことだった。 年齢は僕と同じで、当時25才。 このグループも、出来て何年かたつうちに、中でいくつかのカップルが自然と生まれていった。 今回も、公然と付き合っているカップルが一組、すでに先日結婚したカップルが一組含まれていた。 が、残りの十名ほどは、とくに決まった相手もなく、恋人募集中であり、僕もその例にもれなかった。 「ああ、Mさんのような綺麗なひとが、まだ彼氏無しだったらなあ。 そうしたら、僕にも彼女と付き合うチャンスが少しはあるのかも…」 ふと、そう思った。 とりあえず、この場にはMさんにぴったりと寄り添うような男性は存在しなかった。 が、それが彼女がフリーであることの、確かな証拠にはなるまい。 実際、グループの女性のひとりがよくこう言っていたものだ。 「Mさん? 彼女はまわりの男性みんなが狙っているみたいよ。モテモテなんだから」 でも、言っておくが、彼女は男性を手玉にとるタイプではまったくなかった。 むしろ逆で、いつもあまりに爽やかな微笑を、相手を選ばずにふりまいていた。 そしてそれゆえに、多くの男性にとってはかえって近づきがたい「高嶺の花」、そんな感じであった。 その夜のMさんも、誰か特定の男性を凝視するでもなく、にこやかな表情をたたえていた。 そんなMさんを遠目に眺めながら、 「こんな出遅れ気味な僕にも、彼女のような素敵な相手が現れる日が来るのだろうか?」 そう思いつつ、ぼんやりと酒を飲む僕であった。 箱根の熱帯夜はとてつもなく長く、まるで終わることを知らぬかのようだった。 (小出しですまんが、まだ続く) ... 青春に乗り遅れ(二) - 2003年07月31日(木) 東海道線に乗って東京駅を出発、箱根登山鉄道に乗り換えとなる小田原駅に僕が着いたのは… すでに登山鉄道が終電となってしまった11時過ぎであった。 「そうか、この線は他の私鉄と違ってやたら終電が早いんだ!」 今ごろ気づいても遅いっての。 そうなるとアクセス手段は駅前から拾えるタクシーに限られる。 小田原から小淵沢までは、深夜料金なら1万円(!)ほどかかるだろう。(もちろん当時のレートで。今ならもっとする) 嗚呼、なんてことだ。 でも、それでも、僕は行くことをあきらめることが出来なかった。 このまま行くことを断念したら、「青春」という名の列車に乗りそこなって、一生悔いることになるような気がした。 ちと大げさ? でも、当時の僕にとっては、仲間たちが金曜日の夕方からバーベキューを楽しんでいるのに,自分ひとりだけ仕事に忙殺されて参加出来ないという事態が許せなかった。 なんとか、自分も彼らと同じ列車に飛び乗りたかったのだ。 ためらうことなく、僕は一台のタクシーを拾うと、行き先を告げた。 これで、ひと安心だ。着くのは零時くらいだろうが、宵っ張りの仲間たちならまだ起きているだろう。 …が、困った問題がひとつ発生した。 タクシーの運転手いわく、このへんの道にくわしくなく、知っている道で行くため、少し遠回りになりますがという。 よほどその車を降りて、別の車に乗え換えようかと思ったが、それも剣呑だし、次の車をつかまえるのも大変なので、ガマンすることにした。 車は夜の闇の中、延々と一本道をひた走っていった。 そのへんの地理にはうとい僕にも、ひどく迂回して走っているように感じられた。 いつまでたっても、目的地が見えない。 ついに時計は零時を告げた。 が、着く気配はさらさらない。 もう、僕はだまされて、まったく違う場所へと運ばれているんじゃないかとも思うようになった。 焦燥と不安に煽られて、僕は混乱の極みにあった。 零時を20分ほど過ぎたころ、ようやく仙石原にさしかかった。 一応、地図を持って来た僕はそれを運転手に渡した。 少し道を探した後、とある坂道を上がったところで、車は停まった。 メーターは1万4千円を指していた。(溜息) 代金を運転手にたたきつけるように払って、僕はまだ熱気の残る車外に降り立った。 涙こそ出はしなかったが、もう心の中は土砂降りのような状態だった。(この項続く) ... 青春に乗り遅れ(一) - 2003年07月30日(水) 世間的には―とくに生徒・学生・教師にとって―夏休みらしいが… まったく休みなく働いている僕には、とんと無縁の話ぢゃい(怒)。 それでも、来月になったら、少しは骨休みをしようとは思ってるけどね。 さて、きょうは思い出ばなし。 会社に入って3年目の夏だから、まる20年も前のこと。 7月の末か8月の初旬、ちょうど今ごろの出来事だ。 当時の僕は、今以上に多忙な毎日を送っていた。 残業づけの毎日で、日付けが変わる前に家に帰りつくことなど滅多になかった。 それでも、20代なかばの独身で、遊びたい盛り。 とにかく、綺麗な子、可愛い子と知り合いたい一心で、わずかな時間を見つけては、パーティやコンパのようなイベントに顔を出すようにしていた。 当時、僕もかかわっていた、横浜を本拠地とするグループがあった。 横浜にある某私立女子校の出身者を中心に、彼女たちの進学先(某美術大学、某おボンボン大学など)での仲間を巻き込んで、いろんな連中が集まっていた。 僕も、その中におさななじみの女性がいた関係で、グループに出入りするようになった。 メンバーの多くは、定職というほどの定職もなく、親のスネをかじりながら大学院に通ったり、バイトをしたりといった、いわゆる「モラトリアム族」。 定職についていても、学習塾の教師や美術館の学芸員みたいな、社会人とも何ともいえないような曖昧な連中が大半で、僕のようにワーカホリックな人間はごく少数派だった。 そんな彼らの中でも、ひときわ「お嬢」的存在の女性がいた。 父親は中堅クラスのホテルのオーナー社長。 その父親が持っている(というか、表向きは会社の保養施設)箱根仙石原の別荘で、グループのみんなが勢揃いして、バーベキュー・パーティをやろうということになった。 開催日は金曜の夕方から。 それを聞いて、僕は悶絶した。 「その日は、仕事の締め切り日じゃんかよぉーっ!!」 行きたい、でも行けない。 いや待てよ。何とか早く終えて(といっても、8時、9時って線だろうが)、そこから急いで箱根まで行けば、夜半までには着くかも…。 とにかく、行くための最大限の努力をすることにした。 で、当日、9時台になんとか業務終了。 これはいつもの退社時間から比べれば、かなり早い。 とはいえ、箱根はやはり遠い。 果たしてパーティに参加できるのか? とにかく、行くっきゃない!と会社から東京駅までタクシーで乗りつけ、東海道線の列車に飛び乗った僕であった。(この項続く) ... ひさびさに… - 2003年07月28日(月) キャバに行ってきました。 最近、行きつけの店が閉じてしまったのですが、そこにいたひとりの子が別の店で復活したというもんで、彼女を応援に行ってきたというわけです。 その子はなかなかつつましやかな性格で、メールだの電話だので「営業」をかけることをまったくといっていいくらい、しない子なのです。 さすがに「次は○○という店に行きます」というお知らせだけは、なじみのお客さんにしたのですが、あとはひたすら受け身。 もちろん、僕にも何の営業もして来ません。 こうなると、父性本能をくすぐられるといいますか、「大丈夫かな。ちゃんとやれてるかなー?」と心配になってしまうものです。 彼女、見た目はそう悪くないです。 どことなく十年くらい前の原田知世さんに似ていて、体型もスリム。 優しくて、上品で、お客さんにちゃんと気配りができるタイプなのですが、逆に「押し」が弱いという印象もあります。 彼女に、「今の店、どう?」と尋ねてみました。 「毎日出るというのは、苦手なんですよねー。精神的にきつくて」 「だから、最近お店に出るのは、週に1、2回くらいかな?」 「前の店のお客さんも、何人かいらっしゃいますよ、全然営業してないけど」 なんて感じで、昼の仕事もかけもちしていることもあってか、かなりロー・テンション。 でも僕は、そういうところが、彼女のよさでもあると思います。 きょうび、やたら営業、それも白々しい「色恋営業」をかけるキャバ嬢だらけのなかで、彼女の存在はいっそすがすがしくさえあります。 こういう子ほど、自発的に応援したくなっちゃうもんです。客ってやつは。 今後も、月に2回は行こうかなーと思っている僕なのでした。 ... 脱サラ願望 - 2003年07月16日(水) 今月に入って、仕事でメチャ忙しいまーくんです。 日記も実に2週間ぶり(汗)。 昨年も結局、7月は繁忙期のため、ほとんど更新出来ませんでした。 でも今年は、あまり間が空くのも申し訳ないので、月なかばで少し近況報告を。 実は今月から、肩書きがひとつ上になりました。 が、仕事の中身は、全然変化なし。 細かいルーティンから解放された、なんてことはまるでなくて、あいかわらず「現場」な仕事をやってます。 昇格のしるしとして、一応、椅子だけは肘掛け付きのやつに変わりました。 お給料も今月から若干アップになります。 (それだけは、ありがたい!) が、それ以上に「責任」という名の重荷がのしかかって来るのが、どうもねえ…。 昇格によって、「権利」より「義務」のほうが大幅に増えている感じ。 大体、非実学系の「文学部」出身であることからおわかりいただけると思いますが、僕は根が「会社命!」の典型的サラリーマンじゃないもんで、この先、自分がどんどんリーマン化しなきゃいけないのかと思うと、いささかユーウツではありまふ。 ぶっちゃけいいますと、今の職場に11年以上もいるので、(スタッフの約半分は転属以来の付き合い)、もう職場にあきちゃってるんです。 何年も前から、人事部に異動の希望を出しているのですが、まったく無視されていまして、もう会社に対してアイソが尽きてるんです。 もし、このまま「放置プレイ」がずっと続くのなら、こちらから会社を見限っちゃうのも、ありかな、と。 いわゆる「就職氷河期」にやっとの思いで入った会社なのですが、それでも、もはや未練がほとんどないのです。 かといって、すぐに転職するあてもなし。 そこそこのサラリーも頂戴しているので、まあすぐにやめるのももったいないかなと考えてます。 が、どこか脱サラへの憧れはあります。 資金を貯めて、お店を開くなんてのも、40代のうちなら、まだ可能でしょ? そのへんも目標に入れて、今はなるべくムダ遣いをせず、独立資金確保に精を出しているところであります、ハイ。 ...
|
|