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2003年02月14日(金) ■ |
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指先のDNA |
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下書きをしていたノートを、ひろげたままおいていたら、humanityが、humanitiesに書き換えてありました。それは、それで、別に構わないのですが。
一瞬、自分で訂正したかな。と思うほど、そっくりな文字でした。
父上の文字なのですが。母上には、わたしと父上の文字のみわけがつきません。
ついに、わたしにも、区別がつかなくなりつつあります。
実は、祖父と父の文字もそっくりだったりします。
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2002年06月22日(土) ■ |
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眠れない。夜。 長い長い。夜。
夜が来るたび。朝まで。どうやって過ごそうかと思う。
「人生は何も為さずに過ごすには長過ぎる。 何かを為すには短すぎる。」
わたしは。何もしていないので。 一日も。一時間も一分も。
長いです。 とてもとても。
そんなわたしなのに。
どうして。信頼するの? どうして。信頼してほしいの?
わからない。
答えが出ても。夜が長いから。 きっと。忘れてしまうのでしょう。
もういや消えちゃいたい消えちゃいたい てか。自分。だいっきらい。消えちゃえ自分。 こんなのわたしじゃない。 いらない。いらない。いらない。
ゴメンナサイ。
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2002年06月11日(火) ■ |
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嫌いなゲーム。 |
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サッカーの試合をなんとなく見ました。とある国と、とある国。の対戦を。そも、ライブだったかそうでなかったのかも、わからないくらい、ワールドカップには興味がなかったのですが。
1:0が1:1になるシュートを決めた時のね、選手のジェスチャーを見てとても不愉快になってしまった。や。なんというのか。スケートをすべるまねをしたのですよ。1:1に持って行った国は、冬季五輪のスケートで、ジャッジに反則を取られて入賞を取り消された国だったのです。
なんだかなぁ。せめて「ガッツポーズ」くらいにしておけば。よいものを。てか、スポーツでしょう? 別に、神聖であるべきだ。とまで、いうつもりはないけれども、陰険というか、フェアじゃないというか、なんというか。ともかく、見ていて快いものではなかったのです。あんな国と共同開催なんて。とか思うのは。レイシズムなのかな
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2002年06月10日(月) ■ |
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ちょっと後ろ向き。 |
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微熱。あいかわらず続いています。ぼーいふれんどに、体調不良を訴えたら、「早寝早起き」と一言返されました。「早寝」はともかく、「早起き」できます。朝の3時くらいには起きてます。目が醒めていてもベッドの中でけだるくすごしているだけなので、何にもなりませんが。とりあえず、夜は1時前にはベッドに入って、7時まではベッドから出ない。というのを実践しているのです。
夏至も近いせいか、明るくなるのは早くて。窓を開けると涼しげな空気が流れ落ちて来るようで気持が好い。
禅寺の修行僧でもないし、ミリタリーサービス(軍隊)に所属しているわけでもないので、残念ながらこれは特技にもなりません。てか、立派に、睡眠障害だし。
心地よい睡眠と。悪夢ではない夢を。切実に。望んでます。
今日の授業は2限だけ。窓側の一番はしっこ。という、後ろ向き(な気分の時)の位置にぼんやり座って。90分。昼頃には家に帰りました。
そうそう。あんみつも、いつつ、買えました。リターンマッチです。
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2002年06月09日(日) ■ |
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無傷です。 |
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そろそろ螢のシーズンかなぁと思って。日の沈んだ頃。でも。まだ、地面の上には昼間の光がやわやわと残っている時間帯。あるでしょう?その頃に自動車で家を出て10分ほど走ったところの川岸に。
この時間帯を描く画家ひとりを知っています。イギリス、ロンドンのTate Museumにあったのかなぁ。あと、アメリカ、ワシントンDCのNational Galleryにも小さいのが幾つか。展示されていた。
そういえば、その時間帯にシャッターを切れば、どんな・・・・な腕の人でもそれなりに見られる写真を写せるとも。写真家の友人に聞いたことがあります。magical hourだったか、mysterical hourだったか、そういう。らしい。
ともあれ。螢は出ていました。川の浅瀬にはえる丈の高い草に群がって。というほどではなかったかな。ぽつりぽつりと。そこかしこに。3匹4匹と数えられる程度。いや。いくら綺麗だといっても、ただせば虫であって、数え切れないほどの螢というといささか、鳥肌も立ちそうなものだけれども。
既に6月といっても。夜の風は体温を奪って寒くて心細くなったので。自動車のフード・ボンネットのあたたまっているエンジンの上あたりに体育座りをして。でも心細いのはかわらなくて。
帰りの道のりで。まっすぐに家に帰れば好かったものを少し遠回りしてしまって。その時に。やっちゃいました。能力以上のスピードを出して居たので、カーブを曲がり切れなかったのです。
ガードレールのない山道のカーブ。路肩は土がそのままあらわになってわずかな傾斜と共に下の小さい川に続いている。そこを、自動車ごとずるずると滑り落ちた感じ。
自力。というか、車力で上がるのは無理だったのでJAFに電話。ロープをかけて引っ張りあげてもらいました。
あ。無傷です。人も自動車も。しょうこたん、ラッキーなの。
螢を守ろう。なんて思う人は、自動車で蛍狩りなんて、だめよ。ちゃんと、徒歩で行きましょうね。ということなのかなぁと思ったり。
ちょっと前に無茶な運転を控えるようになった。って書いたばっかりだったのになぁ。
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2002年06月08日(土) ■ |
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あんみつあんみつ。 |
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生麩のあんみつが好きです。三昇堂のあんみつ。生麩あんみつ、ここのしか知りません。他にもあるのかもしれませんね。
とてもおいしい。希望を云わせていただければ、もう少し、生麩の数をふやしてほしいなぁ。
土曜日なのに、学校に行かなくてはならなくて、てか、テストだったのです。だから。帰りに買って帰ろうかなぁと。思ったのに。持ち合わせが足りなくて、あきらめざるを得ませんでした。えーん。
だって、5つ買わなきゃならなかったんだもの。自分の分だけなら買えたのだけれども。そうゆうこと、できないのです。なんとなく。
しょうこたん。家族思いの優しい子だから。(つっこんじゃだめよ)
甘いものがほしくなるのって、疲れてるんだろうなぁ。ま。いいや。寝たら治るし。希望的観測だけれども。
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2002年06月07日(金) ■ |
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たべもののうらみ(?) |
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「ルポ十四歳--消える少女たち--」読破。 わたしは23歳で、だからもう、自分が子どもだとは思わない。そうかといって、では大人ですか。と聞かれたときに、「大人だ」とあたりまえのことのように答えることもできないけれども。
「いわゆる問題行動は、約十年間続きます。十三歳で始まったら。二十三歳までね。 子供の多くは二十三歳になる前に死にます。そして、運のいい子供は・・・」 生き延びて二十三歳を迎える? 「その通り。そして、その中でもっとも運のいい子供が、二十三歳以降に立ち直る」
わたしが自己破壊衝動を抑圧しなくなったのは、9歳の時だったか、12歳の時だったか。薬物の乱用を始めたのはそれから10年近く経った21歳の時。
最近。少し落ち着いている。。。といいなぁ。自傷的な行動も減ってきている。。。ような気はする。少なくとも、自動車で無茶な運転をするようなことはめったになくなりました。
まぁ、それはそれとして。
昼過ぎに父上を最寄りの駅まで迎えに。昨日、木曜日の5限と7限の間に学校の生協で夕食用に買ったサンドイッチとミルクとプリンを父の家で食べようと持って行ったのだけれど。「『なすとぶたの味噌煮』やるから、そのプリン寄越せ」とデザートに。と、楽しみにしていたプリンをぶんどられたのですよ。えーん。\148+5%の「神戸生まれの焼きプリン(カラメルソースが別になっている)」を。えーん。
家に近い駅は、住宅街の中にある駅なので。というか、住宅街のあとからできた駅なので、駅前。といっても、パン屋さんの1軒きりしかないのだけれど。買ってもらいました。プリン。ふふふ。
個人的な好みをゆわせていただければ、モロゾフのプリンのほうが好きなんだけど。ね。
で、ちょっと動揺させられるようなことをいわれたせいか、車庫入れ失敗。3回くらいやりなおして、やっと停められました。やれやれ。
てかね。腕の傷を見咎められたんですよぅ。「またやったのか。フラストレーションたまってるのか」と。 そのとおりです。にしても、日本語で「フラストレーションたまってる」。って。かなりくる云いようだなぁ。ほんとにもう。英語だと「ストレス」とおんなじくらいの意味しかない。のです。でも。えーん。だ。だって彼は、日本語の発音で「フラストレーション」といったのだもの。
いぁ。なんだ。その。ハンドルをあやつるときに、腕をかばってしまったから。なのだけれども。まぁ。こすらなかっただけでも、よしとしましょう。うん。
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2002年06月05日(水) ■ |
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風邪 風邪 風邪っ! |
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午前中、授業がないので最近よく行くスポーツセンターに泳ぎに行ったのですが。3時間ほどかけて休みつつ1300m泳ぎました。途中で5.6回、サウナで休憩。泳いでいたよりも、サウナで、ほえほえっとして居た時間の方が長いです。
てか、なんで、みなさん、あんなに一生懸命泳げるんでしょう? 尊敬します。
泳いだ後2〜3時間ほどは皮下脂肪が燃焼され続けるそうで。わたしは、引き締まったからだがほしい。だから、この2.3時間のあいだとても幸福です。
午後はカウンセリングに行って、今度は脳みそを回転させて、つかれたなぁ。だるいなぁ。ねむたいなぁ。ついでに、今日も暑いなぁ。それともまだ脂肪の燃焼は続いているのかなぁ。と。考えつつ帰宅。
帰宅後も暑いしだるいし。で。ね。熱を計ってみたのですよ。37.6C。
風邪ですか? それとも、9時間立った今も脂肪の燃焼が続いているのか。後者希望。
寝ます。おやすみなさい。
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2002年05月12日(日) ■ |
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けーたいってやつは |
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安直過ぎる。と思うの。わたしだけかしら。さびしくなったら答えてくれる。誰かをさがせば、誰かにつながる。うざくなれば、電源切ってさようなら。
自分の所属する場所ひとつひとつに、それぞれ別の端末を用意して、都合が悪くなったら解約しちゃえ。と。
しーりんという人に、「泣いた」で終わった日記をさらしつづけていたせいか生存確認のメールがきました。けいたいで。
わたしは生きている。ここにいる。2階の後ろに大きな窓が全開の。5月の空気を体中で感じられる。窓の高さはフロアから10cmもないのです。てすりはあるけどね。窓というよりもドアみたい。2階分下はコンクリート。しかし。この図書館のパソコンコーナー。カーペットがかなり、奇妙な色に変わっていました。ピンクに。
いやね。入館磁気チェックのゲートは1階だから、カーペットの色は直接は見えないのだけれど。入った途端にいつもと違う雰囲気を感じてしまった。天井が白だから、じゅうたんの色を映していただけなんですが。
図書館に暖色はないでしょう。ピンクはないでしょう。ピンクは。落ち着かない。グレイとかブルー系とか。せめてクリーム色。
と、私の部屋を説明しようと考えて。ちょっとびっくり。かなり。奇妙かもしれない。この図書館に劣らず。
床、紺のじゅうたん。天井も紺。壁、2面は白い壁。1面は木。ここまでは普通だけれど。ベッドの横の壁は畳。壁に畳。いつ。張ったのだか覚えてないのだけれど。無意識に暴れても身体に傷をつけにくそうだから。なのです。くすっ。
紺とか木の色とか、おちつく色のはずなのだけど。落ち着かないのはなぜかしら。
安直な解決方法、電話をかける。に、3000エスクードくらい。
めぐみちゃん、かなえくん。ありがとう。ごめんなさい。熊本から大津まで。かけさせるなんて。しょこちゃん、最高。みんなも、しょこちゃんに電話かけてあげるといいよ。しょこちゃん、小躍りして喜ぶから。たぶん。
犬の場合。家族にごはんと寝る場所と、ハグとキスをもらう。>>ぼくのことをこんなに大事にしてくれてる。この家族はなんてえらい人なんだろう。と。思う。
猫の場合。家族にごはんと寝る場所と。ハグとキスをもらう。>>ぼくは。この家族に、こんなに大事にされてる。ぼくはなんてえらい猫なんだろう。と。思う。
祥子ちゃんの場合。一概には言えません。
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2002年04月25日(木) ■ |
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HARD DAY |
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や。なんてかね。いそがしかったのよとても。午前中はほえほえとすごしていたのだけれど。12時から16時迄今出川でアルバイト。16時に大好きな人の1人と逢い引きをする約束をしていたのです。時刻を16時としてたのだけれど。ごめんなさい。16時迄のアルバイト。いくら、待ち合わせ場所の地下鉄の駅の上とはいえ、16時ジャストには間に合うのはむずかしかったのね。結局5分?いや7分ほど遅刻してしまいました。16:45から授業。さぼりたいさぼリたいと思いつつ。半時ほどの逢瀬の相手からいってらっしゃいと。いわれて。出席しました。で。授業中にぼーいふれんどから電話。伝言に切り替えて、こそこそとおやゆびメール。「いまじゅぎょうちゅうおわったらcall u back」あれ。人が授業中にやっているのはほんとに不愉快なんだけれど自分がやるのは全然平気だわ。発見発見。 授業終了と同時に電話を。いわく、「今から三条に来い」と。その時刻は18:15。わたし、このあと20:05からの7講とかもあるんですが。なんだろう。こういう時、次の予定をいえない人なのです。選択は行くか行かないか。授業に出るかでないかのふたつしかないので。結論しか云わない。「ん。じゃ。これからそちらに向かいます。てか三条ってどうやって行くの?」京都の学校に通って10年目なのにこれは多少情けないかも。結局、勘でバスを選んで乗りました。しかし。40分もかかってしまったのは何故だろう。高島屋のホールで会ってそこから夜の京都をふらふらと。なんと云う小路なのか知らないけれど四条と三条の間の細い道。賀茂川にそった道で。不愉快な思いをしました。ぼーいふれんどがそれに気付いてないところがさらに不愉快。 結局ビニールの。なんていうんだろう。のれんというのかカーテンというのか。のようなのが扉の代わりにかかっているラーメン屋さんでラーメンと共にビールの中を。ついでに、セルフサービスのだいこんきむちとかもつまんだかな。店を出て。隣の王将でぼーいふれんどは餃子を。幾つ買っていたのだろう。家にあげてはくれぬのかと聞けば。かたづいてないから駄目だと抜かす。一番近い「京阪」の駅へとつれられて。ごめんねここまでしか送っていけないけれどここから帰れるよね。と。20時の5分前。地下に続く階段を指してわたしに背を向けた男を見つつ。タクシーを拾って今出川迄。信号で停まっている自動車やらその間をすりぬけようとする二輪車やらの交錯する中。わたしが乗った自動車もぼーいふれんどが去って行ったのと同じ方向に少し進んで。その男はjay walkで窓の真横をわたしには気付かずに通り過ぎてゆきました。抜きつ抜かれつするのをああわたしだけが知っていると。おもいながら。 学校の正門でおりて授業に。20:05分。しかし。いくらなんでもそのまま教室に入るのも気が引けたので。お手洗いで顔を洗って歯を磨いて。ついでにフリスクもかりこりとかじって。後ろのドアを。大きく音のするドアをできるだけ静かに開けて。すべりこみました。 机についたとたんに。あの四条と三条の間の小路での出来事を思い出して。涙がとまらなくなっていた。 そう。前を歩いていた観光客と思しき男女が。後ろを歩いていたわたしたちをさりげなく先にゆかせたのですよ。袖を引き合って立ち止まって。それを短い距離で3回も。アメリカ人には見えなかったのでヨーロッパかどこかかな。ベルギーあたりやもしれぬが。おもわず「てめーのきたない女に触れようとは思わないしてめーのもちものにも興味はないよとあいつらにゆってくれ」とぼーいふれんどに云いそうになったのだけれど。それを押しとどめていたせいか。 結局、授業が終わるまでこぼれつづけるなみだはとまらず。嗚咽することなくただ流れるにまかせて。 つか、わたしのぼーいふれんど。中国人のような風采だが日本人だっつうの。国籍だって日本なの。ちゃんとパスポート見て確認したんだから。といっても。その外国人観光客にIDをみせるわけにもいかないでしょう。 ただ口惜しかったのです。口惜しいと云うか哀しいと云うか。なんとも遣りきれない気持ちって。こういう時に使うのかしら。でもこの感覚。もしかしたら夜の海外の都市を歩いたことのない人にはわからない感覚なのかもしれない。
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