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2001年09月18日(火) ジョンレノンも泣いているよ
不可思議な気持ちが止まらない。起こせる理由がわからない。
高校二年生の時、湾岸戦争が始まった。私は不安で学校に行けず、家で固唾を呑んで攻撃が始まるのを見ていた。大遅刻で学校に行ったら、携帯テレビを持ってきてる子が居た。
皆不安だった。遠い海の向こうでも、おなじ地球の上の人間として不安だった。あの時の何ともいえない落ち着かなさ、不安な気持ちが止まらない。
例えば愛する家族を誰かに奪われたら、私も復讐を誓うかもしれない。だけど、同じ国の違う人を傷つけようと思う訳がない。
そんな敵の国にもし核兵器が落とされて、敵と共にその国の国民までもが犠牲になって、喜べる訳がない。
憎んでる国だって、あんな惨劇が起きたのに、お祭り騒ぎのように歓喜している国があるなんて、信じられない。テレビを眺めながら戦慄が走る。
人間て、お父さんとお母さんの愛の結晶として、愛に包まれて生まれてくるのに、育ち方とか、環境とか、教育次第で、そんな残酷な、卑劣な種類にもなってしまうんだと言うことを実感してしまい、人間という生き物が、とても恐ろしくなった。
愛とは真逆の方向に、突き進む事も出来るなんて、恐ろしい種類の生き物だと、私は思った。
もう二度と、誰も最悪のシナリオを選ばないで欲しいと思うのに、表紙に指はかかってる。
沢山の表現者たちが、そして愛を持った人たち皆が、愛を語り、歌い、平和を望んできたのに、全ての人に伝わる事は、ないのかな?皆が優しい方向を向いて幸せに生きることは出来ないのかな?なんだか寂しくて悲しい気持ちで一杯になります。

2001年09月05日(水) 幸せの一夜
九月は二日に、高円寺のSHOW BOATで、我が愛する"UNIVERS"のライブをしたよ。
 メンバーのくーたん、じんちゃん、観に来てくれた人、呼んでくれたケンとマークのジギーさん、P-GARAGEのリーさん、みんなみんな、私に至福のときをくれてありがとう。そして私もありがとう。
 この日は27歳最後の夜で、打ち上げ中に28歳になったわけですが、おかげさまで27歳ラストで、より一層自分を好きに
なれたよ。
 やっぱり私はノスタルジーなんかじゃなくて、音楽を奏でる事が大好きだととてもよくわかった。
 そして、やっぱりあの二人と一緒に奏でる音楽が一番好きだって事もわかった。
 このライブをみて、音楽活動を休止してた人が、火がついたって言ってくれて、活動を再開する事を報告してくれた。良かっ
た。一人のミュージシャン生命を救えたよ。
好きなうちはやめちゃいけない。嫌いになったらやめればいい。大好きなのにやめたって、楽になった気がしたとしても、も
っともっと大きな穴があく。それは自分を痛めつける事になる。私は身にしみてわかってる。自分は一番可愛がらなくちゃい
けないから、好きなことは沢山やってあげないと。
北海道に居る元メンバーの正太君、入院中のなるき君、私たちが搾り出した命の唄は届きましたか?

2001年08月28日(火) 再確認
欲しいのはただ、背中に電気が走るような、初めての快楽と、何かに追われてるような、刹那の気持ちよさと恐ろしさだけ。
理屈をこね出したらダメになる。その先に待ってるものを、捜しはじめたらダメになる。そんな気がする。
ドラムを叩く理由も、恋をする理由も、捜す必要なんてない。欲しいものが欲しい。ただこれだけでいい。
思うことはただ、空を見上げて涙を流すことを忘れないこと。海にいろいろなことを聞きに行くのを忘れないこと。
振り向いてもいいから、その時には笑顔でいられること。
一番大好きなのは、いつの日も自分であること。
泣きたくなっても、少し重い夜も、みじめな朝も、自分が味方でいてあげられること。
大切な人たちみんなが、一回でも多く笑えるように、その笑顔で私も、幸せであるように、小さな重なりをくり返すことを、大事にすること。
退社カウントダウン、炎天下のオフィス街の谷間に潜り込んで、こんなことを思った私でした。

2001年08月16日(木) 空気
なんでだろう?これはなんだろう?
ドキドキする訳でもなく、フワフワとした幸福感がある訳でもなく、高揚する訳でもなく、ただただ一緒にいると平常心である。
楽しいっと実感する訳でもないけど、退屈だと感じることもなく、何時間でも経っていく。下手をすると何日でも経っていく。
予定の時間を6時間過ぎようと、ヤキモキもせず、気にもならない。腹もたたない。とつぜんここに居ても、びっくりもしない。すごく嬉しいってわけでもない。
なんだろう?君は何だろう?いろいろなことが有り過ぎて、もうわからないよ。
抱き締めあって、確かにそこに愛があった人が突然そこに居たら、嬉しかった。会えなければ寂しくてヤキモキした。連絡がなければ、気が気じゃなかった。
だったら君は何なんだろう?愛じゃなくて、恋でもない。でも友達じゃない。偽りでもない。
空気みたいってこうなのか?とも思う。でもちょっと違う。誰もいない空間の空気は、こんなに心地よくないよ。
そして私は、君がいなくても、窒息なんてしない。誰かいなくちゃ生きられない女には、なりたくない。
子供の頃離せなくて、引きずって歩いてたタオルケットみたいなものかな?強いて言えば。お母さんに知らないうちにどんどん切られて小さくなって気がついたらなかったけど。
でももう大人だから、離す時は自分で捨てるよ。今の所、手放せる気はしないけど。

2001年08月08日(水) Age of Innocence
水墨画みたいな夜に、自分を思い返す時、海辺で自分を見つめてみる時、私は私の想いに、欲求に、衝動に、自分に対して純粋でいたい。
 人の一生の中で、純粋でいられるのは、ほんの一時期なのかも知れないけど、そんな意味で、私は一生その一時期の中で必死に泳いでいたい。
 愛する人にぶつかっていく気持ちも、見返りよりただその一瞬の幸せが欲しい気持ちも、何かを犠牲にしても、結局音楽を奏でることを選ぶ気持ちも、全部大切に持っていたい。
 悲しいことや、辛いことに、泥まみれになっても、心や体に傷がついても、私の中の大切な”純粋”が守られるなら、構わない。
 真っ白じゃなくていいよ。どんな色でもいい。純粋に自分らしく生きるその時期のまま、原色がぶつかりあう逆流の中を、自分の大切なところを守って、泳ぎ続けたい。

2001年07月25日(水) 幸福論
例えば君の中心に、私がいなくても。君にとって私が、どんな存在でも。例えば私の周りのすべての人が、私をどう思ってても。今振り向いたらここで、私の世界が終わるとしても。そんなの私の幸せには関係ない。
奥さんだったり彼女だったり、契約みたいな名のもとにあって、一ヶ月に3回しか会えないなら、友達でも知り合いでも愛人でもなんでもいいから、一週間に3回会えた方が、私は幸せ。
手を触れずに愛を語るなら、憎まれ口の中で体を叩きあう方が、私は幸せ。
その事柄についてどう思うかじゃなくて、その瞬間にどう感じるかって事が、私の幸福を感じるすべてなの。
当たり前のように抱き締めてくれる保険みたいな包容じゃなくて、触れたその時に嬉しいと感じさせてくれる頼り無い指が欲しい。
先の風景なんていらない。今ここに現実の君と、生きている私のからだと、奏でたい音楽があれば、私はとても幸せ。

2001年07月19日(木) さよならBABY
誰か一人に当てたさよならじゃなくて、通り過ぎていったbaby達へ、あたしの中につきまとう、居心地のいい場所へのノスタルジックな執着へ、さよならバイバイ。もう十年近くも、泣きながらばかり電話されて、さぞ迷惑だっただろう、長い手紙をくれる人も、愛すべき伴侶を見つけた。みんな自分の道を見つけていく。どこにいるのかも分からない、何をしてるか分からない人たちも、このまま分からなくていい。みんなみんな、幸せであるように。気がつくとそこに居た、離れきれずに居た人も、ホントは君も私も分かってる。君のいる場所はここじゃない。まん中はここじゃない。そろそろお湯もさめるころだよ。そして今もたくさん心配をしてくれて、優しくしてくれる君は、そうやってどんどん心配する対象、大事にする対象を増やしてしまい、抱えたまま歩いてるから、君の荷物はどんどん重くなっていく。置いてくモノは置いてかないと、何も持てなくなる。重くて進めなくなる。もう、置いていいよ。他のモノがなかなか下ろせないなら、手始めにあたしをここに置くといいよ。そしてあたしはまるでカルメンマキの歌のように、風のように自由に生きることにした。独りぼっちも気侭なものさ、とか強がりながら。手ぶらなあたしのふところに、収まるべきあったかいものに早く会えるように、あたしの両腕は今日広がった。

2001年07月12日(木) 長い道
パソコンも持ってない、操作もできない君に、直接言っても今のあなたには理解できないだろうから、いつか、君がパソコンでも買おうかな、なんて前向きな気持ちを取り戻して、振り返って読む日が来たら、と思って書くよ。もう少し君が落ち着きだしたら、小出しにして話すよ。

 あなたの今抱える疑問は愚問だ。自分が誰かなんて、誰にも分からない。死んでも分からない。そのへんの人に聞いたって、多分名前と職業と出身くらいしか言えないよ。分かるって言う人が居たとしても、多分思い込みの評価だろう。一つ一つ自分の存在を見つけながらみんな生きていくんだけど、あなたは日々変わっていくから、みんなも日々変わっていくから、そんなの結論なんか出ない。分からなくていいんだよ。分かってしまったら、人も愛せないし、自分にも興味がなくなってしまう。君が生きていく限り、分からなくていい。そして、すべてに理由が欲しい、知りたいって言うけど、その瞬間に、自分なりの理由があればいいんだよ。お腹がすいたから食べる。眠いから寝る。生きてることとか、存在自体に理由をさがしても、愛しあうことから君が生まれたことだけが存在理由でいいんだよ。その先は、一瞬一瞬君が勝手に、自分の人生の全てに理由をつけていいんだよ。おかしいと思ったら負けちゃうよ。弱いと思ったらどんどん弱くなる。今は思い込みでいいから、自分は強い、辛くない、恐くないって思ってほしい。壊れちゃったら直せばいいけど、治らない程大破することも人の心はある。だから今のうちに、見えないものに怯える心との争いに勝ってほしいよ。弱虫に負けないでほしい。君は私の妹だから、精神力にも最後のばか力が残ってるはず。どうして顔は似てないのに、19,20で心が弱るってとこだけ似ちゃったんだろう。でも、治るから大丈夫。経験者が語ってるんだから本当だよ。家族が居て、住むところがあって、御飯が食べれて、少しでも眠れる体があれば人の幸せの基本形はOKだ。後は付加価値みたいなものだから、ゆっくり取り戻せばいい。まだまだ若い君の先には長い道があって、もっと辛いことも多分たくさんある。でもきっと今勝てたら、この先きっと強く生きていけるよ。ちょっと過酷な練習だけど。年老いた両親が疲れ果てても、友達と会えなくなっても、医者がくだらないことしか言わなくても、君の強いお姉さんが最後まで一緒に頑張るから大丈夫。安心していいよ。


2001年07月05日(木) 不可抗力刹那主義
私は実は心配性なので、自分的には、先々のこととか、考えてるつもりでいる。でも振り返ると、いざ私のとる選択は、どう考えても刹那主義である。どこが後先を考えてるんだ、と、思うことが多い。気がつくともう、先のことなんて考える余地はなくなってる。目の前のことしか見えない。目の前の人しか見えない。その一瞬私を幸せにしてくれるモノに、心も思考も奪われていく。こんな調子だから、後で、あ〜あ、とか、一瞬後悔することも多々ある。でも、決まってそんな時、でもあの時幸せだったからいいや、あの時楽しかったからいいや、で私はひとりで納得する。そして結局突っ走ったことに満足する。周りで迷惑被ってる人、おこらないで。わざとじゃないの。私の刹那主義は不可抗力なの。私にとって理性はただの足枷なの。感情の赴くままにしか動けないの。話せないの。座右の銘は明日は明日の風が吹く、テーマはクイック&アクション(はじめに働いた会社の社長の受け売り)、パッションとエナジーとリビドーだけで生きていきたいよ。

2001年07月01日(日) 復帰宣言
信じる者は救われる。これは本当なんだと確信した。私は昔Go Kurtというバンドをやっていて、そこのフロントマンの、ミュージシャンとしてのその人のとてもファンだったし、そこにいる間はけっこうストイックにバンドをやっていて楽しかった。脱退以来、精力的なバンドはやっていなかったんだけど、最近人のライブを見る度にやりたいな、やりたいな、と思っていて、でもやるなら、その人とまたやれたらいいのにな、と思っていた。彼は彼で頑張ってるし、私もすっかり会社員だし、そんなわけないか、と思いながらも、再結成ライブを想像して楽しんでたりした。そしたらなんと、予定だけど、当時の三人で、九月にライブをすることになったよ。一回だけだとしても、そのライブはきっと私の導火線に火をつけてくれると思う。理由はそれじゃないけど、会社も辞めることになったし、ちょうどいいじゃん!!やっぱり信じてれば、かなわないことはない。地球が私を中心に回ってて良かった。


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