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2005年05月12日(木) | 心の恋人その2 |
結婚出産をしてるうちに、心の恋人を選出するのを忘れてた。 独身の頃は、彼氏がいようがいまいが、職場、とか、かかわってるイベント先、副業バイト先、とか、自分のBANDの仲間内、池袋の飲み仲間、前のBANDの仲間内とか、各出没場所に、心の恋人を選出していたのだけど、すっかり忘れてたわ。 浮気願望などではまったくないし、その心の恋人の皆様に彼女がいても嫁がいてもなーんともない。ほんとただのお気に入りの存在。 だから、その現場を離れると、ふつふつ考えてたりとかまったくないの。その場限り。思い焦がれることはないのさ。 ホントにお気に入りってだけ。でもそういうのがあったほうが、日々が楽しい。 こんなことくらいいいよねぇ? ってこれから選出なんだけど。 ちなみにダンナマンは、心の恋人出身です。 |
2005年04月07日(木) | 誰かのものであり、誰のものでもない |
独身の頃は、頻繁に会うのは飲み友達で、そして飲み友達は男子が多かった。 常連仲間や、同級生、バンド絡み、いろいろ。 なぜかというと、仕事が9-17じゃないことがほとんどだったので、男子の方が大体終わる時間が近い。 何日も前に飲む約束をして、当日飲む気分じゃないと楽しくないので、当日突然誘う、そして突然呼ばれるのが好き→これに対応してくれるのは男子のほうが多い。 今は当然、そんな機会もなくなったわけですが。 どうも、男子の友人は、こちらが結婚すると、冷たいというか、リアクション悪くなる。 もちろん飲みには誘わないから、でも元気かしら、とは思うので、生存確認のメールをしたりしても、なんかリアクション悪い。 あれ?用なし? 飲みにいけない私には用はない? するってぇと、友達では、ないの? それとも誰かの妻になった女には用はないのか。 そんなヤツは、早くまぬけな女と結婚して無趣味なマイホームパパになれ。 でも、変わったわけじゃない。 妻にはなったけど、所有物にはなってない。 今も昔も、私は誰のものでもない。 だけど今も昔も、いつの日も、私は誰かのもの。 いつでも誰かが心にでんと住んでいるんだよ。 だから、誰かのものであり、誰のものでもないのだよ。 なんのこっちゃ、と思う貴方と私は、おそらく火星人と地球人の間柄。 いつまでたっても交わることはなく、そして交流も欲しくないまま、背中を向けてさよならしましょう。 そうだよね、と思う貴方と私は、来世で恋をするかもしれない。 明日、話をするかもしれない。 |
2005年03月21日(月) | ショッキングと尊敬 |
YUKIちゃんの、大変ショッキングなニュースがありました。 正直今まで興味もなく、曲も人がカラオケで歌ってるのしか聞いたことがありません。 でも、同じ年の子を持つ親として、素通りできないニュースでした。 気持ちがわかるなんて、とても思えない。 きっと隣で子供がしっかり寝息を立ててる幸運な私たちには、わからない気持ちだと思う。 自分だったら、、なんて、恐ろしくて考えることも出来ない。 今月末からのツアーは、敢行されるようですね。 これには私は最大のリスペクトを送りたいです。 もちろん、中止でも、誰も責めないし、いた仕方ないと思う。 私なら、ライブはおろか、何も出来ないと思う。 だけど彼女は歌うことを選んだんですね。 ほんとに、唄歌いなんだな、と思いました。 最愛のご子息のために、一生懸命生きる、、。 言うのは簡単だけど、やるのはとても大変でしょう。 でもきっと、彼女が歌うのをやめたら、ご子息も悲しんでしまうんでしょうね。 何万人もの人が愛している歌声、きっとご子息も、彼女の子守唄が大好きだったんでしょうね。 それならきっと、彼女が歌い続けることを、歌う歌を、喜んで聴いているんでしょうね。 でも、やっぱきついと思う。 私は、かつてのバンドメンバーがなくなったことがあり、唄ってやっぱり、思い入れがあって、その唄に物語があって、自分なりにイメージして演奏するシチュエーションがあるから、きつい。 未だに、思い出話は出来ても、口ずさめない。じんちゃんとずっとやってた唄は。 どこにいても、それを歌えば泣いてしまうから。 だけど、それでもそれを選んだ彼女を、母親として、音楽を愛するものとして、人間として、尊敬しました。 ずっと、歌ってて欲しいと思う。 |
2005年02月07日(月) | 数々のジレンマ |
なんだか最近私は怖いお母さんです。 娘マン的にも、言葉で伝えられないジレンマがあるでしょうし、日中離れてるときや、寝てるとき、ギューってしてるときにはわかってるのに、実際娘マンのキーキー現場になると、怒っちゃってから気づく。 どうしてその場になると、一呼吸置けないんだろう。 娘マンは、思いが伝わらないジレンマ。思うようにいろいろなことが出来ないジレンマ。 私は、娘マンに怒ってしまうことや、思いが汲み取れないこと、そして家事もろくに出来ない、勉強もろくに出来ない、ドラムの練習もBANDでの練習以外に十分には出来ない、数々の出来ないジレンマがぶつかり合っている感じです。 だけど、このぶつかり合いに気づいてるのは双方ではなく、もちろん親の私だけなので、私が何とかしなくちゃならないのです。 どうして向き合ってるときは、こう冷静になれないんでしょう。 どうして娘マンは怒られても、私にニコニコしてくれるんでしょう。 ホントは娘マンの方が大人なのかもしれないですね。 私にも、物心ついてからですが、親との係わり合いの中で、悲しい思いをした、とか、どうして?ってはてなのままで終わってしまった、今でも覚えてるエピソードがいくつかあります。 それって、少ないほうが、そしてないほうがいいに決まってるよね。 今ならまだ間に合うなら、そんな影を落とさないようにしてあげないといけません。 |
2005年01月22日(土) | いまさら年頭に考える。 |
毎年元旦に今年のテーマとか書いてたんですけど。 食あたりでそんな余裕がありませんでした。 そして例年のように、大それたことを書く前に、今年の私の目標、テーマは、早起きです。 もう、全部ここからはじめないと、なにもかなわない感じで。 BANDでは、前半にレコーディングをして、ミニアルバムを出す予定。 そしたらそれもって、関東だけでも回りたいし。 仕事でも、万が一クビになっても次につながるよう、そしてクビにならないよう、十分な知識と経験が欲しいし。 そしてプライベートでの自分への希望はたくさんあって。 ・家をきれいにしたい ・まともな食事をつくりたい ・あみものしたい(あみぐるみをはじめたい) ・娘マンとたくさん遊びたい ・ダンナマンとの時間も欲しい ・友達を家に呼びたい ・暖かくなったら娘マンに水泳を始めたい どれもこれも時間が必要。 でも今は、帰ってから寝るまで、余裕の時間なんてないし、家事も最小限しか出来てない。 どこに時間を作るかって、早起きして、夕食の下ごしらえや家事を、前倒しに持ってくるしかないんですよ。 わりと大切で、もっとも苦手な早起き。 これが今年のテーマです。 |
2004年12月19日(日) | 年賀状 |
毎年、割と枚数を出す私なのですが。 今年は、少し厳選してみようかと思うのです。 人間関係にしろ、思い出にしろ、抱えられる量には、限りがあると思います。 そして、欲張ってたりすると、新しくて、すてきなのが入るすきがなくなる。 しかも重い。 だから、いらないものは捨てなくちゃいけない。 今年はそんな年なのかもしれません。 PCを買い換えて、Macで、一般的なメールソフトを使ってなかったため、うまくwinにエクスポートできなかったり。 その後も、なぜかわからんがOUTLOOKのデータがぶっ飛びました。 で、携帯も、ジュース没一回、水没一回。 これ、連絡先整理しなさい。それで連絡不能になるくらいの相手なら、もう登録すんなよ、とお告げでもうけてる気がして。 自分自身も、どこか、あ、いいや、いらないのなくそう、と、データが飛ぶたび思ったりして。 年賀状だけの付き合いみたいになってても、会いたいな、機会作りたいなって思ったり、毎年の写真を楽しみにしてる人と、ほんとにただ交換してるだけの人がいたりして。 後者は、もうよそうと思って。 というわけで、私にはスペースが出来そうです。 新しい仲間や思い出が、増えることを願って。 |
2004年12月18日(土) | 泣きながら |
ドリカムは、個人的には聞いたことないんですが。 スカパーで、救命救急24時を、少し前によく見てて。 あー泣きながらー生まれたのに って歌があるじゃないですか。 あれが、ふと耳にこびりついたんです。 そうそう、泣きながら生まれたんだよなって。 赤ちゃんの、産声は泣き声。 うちの娘マンも確かに泣きながら生まれました。 赤ん坊の産声を聞いて、イラつく人はいないでしょう。 とくに親はなおさら。 待望の泣き声で、幸せを感じる泣き声でした。 彼女達的には、同じだよね。 泣きながら生まれて、今は泣くことでしか伝えられないことを、泣いて訴えてる。 何も変わってないのに。 いつから、私は、待望だった、泣き声に、時々いらいらするようになったのでしょうか。 変わったのは私だったんですね。 娘マンが泣き虫になったわけじゃない。 泣きながら生まれて、まだ1年半しか経ってないんだもん。 そうだ、泣きながら生まれたんだ、、 って、最近一呼吸おいて思い出すようにしています。 |
2004年10月05日(火) | 本人が頑張るといったのか |
私は、知ってる人、知らない人問わず、娘マンと同じくらいのお子さんのサイトを見るのが、結構好きです。 で、よく日記を見せてもらうのですが。 少し気になることがあります。 子供の調子が悪かったけど、出かける予定だったので、頑張って行って来た!とか。 途中で子供の様子がちょっとおかしかったけど、まだ途中だったので、お買い物を最後まで頑張ってしてきた!とか。 ちょっと微熱っぽかったけど、お友達と約束してたので、頑張って行って来たよ!とか。 そういうのに限って、夜にはやっぱり熱が、、反省、とか書いてあったりして。 なんか違うと思うんですけど? 頑張ってってだれが?乳児がアタチ頑張るとでも言ったんかい、と思うのですが。 うちは、37.5℃なくても、ちょっとやばいと休ませますが、ギリギリの線で、仕事休めなくて、保育園に預ける人は居ると思うけど、それとは違うと思うんです。保育園には看護士も居て、熱が上がればすぐ呼び出してくれるし、病院にもいけるように保険証と医療証のコピーは渡してあるし。 恋人が、自分が体の不調をさりげなく訴えてるのに、それはさておき予定していた映画を見よう、とか、頑張って買い物行くぞ、とか言って連れまわしたら、げんなりしませんかね?別れがよぎるかもしれないですよね? でも、親子は別れられないし、子はげんなりしても1人じゃおうちに帰れません。 そういう事平気で書いてるサイトが、虐待事件に心が痛みます、、とか書いてると、オメーのやってることも虐待といえるぞ、と思ってしまいます。 |
2004年10月04日(月) | 載せない理由 |
最近、というか前からぼちぼち、なんで写真載せないの?見たいなー。といった質問やメッセージをいただいたりします。 うちのサイトは子供の顔や名前を一切載せてません。 きっかけは旦那からのお達しでしたが、私もそのほうがいいな、と思って。 最初にお断りしておきますと、あくまでうちは、という話で、お友達のサイトの可愛い写真は、私自身もとっても楽しみにしていて、他サイトさんが写真を掲載してることに対して、批判的は気持ちはまったくありません。 あくまでうちは、私は、という話です。 理由はただひとつ。了承を得てないから。 娘マンはしゃべれないし、もう少ししてしゃべったりしても、まだ判断力や、ネットの怖さとか知らないから、本人の了承を得てないからです。 もちろん、幼稚園児が、サイトの写真を見たロリコンに幼稚園まで来られた、とか、ロリータサイトに転載されたとか、そういう話も怖いんですが。 そしてもうひとつ、私は逆に自分の顔は出します。 別に構わないし、本名でBANDやってますから、たまにはPUNK専門誌に載ったりもするし、外に出るBAND活動をしてて、いまさら隠してもしょうがないし。目立ちたがり屋だし。 それと同時に、このサイトは、育児サイトとしてスタートしたわけではなく、もともとは、女の子のクラブイベントのサイトから始まって、ここまできてるし、BANDのサイトは、URLがフライヤーやCDに載ってたり、時には雑誌にも出るので、はじめから不特定多数の人が、比較的訪れやすいサイトです。 それはありがたいことですが、同時に個人特定されやすいともいえます。 そういうので、街で、あ、あの子娘マン、と言われる可能性もあるし。 うちのBBSも写真が貼れますが、誰かのサイトに写真貼っても、他の人が見ても誰かわかんないでしょうから、大丈夫だと思うんだけど、うちんちにうちの子を載せるのは、ちょっと特定しやすいから怖いかな、と。 でも、その辺は後から考えて心配材料となった話で、やはり、本人の了承を得てないからですかね。 お友達を載せる時とか、いい?とか聞きませんか? うちの子も個人ですから、一応プライバシーは親も守んないといかんかな、と。 本人が、小学生や中学生になって、ネットアイドルになりたいから作って、とか言ったらしぶしぶ教えてやりますが。 あとちょっと気になるのが、お子さんを載せてるサイトで、お子さんはそのまま丸出しなのに、自分にはモザイクかけてるサイト。 それはちょっと気の毒だと思うんですが。お子さんが。 私は神経質なんですかね? |
2004年09月07日(火) | 平凡じゃないってどういうことだろう? |
妊娠、出産をしてからというもの、あっと言う間に時間が過ぎていきます。 先日、31歳になりました。あーびっくり。29歳かと思ってました。 毎日起きて大慌てで保育園に行き、会社に行き、大慌てで保育園に迎えに行き、洗濯、娘のご飯、洗濯干し、お風呂、寝かしつけ、大人の食事、以上。みたいな。 あっという間に今年もあと4ヶ月ありません。 こんな調子で毎日過ぎていき、あっと言う間に40歳ね、なんて思いましたが。 でも、平凡じゃない暮らしってなんだろうか。 たとえば芸能人とかだって、毎日毎日、レギュラー番組の収録をして、家では寝るだけ、で、それが日常になって、あっという間に時が過ぎてるのではないかしら。 もし私が今も独身だとしても、遅い時間の勤務だったので、昼過ぎ起きて、洗濯して、仕事に行って、池袋に戻って、飲んで、朝方帰ってスカパー観て、寝て、って、同じように、繰り返しの毎日で、あっと言う間に40歳になったんだろうな、と思う。 その中で、ひそかな変化とか、面白いことを見つけて楽しく生きていくんだろうけど、娘の成長とか、ダンナマンの変化とか、見つける範囲が広がっただけ、楽しくなった、ということではないかしら。 繰り返しの毎日で、あーつまんない、と思うより、繰り返しを楽しめるほうが、勝ちかもしれない。 そうそう毎日劇的な変化のある人生なんて、ないだろうし、そんなの神経持たないと思うのよね。 居心地の良い中での、繰り返しなら、それは幸せ、ということなのでしょう。 |
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