TWILIGHT DIARY
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原作をすでに読んでいたので、どのようにあの悪臭の漂う18世紀のパリと究極の香りを映像表現するのか興味津々で観て来た。
普段、人は美しいものばかりを愛する。 美しい人、美しい風景、美しい音、そして美しい香り。
主人公のグルヌイユの生まれ育った環境はとても汚くて悪臭が充満し、周りは人を人とは思わない、身寄りのない子どもを人身売買までする、愛という言葉のひとかけらもないような狡猾で傲慢で強欲な人ばかりだ。
そんなところに出現した匂い立つような美しい赤毛の物売りの少女に出会ったときから、グルヌイユの中にある何かが呼び覚まされる。 そして究極の香水を求めるがために次々と殺人を犯していく。。
さて、原作を読んだとき、私は単に「嗅覚の快楽」がテーマだと思った。
だが映画を見ると、不幸な生い立ちの主人公の満たされぬ孤独と愛の欠如や、なぜ無臭の主人公(彼自身は匂いを全く持たない)がそこまで究極の香りを追い求め自分の物にしたいと願ったのか、シンプルに納得できた。
自分は誰にも愛されない、それは自分が香りを持たないからだと彼は思い込み、愛されるような匂いを持ちたいと願い、自分が愛する美しい匂いの収集が殺人へとつながっていくという、不幸で哀しい構図が見えてくる。
それにしても、この物語は18世紀のパリが舞台だから、どこか遠くの物語のように思えるが、動機が全く同じではないにしても、これに近い犯罪は現代でも存在するだろう。
グルヌイユを見ていると「金閣寺」のあの可哀想なお寺の小僧さんをちょっとだけ思い出したのでした。。
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