− お気楽 Diary −




 父の誤算    2008年09月30日(火)


 母の怪我は日を追うごとに回復傾向にあり、ドンドン動けるようになっているようなのですが、本人はそれを喜ばしいと思う反面 「治って退院すれば煩いジイサンとの生活が待ていると思うと帰りたくない」 とも考えている様子です。 確かに父の性格と付き合うのは大変だということは分かりますが、これまでに何度も離婚するチャンスはあったのに "この歳" まで我慢したのですもの 「最後まで責任持てば?」 というのが我々娘の考えなのではありますが... ここにきて父の過度なまでの自己中には呆れ返っていることも確かなのであります。

 そもそも、私たち姉妹は幼い頃から 「自分たちの老後は子供の面倒にはならずに、二人でこのまま都営住宅で暮らすから心配しないで良い」 といわれ続けて狭い家で育ち、たまたま姉も私も結婚相手が長男だったときの父の反応は 「我々のことは心配しなくてもバアサンとずーっとここで暮らしていくから大丈夫だ」 と言ってくれていたのに、母の事故後からは 「日本の家族制度は間違っている。年寄りだけの世帯が多すぎだし近所で孤独死もあった。やはり老後は若い者に面倒を見てもらえるように家族揃って生活するべきだ。」 などと言い出しております。 もちろん、それに対して反論はありませんが、90歳を目前にして急に考え方を修正されても難題が多すぎなわけでして?

 とりあえず一人で居るのが心細いのならば、母の入院中だけでも我が家へ来て生活して貰っていてもよいし、短期間だけ施設の世話になることもできると伝えても 「自分の今の生活は変えたくない!」 と折れる気持ちはコレッポッチもなさそうなのが困り物です。

 どうやら父は "母よりも先に死ぬ" ということを前提に "老後は妻に面倒をみてもらう" と予定していたようでして、それが今回の事故で "予定通りには行かないかもしれない" という不安が大きくなってきたようなのです。 こうなってくると 「母の容態を心配していることだって自分の今後に関わるからなんだ?」 とまで思えてきちゃいますし、新たな家具の購入や配置換えに際しても、自分の都合ばかりを押し付けてきて母の動線なんて全く無視する意見には腹が立ってくる毎日... それを堪えて、帰り際には "耳の聞こえない父のために筆談で説得する" ということに時間を費やすのですが、長いときには1時間も要することがあるのですよ。 しかも自分に都合が悪い話になってくると 「動悸が激しくなってきて倒れそうだから、もういい!」 と突っぱねられるので、スッキリとした気分で帰れない日も多いんです。

 歳とともに、すぐに手を上げるという暴力行為はなくなり、短気な性格も少しは収まってきたかに見える父ですが、なにしろ母よりも頑丈そうな体からして "長生きするのは間違いなし!" と思われますので、今後のことが気掛かりですヮ...



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