デイドリーム ビリーバー
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転換期みたいな時は、今までいくつかあったけど 一番大きかったのは、やっぱり 大切な人が、自らの命を断ち切った時。
その時、私は、ショックを受けると同時に 「やっぱり」って思った自分に、愕然とした。
私は、その人が死ぬってこと、なんとなくだけど知ってた。
知っていたのに、何もしなかった。 自分のことだけで精一杯だった。
彼の親に責められて、 後で 「混乱していた、ごめんなさい」って謝られたけど、 責任の一端は、確かに私にもあったと思った。
あの人は、自分よりずっと強い人だろうから 大丈夫だって思っていた。
強い人だって弱る。 そんな簡単なことが、わかってなかった。
「強い人」「弱い人」「いい人」「悪い人」 人間って、そんなに簡単に分類できない。
強い人でも弱気になるなら。
高校生だった私は思った。
弱くてもいいから、強気で行こうって。
あの日、長かった子供時代が終わったような気がした。 今振り返っても、あの日が、子供時代の終わりだったような気がする。
あの日から、いろんなことに挑戦した。
決して打たれ強いわけではないけれど 打たれたら、とことん考えてみる。
「なんであんなことを私に言うんだろう」 じゃなくて 「ああ言われて、なんで私は傷ついてるんだろう」
それはきっと、自分を知る契機になる。 そう考えたら、傷つくのがこわくなくなった。 あの人の最期を思ったら、こわいものなんてなにもなかった。
いや、こわいけど 少なくとも、その傷を 真正面から受け止めようと、思うようになった。
傷つくことが、ある意味、快楽に近いような時もあった。 裁きを受けているようで。 普通の幸せなんて、そんなに欲しいとは思わなかった。 それよりも私は強くなって。もっともっと傷ついて、強くなって もっと知りたかった。 生きていることの意味とか、そういうことを。
だけど、 このところの私は、恋というものをしたせいで 心がいつになく不安定になっていた。
感じることすべてを、心の全部でつかもうと思ったら もうそれだけで 持っている力全部つかっても足りない。
いつだったか、何かに 「人に恋するというのは その人の心に、自分の居場所を見出すということで、 人を愛するというのは 自分の心に、その人の居場所を作ること」
と書いてあって それを読んだときは ふーんそういうものかなぁ、ぐらいにしか思わなかったんだけど。
今まで私が、怖いもの知らずで、強気に来られたのは 大切なものが、なかったからなのかもしれない。 私の心が、私だけのものだったからなのかもしれない。
彼は厳しい。 優しいふりして、すごく厳しい。 私が心を明け渡してないこと、気付いてる。見抜いてる。 そういうのやめろって、それとなく言われる。
一人の異性とちゃんと向き合って 心を明け渡した経験のある人は、これだからやっかい。
私はもしかしたら 心の中に、彼の居場所を作ろうとしていて
その覚悟が、全然足りてなかった。
心の中に誰かの居場所をつくったりしたら そこに彼がいないときは その穴にびゅうびゅう冷たい風が吹いたりもする。
いつかくるそんな日を、想像するだけで 心が引きちぎれそう。
だけど、私は今日、もう一段階強くなろう。
もしもそういう時がいつかくるなら 私は、布団を頭からかぶって、わんわん泣いてやる。 バカみたいに何日でも、泣いて泣いて泣きまくってやる。
復讐とか、あてつけとか そういうことはできるだけ考えずに、 ただ悲しさだけを胸に わんわん泣くんだ。
彼に出会えたこの奇跡が また私を変えるなら 私はそういういい女になりたい。
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