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なぜ目録だったのか 2004年02月08日(日) | 昨夏に受けていた図書館司書講習で出会った図書館の「目録」という世界。目録とは英語で言うとCatalog。つまり本のカタログを作るのが、今の私の仕事です。 目録を作る本の対象というのは 1.日本で流通している新刊本すべて(書店に並ぶ本、及び自費出版や学術書など書店にはないけれど版元で注文を受けている本。) 2.取引先の図書館に卸す本、ムック(この中に一部非流通本もあり) で、つまり日本中の本という本の総カタログが常にこうやって作られていて、更新されているという訳です。このカタログは、本を購入した全国の図書館(や書店)にオンラインで流れます。そして編著者名や出版者(社)のデ−タは全て国内共通の形で典拠ファイルというものが作られていきます。 目録に載っているデータ内容は、タイトルに関する事項、責任表示に関する事項、出版者・頒布に関する事項、形態に関する事項、シリーズに関する事項、注記に関する事項、ISBN・本体価格(特価)という8つのブロックに分けて(これは「日本目録規則」で定められているものです)本そのものを情報源として、司書によって作成されます。本に誤植があれば、誤植の注記がされますし、タイトルなどが改題されているもの(ハードカバー→文庫化される時などに多いです)は以前の本のタイトルからも検索できるように版・書誌来歴の注記が入ったりもします。全部、これらは手作業でデータ化されていて、本の大きさも、一つ一つ物差しで測って、前書き、後書きなんかも読んで、注記すべき必要な情報がないか調べています。 私は海辺のカフカ(村上春樹さんの小説です)に出てくる「大島さん」に恋をして(笑)、憧れて、司書をめざしたハズなのに、どうして、いつの間に「目録」なのかなー?って、ずっとずっと自分でもよく分からなかったのです。講習で目録に出会った時から、訳がわからないながらに夢中になり、目録の仕事の求人広告を見つけた時に「これしかない!」と飛びついてしまった理由が、最近少し分かった気がしてきました。 きっかけは、お友達から借りたコミックスでした。博物学者(植物学者かな?)の女性が図鑑のページをくりながら助手の少年に語りかける場面で 「この本とか、今やっている事とかは、この星の目録なのよ」 と言っていました。今当たり前に目の前にある草も木も、すべて地球を構成するもので、うつろい、変化したり、淘汰されたりしながらあるもので、それを一つ一つ拾いあげて、観察して、情報を集めて目録を作っていく事、それが仕事だと。たいせつな、たいせつな作業なのだと。それって、科学の世界だけじゃなくって、今自分がやってる仕事もそうなんじゃないか・・・ハッとしました。なぜ、図書館の目録という世界に惹かれたのか、それが分からなかったもやもやがぱーっと拓けた感じでした。 哲学、社会学、物理学、生化学、医学、工学・・・もちろん文学など、そういった学問すべて、それは何らかの形で表現され、文字によって残され、後世に伝えられていくものです。石に文字を刻んでいた時代が、紙に文字を書く時代になり、コンピュータに入力する時代になっても、ヒトは自分が得た知識を残し、伝えたいという欲求は変わらないでしょう。そうやって人の知は紡がれていき、文化や科学が創られていくのだと、今さらながら気づきます。 いつか未来の誰かが過去の書物やデータから何かを知りたいと思った時に、膨大な目録の過去データから目的の本に辿りつく事は、広い海の中からいくつかの小さな貝殻を探す冒険のようなものです。その貝殻に辿りつく冒険の手助けをする仕事が、図書館司書の仕事です。そう考えると、現場の司書さんが冒険に迷った人にレファレンスしやすいように、一册一册の本を丁寧に調べ、目録をとる事が、とても大切な仕事に思えてきたのです。いつか、今作っている、この本を探すために、冒険をする少年少女がいるかもしれない・・・そんな事を想像しながら本を手に目録を作ると、なんだか楽しい気持ちになってきます。また明日からガンバロウ〜♪ |