今回も図書館で見つけた読書ネタ。 今回紹介するのは、いしかわじゅんの「鉄槌!」 漫画家いしかわじゅんが経験した、自身の裁判を基にした法廷ドキュ メンタリー?である。 あ、ちなみにいしかわじゅんは、みうらじゅんとは別人なので、念の ため。 時々TVとかCMでも見かける、ひげを生やした渋い?オヤジである。
物語のきっかけは、たまたま乗らざるを得なくなったスキーバスが、 トイレに行くために途中下車したいしかわじゅんとその友人を、吹雪の 中に置いてきぼりにしてしまう。
その後の運転手の対応に怒ったいしかわじゅんが、自分が当時連載して いた週刊誌に事のあらましを書き、最後のコマで「バカヤロー、俺は 二度と利用しないからな」とツアー会社の実名を 公表したことから、当の会社から(謝罪ではなく)訴訟を起こされる、 という話。
で、この本の何が面白いかというと、私たちが普段係わり合いになる事 のない、法廷に素人が紛れ込むとどのように感じるのか、ということを いしかわじゅんの目線で知ることが出来るのである。
原告のツアー会社は、元々、漫画を発行している出版社のスポンサーで もあったことから、自分が言えば、出版社もいしかわじゅんも、すぐに 頭を下げてくると高をくくっていたらしい。
で、あるが当のいしかわじゅん本人にしてみると、相手から夜のスキー 場に置き去りにした事や、その後運転手がろくにそのことを謝罪もせず かえって火に油を注いだことに対して、謝罪されることもなしにいきな り名誉毀損で訴えられ、なおかつ当日の事実を捻じ曲げてきたことに 腹を立てこそすれ、自分から謝るつもりなどなかったことが、原告側 には誤算であり。
訴訟されたいしかわじゅん側も、友人の紹介で弁護士を立てるんだけど この弁護士がまた、ちょっと変な人であり。
裁判自体も、早々にいしかわじゅんが出頭して、相手側と事実関係に ついてやり取りをしていくのか、とも思ったらそんなことはなく、本人 にとっては意外な方向に話は進んでいき…という感じで。
これって、相手の原告の会社側、そして弁護士、判事にとって常識と されている事と、私たちみたいな一般人の常識の食い違いというか、 妙なミスマッチ感が、読んでいて面白く。
普通、法廷ドラマや映画なんかを見ていても、出てくる弁護士の先生 って溌剌としてカッコよかったりするじゃないですか。 でも、この話に出てくる弁護士のセンセイたちは、どこかちょっと ピントがずれている様に、(いしかわじゅんには)見えていて。
中でも普段言葉の表現力で飯を食っている漫画家、エッセイイストの いしかわじゅんから見ると、同じく言葉を専門にしているはずの弁護士 の言語能力、文章作成能力の低さに驚いたらしい。
あとがきから引用させてもらうと、それはなんと、当時の弁護士の 書いた文章をこの本にそのまま転載したところ、ことごとく校正者に チェックされ、正しく直されてしまったらしい。 (と、ここで書いている私自身の文章力の方が問題の気もするのだが) で、それをこの本の著者であるいしかわじゅんは、それでは意図が伝わ らない、といちいち直したらしい。
まあ、弁護士の方たちも、別に出版することを意識してその文章を 書いたわけではないんだから、出版するというプロの基準で見たら、 至らないのもしょうがないんじゃないかな、とは思うけど、でも確かに 私が読んでも中にはちょっと?な文章もあったりして。
もう一つは、これは民事の裁判制度についてなんだけど、今回のケース では、代理人同士で話が進められていく中で、その弁護士の意志伝達 能力がやや低い人が紛れ込んでいたために、当事者である、いしかわ じゅんの考えとは別に勝手に和解で話が進みそうになる場面が数多く あり。
これは、弁護士のルーティンで言えば、ここでもう和解調停だな、とか 勝手に話が了解されて、本人の意思とは関係なく進んでいく事って、 結構あるんだろうな、と思ったりして。 (白い巨塔でもそんなシーンはあったけど)
でもそういうのって、ちょっとわかる気がするのである。 というのは、自分が住んでいるマンションの管理組合の理事長をやって いる時にも似たような事があったので。
それはこっちが組織に属している人間じゃないからかもしれないけれど 当事者が納得しないうちに話が専門家によって勝手に進んでしまいそう な事って結構あったんだよね。 で、その辺納得できないことは結局もう一度話し合うしかなかったり して。
それは専門家からすると、空気読めよ、みたいな物だと思うんだけど、 当事者がこっちの場合には、本人が納得することが一番だと思ったりも するのである。
ふたたび、あとがきから引用するならば、
それにしても、ぼくはどうして、もっと弁護士に要求しなかったんだ ろう。あんなに、遠慮ばっかりしていたんだろう。自分の疑問や要望 を、こちらから弁護士にぶつけておけば、ここに出てくるほとんどの ことは解消できていたかもしれない。弁護士は、自らはサービスして くれない職業のようなのだ。だから、ぼくは、強く求めるべきだった のだ。
それが、この事件における、ぼくの一番の反省点であった。
という言葉が、この裁判を経験した著者から学べる一番重要な事かも しれない。 そういう日が訪れないことを願いつつ。
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