あお日記

2002年12月02日(月) 原稿用紙


 この年の7月付けで日記を再開したと少し前に書いたのだが、それより前の春あたりからそういった文を書きたい衝動があったようだ。私小説から始まった私の文書きは、高3の文化祭で発表した『秋』から急速にモチベーションの低下を招いた。それまでは自分の幼い体験を基にした情景が余りに多く、必然的にネタ切れという羽目にあった(笑)。それに加えて自分の書き方に対する姿勢の問題があった。要は自分の考え方を周囲にひけらかして満足を得るそれまでの手法にウンザリしていたからだ。そういったものは日記に書けば十分なのであって、安易に近い人間にふれさせて賛同を得るものでもないと考えるようになったからだろう。

 そう思ってからずっと書けなくなっていた私に、とりあえず日記を再開するきっかけになったと思われる文章が原稿用紙に書きなぐってあった。それがこの年の4月から書き始めたものである。内容は日記と思って疑いがないものだが、どうして原稿用紙に書いたのか我ながらとても理解できない(笑)。


 その冒頭に登場するのはいっちゃんだ。昔感じた彼女の文書きの手法に対する批判と自分のそれが実は同次元のものだったという自分批判を例にあげて、要は政治的だと感じている周囲の状況に同化している自分を嘆いているようだ。

 断続的な日時に書かれたそれは4節で終わっているのだが、1節は上に書いたとおりで、2節は仲間内にみる自分の理想とされる位置について。3節目はこの秋に関西方面に旅行に行くのだが、その直前に書いた。我々の小さな社会の中にみる意見の相違と妥協点を模索もできないで建設的な関係の構築が為せない我々をあきらめ気味に書いてみせている。その中には自嘲といった救いもなく、まさに第三者的な物言いが、私が社会の中で置かれている位置である。そこから脱却する建設的な意思が欠けている自分を真綿で締めるように囲い込んでいったのかもしれない。


 上とは趣きも変わって書いている同じような文章が、ほぼ同時期に別つづりで書かれている。何度も書いて恐縮だが(笑)、それは相変わらず消えない嶋さんの存在についてである。そんなことを思っている時期に、私は今いる愛犬と出会った。物事は色々と繋がって移りかわっていることをあらためて感じる。次回はこのことについて書こうと思う。



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