日経ビジネスの広告記事で、外車にこだわる人の 話がつづられていて、それに同意した。
“先祖”から脈々と受け継がれつつ進化する共通の外見と中身。 そのときどきの車種も、一目見たわけで他と区別できる。 それらは“家族”だからだ。 過去に連続する線が何本も並ぶことで、メーカの思いは、 面のように織りなしている。 こうした、伝統と革新のブランドを愛するということは、 所有者のこだわりの表明である。単なる見せびらかし、 ブランド好きとは違う。
BMW,ジャガー、アルファロメオ、メルセデスなどは、 遠くからでも一瞬で区別できる顔の特徴を持っている。しかし、 残念ながら、日本のメーカにはそういったメーカは少ない。 トヨタ、ホンダ、日産の製品群は、おおかたどの車も他のメーカ の何かに似ている。一つのメーカだけに着目すると、 1個1個の製品が、他の車種や過去のラインナップと 不連続なのである。要は、それらは線にもなっていないし、まして 面にもなっていない、方向性がはっきりしない点群であり、 そこには、“先祖”も“家族”もない。 ここまで書けば、BMWそっくりなMarkXやFitそっくりなVitz を見て僕がどう思ったかなんて、書く必要ないだろう。 “先祖”との“絶縁”を公に誓ってしまっているクラウンも カローラは、トヨタがブランド再構築の必要を認識していな いことのあかしである。
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