更新作業を担当してるのにまったくやってない管理人の藍華です。 ふと、アタシ何年色々逃げ回って生きてきてるんだろうなぁ…自分の過去を振り返りました。 元々、全てにおいて中途半端が売りのアタシなので、何かを全うするのはそりゃぁ、並大抵の努力と根性がないと続きません。 あ、後、その事に対する情熱という名の愛ね。 アタシが和裁士として見習い期間からいっぱしに仕事をするようになっての長さは約8年。 一人前として認められましたが、結局着物が縫う事が出来るだけの人で終わりました。 結局、一生の仕事としてはモノに出来なかったんです。 『このまま、和裁士としてやっていけない』 限界が来たんです。 着物は今でも大好きです。 骨董市に行けば古着の着物も古反物眺めたり、呉服屋見かければ冷やかすし、着物着てる人がいれば必ず観察するし(時々辛らつに批評もしますが)、自分用の色無地と訪問着くらいは準備しないとなぁとか真面目に考えもします。 でも、一つだけ決めた事があります。 『もう二度と和裁士には戻らない』 着物が大好きです。 だから、戻りません。 私は、『一人前の和裁士として仕事をした』という、事実をゴールに走る事を辞めました。 まだ、走ろうと思えば走れたのに、和裁士というものから逃げました。 技術のみの職人の世界には、限界はあってもゴールがありません。 ゴールが見えない中を走るのはとても辛い事です。 そして、自分の技術向上への限界を知ってしまいました。 だから私は和裁士として走る事を辞めたした。 きっとどんな職業でも似たようなものだとは思います。
相方のらいあは歌を歌う事を貫くためもがいて、苦しんで、頑張ってます。 和裁士と違い、技術だけではどうにもならに世界に身を置くのはアタシには想像できない苦しさだと思います。 歌が好き、歌が歌い、その気持ちだけが支えなんです。 それがどんなに心細いか…。 それでなくても心にハンデを負っているのを言い訳にしないよう無理もしてます。 でも、そう思うようになったのも、そのハンデによって痛い思いと、痛い目にあったきたからこその進化だと思ってます。 確かに、顔をしかめてしまうようなコトも沢山してでかしてるし、でもその失敗があるから明日が笑えるんだと、らいあは分ってる人だとアタシは思ってます。 らいあはとっても純粋(きれい)な人だから、人の意見を真っ直ぐ受け止めてしまうんです。 そしてちゃんと自分のものにしようと他人から言われた言葉からなかなか出てこられなくなります。 自分の行動だったり、今の現状の残酷な事実だったり、その結果が分っていても自分の中で消化するのに時間がかかってしまうのです。 ただそれだけ。 だけど、なまじ対外的には社交的に振舞えたり、仕事などは優秀なので、みんならいあは大丈夫!!みたいに思ってみたり。 頼りにしちゃう傾向が。 そして、似たような痛い系の困ったちゃんに絡まれます。 らいあはね、そんな人すら見捨てません。 それは、自分自身も否定する事になりかねないからです。 人に誠実であることが自分に誠実であること。 アタシからみたらいあはそう見えます。
なんだかね、アタシとのデートの前に痛いご意見を頂いたそうで。 いつものように振舞っていましたが、なんだか無理してる感が。 だっていつもよりテンション高いんだもん。 それで昨夜長電話をしてみたり。 アタシがその意見を直接聞いた訳じゃないし、らいあが感じた事を聞いたので一概にその意見が一方的だとは思わないけど…らいあの落ち込みっぷりが久々に度を越えていたのでちょっと励ます意味で、関係ない人が読んだら気分悪くなりそうな日記を久々に書いてみた。 たまたま此処にたどり着いて読んじゃた方にはごめんなさい。 そうでない方にもごめんなさい。 とりあえず、アタシは何があってもらいあの味方だってことの再確認と宣言ですってことで
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