レプリカントな日々。

2002年10月09日(水) オヤジたちの熱い水泳部。ーーーXマスパーティ編・序章・ーーー


 さ。
 やっとクリスマスパーティ編を書く心の準備が出来ました。
 ああ、やっぱり秋っていいですね。
 飯はうまいしねえちゃんは奇麗だ〜♪

 ということで。
 中学校の三年間は、毎年暮れになると楽しみにしていたのが「クリスマスパーティ」です。
 とはいえ今風のしゃれたものじゃなくて、男7人だけの単なる大騒ぎ。
 確か終業式がクリスマスイブだったと記憶してるんですが、メンバーは一度家に帰ってから、我が家に集合なわけです。
 会費は一人7000円。当時のお金としてもかなり高かったんですが、夏前から毎月1000円を積み立てる方式で集めてましたね。なんてガキだったんでしょう。
 ケーキ屋の息子がいたので、受注生産だという2万円(ラーメンが一杯300円の時代!)の二段重ねケーキをそこに発注。今はそういうのって全然見なくなりましたけど、直径で80センチ以上はあったんじゃないですかね。かなーりでかいものでした。
 魚屋の息子には卸値でお造りを発注してました。
 うちの親には悪いなぁと思ってたんですが、うちの親のおごりで、毎年お寿司20人前が提供されてました。山盛りのサラダもありましたね。
 トリの丸焼きが1人1羽。えと、モモが1人1本ではなく、1人丸ごと1羽です。
 段ボール数箱分のお菓子、確か数ダース分のコーラやジュース。1本1リットルの頃ですね。シャンメリーが正確に14本。
 食べ物はお菓子を除いて全てが1時間とかからず完食されてました。
 ケーキは「よーい、どん」で箱を開けてくらいつくんですが、まさに秒殺、ちょっと横を向いていようものなら何も無くなる世界でした。
 夜食にはインスタントラーメンやらおにぎりやら・・・。(多謝>母上)
 宴会は朝まで続きますので・・・。

 私とトリ(Yのことですね)が幹事でしたので、お金は全て私が管理してました。色んな意味で大量の食料を集めなくてはいけませんが、当日に買い出しに行くのはまず無理なわけで、当然予約業務が必要となるわけです。
 市場やら駄菓子屋に「12/24に取りにきます」ということで用意してもらうんですが、どうも中学生が「あのお菓子30袋とこれ30袋」とかいう話を信用してもらえなかったようで、当日取りにいっても用意されてなくて7人総出でそこらじゅうのお菓子屋さんを巡ったり(コンビニが無い時代!!)、中華屋のオヤジは「もも7本」だと勘違いしてて、当日料理してもらったり。
 しかしあの時は7羽あってよかった・・・。大きさが違うというだけで殴り合う若者(バカ者?)たちですから、1羽でも足りないとなったら怪我人が出るのは必至です。(はじめ人間ギャートルズかよ・・・)
 ジュース類の中にウイスキーが3本ほど混じっていたのは時効です。
 当時体格的に最小だったKが一気飲みをして、ゲロるわ痙攣するわの時には、マジで救急車を呼ぶかどうか迷いましたが。ええ、今も生きてます。
 ・・・もう一杯飲ませておきゃ良かった。

 こうして宴は盛り上がり続け、朝を迎えるまでノンストップなバカ騒ぎが続くわけですが、そうしたガキ共の宴会にはあまりふさわしくない、毛色の変わったイベントも執り行われておりました。
 クリスマスだからというより、そのイベントをするために集まっていたという、メインイベントです。
 それは叉後日のお話ということで。
 今宵はこれまでにしとうございます。







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