まーくん的日常...まーくん

 

 

究極の難題 - 2005年01月03日(月)

新年となりました。今年もどうぞよろしく。

さて、今日、アクセス解析をしてみたら、
「キャバクラ 付き合う 結婚」
という三語で検索をかけてこのページに来られた方が、いました。
これを見て僕は「うーん」とうなってしまいました。

たしかに、キャバで結婚相手を見つけて結婚する男性は、いないではないです。
しかし、それはあくまでも「結果」であって、「目的」にしてキャバに通うのは、いかがなものかと思ってしまいますな。

僕も20代前半からその手の店に通っていましたが、お店の嬢とは結局ご縁が出来ませんでした。
結局結婚した相手は、ごくふつうの勤めをしている女性。
考えてみれば、お店で数百人もの嬢と知り合いになったのに、ですよ。
もったいない話ですね(笑)。

つまりですね。キャバ以外の一般社会において、たとえば職場とかで、「恋愛」が成立する確率を考えてみるとよいのですよ。
同じ部署、あるいは同じ会社内で、何十人、何百人という異性がいて、日常的に接していても、最終的には、社外のひとと結婚するケースの方がずっと多いでしょ?
僕が考えるに、社内であっても、成功確率なんて、数パーセントとか、その程度だと思います。
いつも顔を合わせていて、ときには社内旅行とか行事があったりして、わりと親しくなる機会の多い社内でさえ、ことほどさように、恋愛は成立しにくいのです。

だから、キャバでタイプの女性が見つかっても、その子と恋愛関係になれる確率はそんなものだと思っていたほうがいいのでは。
最初から「付き合う」とか「結婚」を期待して、相手に迫ると、バリバリの色恋営業派の嬢でもない限り、引かれますよ。

とはいえ、それでも、
「やっぱり、キャバ嬢と付き合いたい」
とおっしゃる方はやはりいるでしょう。

僕もこの日記で何度となく恋愛問題について考察していますから、「無理です」という気のきかない答えしか出せないようでは、オトコがすたります。
今年はまず、どうすればうまくキャバ嬢と付き合えるかという、この究極の難題にマジで取り組んでみたいと思います。
次回からはしばらく、このネタで行きます。


...

キャバ春秋 - 2004年12月30日(木)

2004年も残すところわずか。最終更新である。

最近しばらくキャバネタを書いていないが、別に行っていないわけではないよ(笑)。
もはやあたりまえの日常なんで。

今年はそうだな、キャバに関しては「更改期」という感じだった。
前に書いたように、なじみの子が今年に入ってから長期休業→自然退店となってしまい、その店には2月行ったのを最後に、全く行かなくなってしまった。

そのかわり、別の店によく行くようになった。
「よく」といったところで、せいぜい月に2回なのだが、僕的にはそれでも「よく」行く部類なのだよ。
なにせ、行かないといけない店が他に何軒もあるので(笑)。
他の店がせいぜい月1か隔月に一回というペースだから、自分的には破格の扱いだと思っている。

その店は新宿歌舞伎町にある、いわゆるキャバクラに属する店。
ただし、マスメディアには登場せず、HPとかも出していないタイプの店なので、知る人ぞ知るといった存在かな。
もともと別の店(こちらは会員制のラウンジに属する店)にいたある子を、僕はいつも指名していたのだが、彼女が事情あってその店に移ったので、僕もそこに行くようになったのである。
客というのは基本的には「店」につくものというよりは、「人」つまりキャバ嬢につくものだからね。

そこは別に何の変哲もない店だ。
キャパは30〜40名くらい。広からず狭からず、キャバクラとしてはありがちな規模だろう。
カラオケの設備が一応あるのだが、それで歌う客を過去に一組しか見たことがない。
キャバはカラオケをしに行くところじゃなく、嬢と話をする場所だと思うから、それでいいんである。

値段は、歌舞伎町だけに決して安くない。
ボトルを新規で入れて、指名嬢やヘルプ嬢にドリンクをおごって、2時間いると3万円近くかかる。
ボトルがあれば2万弱という感じ。

でも「高い。もう来たくない」とは、全く思わないんだよ、これが。
なぜなら、漫然とその店に来ているわけではなく、指名嬢というはっきりとした「お目当て」があって来ているのだから。
特に好きでもない、つまり「どうでもいい」子と一緒に飲んで、そんな勘定をふんだくられたら馬鹿馬鹿しくてやってられないが、会って話をしているだけで楽しい、そんな特別の子なんだから、多少の出費は気にならない。
本当に心地よい時間を手に入れたいと思ったら、その程度の金くらい出さないと。そういうふうにさえ思う。

こういうと、
「話をしているだけで、ホントに満足してるの?」
というツッコミも受けそうだが、僕としては、それだけでもかまわない。
あわよくばその子と客と嬢以上の関係に…なんて、思わないでもないけど、別にそうならなくたって、気にならない。
それが、粋な遊びってものではないかな。

で、もしこういう感覚がわからないかたは、夜遊びには向いてないと思う。
会社が終わったら、さっさとお家にお帰りくださいって感じだ。

なんていいますか、キャバに行くという行動は、酒を飲むことが目的ではないのであります。
酒が飲みたいだけなら、酒屋で買って家で飲んでればいい。
ひとときの非日常な時間と空間を味わうために、行く。それがキャバなのだと思う。

来年も、たぶんあきることなく行き続けているんだろうな。
いろんなものを「卒業」して来た僕だが、これだけは当分卒業出来そうにない(笑)。


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マジメ男の不倫 - 2004年11月15日(月)

不倫というものは、いい加減な性格の男だけがするものかというと、必ずしもそうではない。
ふだんは誰からも模範的な父親、夫、社会人だと思われているような真面目人間も、けっこうハマったりする。
ここがなんとも、興味深い。

僕の知り合いでも、そういうタイプの男が何人かいる。

40才に近いH君。
彼は入社した時点で学生時代からの恋人がすでに妊娠していて、わずか2か月で結婚してしまった男性。
見た目も、中身も、さわやかを絵に描いたような男だが、実は人妻と不倫したことがあるという。
それも男たらしで有名な肉感的な女性と。
その話を聞いたとき僕は、さすがに絶句してしまったものだ。

40代半ばのT君。
彼も誠実でソフトな雰囲気。わりと無口だが、それゆえに女性の信頼は厚いタイプ。
入社まもない頃は「結婚したい男性ナンバーワン」的存在だったのに、一年目で大学時代の同級生と結婚してしまって、独身女性連中を大いにがっかりさせたものだ。
このT君も、結婚十数年目にして、7〜8才下の後輩女性(こちらは独身)とわりなき仲になってしまい、周囲を大いに驚かせた。

彼らに共通するのは、ひじょうに早婚であったということだ。
学生時代から付き合っていた恋人がいて、就職したらすぐに結婚している。
子供も、現在の世間の標準から見れば、かなり早い時期に生まれている。
したがって、社会人になってから、ほとんど遊びらしい遊びをしていない。

そういう男性も、結婚して十年近くたつと、いわゆる倦怠期を迎える。
子供も学校に上がり、さほど手がかからなくなっているし、妻もPTAだのカルチャースクールだのといった活動で忙しい。

とりあえず安定した日常。でも、どこかものたりない。
「ワクワク」とか「ドキドキ」といった感覚を忘れて久しい。

そんな中で、偶然目の前に現れた、妻とは違うタイプの女性に、ときめいてしまったりするのも、さほど不思議はないことだろう。

幸い、というべきか、彼らは会社の人々には勘付かれてしまったものの、自分の妻には不倫の事実を悟られずに済んだようで、いまも平和な家庭生活を送っている。

そのへんが、彼らなりの面目という気がする。
平気で何度も不倫を繰り返したり、ついつい自分の不倫を得意気に喋って、周りの反感をかったりするような、いいかげんな連中とは違う。

不倫はもちろんしないに越したことはない。
が、どんなマジメな人間も、たまには時ならぬ恋におちることもある。
道をふみはずすこともあるだろう。
人間なんだから。

が、最低限、家庭を崩壊させるようなことは、しないのが、彼らなりのルール。
妻や子を悲しませるようなことは、絶対しないのである。

もちろん所詮は不倫、ほめられたことではないにせよ、そのへんのケジメが出来ていれば、まあ神も許してくれるような気がする。
逆にいうと、そのくらいのことが出来ないようでは、不倫なんかする資格はまったくない、そういう気がするね。


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男における勝ち組 - 2004年11月06日(土)

「負け犬の遠吠え」なる本がベストセラーになったこともあって、「勝ち組」「負け組」という言葉が頻繁に聞かれる今日この頃です。
女性においては、「独身・子無し」=「負け組」というのが定説化してきた感がありますが、では男性における勝ち組とは何なのか、負け組とはどんな人々をいうのでしょうか。
ちょっと考えてみたいと思います。

世の中の大半をしめる、「既婚・子供あり」という男性連中、これが果たして勝ち組かというと、僕にはどうもそうとは思えません。
というのは、そういった男性たちの大半は、自分のお金も時間も、すべて妻子を養うために押さえられてしまい、自由のかけらもないからです。
なんとか人並みであろうとしたばかりに、奴隷の人生を送らざるをえなくなった、そういうふうにさえ見えます。

いや、別に本人が幸福でさえあれば、問題はないのですが…。
大半の既婚男性が、結婚生活を重荷に感じているように見えるのも事実です。

ではその対極に位置する「独身・子供なし」が勝ち組なのかというと、そうも思えません。
独身者は既婚者と違い、実に勝手気ままな生活を送ることが可能です。
何十人、何百人もの女性と付き合っても、誰も非難しません。
それは、独身だからです。

でも、ツケは最後に回ってきます。
家族らしいものもなく、孤独な老後を送ることを、独身者はある程度覚悟せざるをえません。

「結婚の最大の長所は、実は妻を持つことではなく、自分を死ぬまで慕ってくれる子供を持つことだ」
そう誰かが言っていたのを聞いたことがあります。

そこが、何十人もの恋人を取替えて付き合うこととの最大の違い、僕もそう思います。

奥さんがその男性によせる愛情は、数年しかもたないかもしれません。
しょせん、他人同士ですから。

しかし、親子の情愛はまた別格です。
ことに、父親にとって愛娘は、永遠にプラトニックな関係の恋人のようなものです。

だから、こうじゃないかと思います。
本当の勝ち組の男性とは、
「娘がいて、彼女が一生そばにいて慕ってくれる男性」
ではないかと。
案外、「死別またはバツイチ、娘あり」、そう、榛野なな恵が書く漫画「Papa told me」の信吉パパのようなひとこそが、もっともうらやむべき男性なのではないかと思います。

生涯独身であった小津安二郎監督も、そういう人生にだけはどこか憧憬を持っていて、それをしばしば作品の中で描いていました。
男はやはり、そういう「永遠に自分の娘」のような存在を、本質的に求めているのかもしれません。


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シュガー・ダディ - 2004年10月07日(木)

「シュガー・ダディ」って言葉、皆さんはごぞんじかな。
これはですね、お金だけはものすごく持っていて、若いおねえちゃんにせっせと貢ぐオヤジのことなのです。

青春時代、あまりモテなかったことに対する埋め合わせなんでしょうけど、ありあまる財力を頼りに、若くてチャラいおねえちゃんに、ブランドもののバッグだの、毛皮のコートだの、宝石だの、マンションだのを気前良くプレゼントして、愛人にしているオヤジ、これは洋の東西を問わず多いようで。
(たとえば、以前このサイトでも書いたことのある、受付嬢を愛人にした某○クザ作家とか。)

それは傍から見ていて、およそカッコいい行動とはいえないし、財力以外に魅力がないってのも、男として情けない気がしますな。

昔から愛人を囲う中高年男性といえば、このシュガー・ダディのイメージがほぼ固定しているのですが、世間から「中高年=金以外に魅力なし」というイメージでしか見られていないことに、僕も含めた中高年男性はもっと反発したほうがいいと思います。

経済力以外の魅力、それはたとえば若い男性にはない精神的余裕とか、豊富な経験なしには獲得出来ないスキルとか、そういうものでしょう。
ところが、そういうものを身につけることなしに、ただただ年老いていくだけの人が多い。
だから、若い者にもなめられる。粗大ゴミ扱いされる。
見てくれしか取柄のない若い連中にさえ、負けてしまうのです。

これからのダディ・エイジのありかたとは?
まずは、自分の内面を磨き、きちんとその魅力をアピールしていくこと。
仕事にせよ、趣味にせよ、何かひとつでもいいから、人生のテーマを決めて、一貫して追究していくこと。
これに尽きるのではないかと思っています。

胸を張って自分のことを語れるオヤジの登場を期待したいと思います。


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「年の差交際」身近な実例 - 2004年10月04日(月)

何度も何度もネタにさせていただいている「年の差結婚」であるが、年の差カップルは実際にはどんな交際をしているのか、僕の周辺の例で見てみよう。

その1 A君の場合
45歳。結婚・離婚各1回。子供2人(娘2人)あり。親権は元奥さん側。
離婚の最大の原因は、彼の浮気癖。
離婚してからすでに6年近くが経過。その間、何人かの女性との交際はあったが、どれも「ワンナイト・ラヴ」的な感じで、長続きしていない。

本人は「年が離れていると、話が合わないので、女性はあまり若くないほうがいい」といっているのだが、実際には30代後半以降で魅力的な女性なんてそうざらにはいないので、いきおい、20代の若い女性と付き合うようになりがちだ。
いまも20代半ばの女性と交際中。水商売のアルバイトをしていた彼女のお店(キャバクラ)に偶然行ったのが縁。
週末には彼の家(一戸建)に彼女がやってきて、家事をやってくれるようだ。

最近、生え際の後退が目立っているA君だが、彼女に「友達に会わせることもあるから、見た目を若く見えるようにして欲しい」と増毛を切望され、しかたなく数十万円かけて施術したとか。
若い女性に合わせるというのも、結構気苦労が多そうだね。
彼自身は彼女と結婚したいと思っているのだそうだが、果たして女性側にその気があるのかどうか。
そのへんも、見極めるのが難しそうだ。

その2 B君の場合
41歳。結婚歴なし。両親と同居。3歳下の弟には妻子あり。
40歳を過ぎてもパラサイト・シングルを決め込んでいるB君。もちろん、生活費まで親を当てにしているわけではないが、ズボラな性格ゆえ、家事を一切しない。よって、独り暮しは無理。
いまだに母親が彼の食事、洗濯等の世話をすべてやっている。

そんなB君だが、お調子者ながら妙に押しが強く、図々しいところもある性格ゆえか、不思議と付き合う女性に不自由していないのだ。ちなみに顔立ちはごくごく人並みで、けっしてハンサムではない。
もともと30歳くらいから同世代の女性には見向きもせず、20代前半の女性ばかり追いかけていたB君だが、10年たってもそれは変わらず、いまだに若い女性ばかり追いかけている。

で、このB君、ここ7、8年ばかりは、女性の住まいに週3回ほど通うパターンが続いているらしい。
相手はやはり、20代前半の女性ばかりだが、むこうもまだまだ自由でいたい年頃らしく、結婚なんかまるで意識していないらしい。
2、3年すると、どっちかが相手にあきて、別れる。そんなことの繰り返しだそうだ。

要するに「遊び」の関係なわけだが、これを見て「籠の中の鳥」である既婚者たちは、結構うらやましく思うかも知れない。
たしかに、30、40歳くらいの男がプレイボーイを気取るのはまあいいいかもしれない。
体力だって、まだ十分あるからね。
けどねえ、同じことを50、60歳になるまで続けられるとは到底思えない。
そのうち、若い女性にまったく相手にされなくなったら、どうするんだろうね。

うんと年下の女性と付き合うのはそんなに不可能なことではないけれど、結婚まで至るには、かなり困難な道のりがありそう。
それが、彼らを観察している僕の率直な感想です。


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年の差結婚論・三たび - 2004年09月24日(金)

日頃のアクセス解析結果から判断するに、どうやらこの日記が「年の差結婚」のサイトとして認められてしまったようなので(笑)、ご期待におこたえして、今一度この問題について考えてみたいと思う。

で、のっけから結論を言ってしまうと、
「”結果”としての年の差結婚は”十分あり”だが、”目的”としての年の差結婚は”しないほうがいい”」
ということになるかな。
つまり、とにかく年の離れた相手と結婚したいしたいという気持ちだけで、相手との相性とか余り考えずに結婚するのはおやめなさいってこと。

これはなにも「年の差結婚」に限らず、「外国人との結婚」についても言えることだ。

人生相談サイトとしては最大手の「大手小町」にも、この手の相談がよく寄せられていて、これもその一例。

年下男性にとって37歳独身女性は結婚の対象になる?

これを読むに、多くの若い独身男性は年上の女性に対しては、”付き合ってやっている”という意識が強いというのがよくわかる。
恋愛を自分にとって有利に運ぶために、ハンデキャップのある(と世間的には思われている)年上の女性を選ぶなんて、いやらしい考え方だよね。
その女性が自分がハンデを背負っているという自覚のあるなしにかかわらず、許せないことだと思う。

恋愛というのは対等、イーブンな立場のふたりにして、初めて成立する人間関係である。

一方の人間が相手のことを「自分のいいなりになるもの」、いわば奴隷のように考えているような関係は健全じゃない。
たとえふたりがゴールインしたところで、年下の男性のほうは平気で浮気するようになるぜ。間違いない。

上のケースとは逆の、中年男性と若い女性のケースにしたって、それは言えている。

最初からその気もないのに、中年男性のお金だけが目当てで付き合う(というか、付き合うふりをする)若い女性。
貢ぐだけ貢がせておいて、男性のお金がなくなったら、ポイ。そういうケースは枚挙にいとまがない。
そんな利己的な女性と、仮に結婚出来たとしても、長続きするわけがないだろう。

年下の女性と付き合えるというだけで「目がくらんでる」状態になっている男性にも、もちろん問題は大ありなんだけどね。

もちろん、こういう話ばかりではなく、どんなに年の差があったってうまくいっているカップルも多数いるのは事実なので、年の差結婚をひとしなみに否定するつもりはない。

が、とにかく冷静になってなり過ぎるということがないのが「年の差結婚」だと思う。
たまたま結婚することになった相手が、年が離れていたという、”結果”としての年の差結婚しかおすすめ出来ない、そういうことです。


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