独白2
DiaryINDEXpastwill


2001年09月25日(火) 昔日記

毎日二つも日記更新してる私って変態なんじゃないかと思う。
けどどうしようもないよねー。サイト本体よりここのがかいててすっきりしますもの。
てか友人Yが
「あなたのサイトは裏日記に80%力が入ってる気がするのでもっとわかりやすいところに設置してください」
と言ってくれました。
どうなんだろう?ここの日記みてもおもしろいのかな?反応無いんで解りませんが。topのカウンタにくらべてまわってないしねー。
やっぱカウンタって意識しちゃうよ。
だって数字って一番わかりやすいもんねぇ。ホント。

つーことで本日のお題は『他者と自分』ですかね?
なんと言っていいのか解らないんですが。
てかいつもお題があるにも関わらず題とは違う話をしている気がします。
どうなんだよそれは…。考えなしがよく分かってしまいますね。

しかしカウンタと言うものは恐ろしいものです。
できればつけたくない感じ。でもつけるのがネチケットなんですかね?私はネチケットってよく分からないんですけど。人間としての常識はあるつもりなんですが。
つもりだけじゃないと信じたいですけど。
とにかくカウンタがあるおかげで気が気じゃないですよ。
確かにみてくださっている方がどのくらいいるかとかわかっていいですけどね、数字ってのは残酷なもので見たくもない現実を見せてくれたりします。
てゆーか、

見なきゃいけないことを見え無くさせてるんだって。

数字ってのは人と自分をくれべるのに大変わかりやすいけど。
わかりやすいはずなのに、、見え無くさせてる。

前もって。
私は軽蔑する事で自己を確立します。
いつもそんなこと意識しているわけではないですけど。
でも意識してなくてもずっと奥の方にいつも存在している感情です。
人間は自分を見るのに他人を通してでしか見れないものなんだと思います。
だから人間一人では生きていけないって話。

だから自分より能力が高すぎる人とは友達にはなれないと思う。
だってとっても上手いマンガを書く人とは友達になれないよ。マンガ書きとしては。人としてならともかく。
なぜなら自分より上手い人は「自分とは違うんだ、この人は才能をもっていて私なんかとは違うんだ」と思うから。
そう思うとその人を崇めるわけ。
崇めてる人となんか友達にはなれないよねー。
これもある意味軽蔑なんだと思うんだけど。どうでしょう?
「自分は他の人より劣っている訳じゃなくて、あの人が特別なんだ」
って思えば楽で、自分を確立出来る。これって「人」として見てないよ。
その人の「人」としての部分を軽視してるよ。

私の周りはとっても上手い人が多いです。
でも友達になれたのは一つは私は彼女たちをマンガ書きとか小説書きとかで見てないことが多いから。
これはもう完全に逃げの部類。現実逃避。
あとはもう彼女たちの努力とか、人間的なところをよく目にしてるから。
どんなにうまくても、自分と同じなんだと思える。
努力してるところとか葛藤してるところとか見てるからね。

だけどネットってのは本当に困る。だって数字でしか出ないでしょ。その人が見れないでしょ。
仲良くなりたいって媚び売ってるわけじゃないんだけど、実際私はやりにくい。
私は同人だろうとオタクだろうとマンガ書きとしては友達にはなれないから。
知り合いたいなあって思っててもその人が見えないとコンタクト取れないよ。
だから『自分』が出てるサイトさんが好きです。
カウンタはずすってのはできないんだろうけどホントにどうにかならないのかな。
カウンタがあることによって「人」が見えないんです。
それは私がどうしようもない人間だってせいもあるけれど。
実際ネットから友達を作ってる人はいっぱいいるわけだし。
わがままだってわかってるけど。
わかってるのに書いちゃうのはやっぱり人間として不完全だからです。
まあ完全な人間はいないんだろうけどね。

ああ、今日の日記も嫌な感じだー!いつもどんなこと書こうか考えてお題を決めてるわけじゃないのでホントに内容がちんぷんかんぷん。
繋がってないしわかりにくいし、日本語の勉強が足りなくてなにがいいたいかわかりませんね。
だから小論文テストはいつもCだったのかなあと思いました。
しかし…今日も長いね…


2001年09月24日(月) 昔日記

今日はもう疲れましたね。てか表の書いてから寝たんですけど。
眠くて眠くて…。今週は平均3時間くらいの睡眠時間でした。
趣味に睡眠と書くくらい寝るのが大好きなんですがなんつーかマゾくさいっつーか。変態じゃん。
いや、我慢大会をしていたわけじゃないんですけどね。
サイトってか人間の能力の差ってゆーか……。うんうん。
まあそれは後日に回して、
とにかく、本日のお題は『優先順位』です。

何でこんな話になったかってゆーと今日の出来事からなんですけど。
日記なんだからあたりまえだ。

今日はホントにそのことを考えた。てか考えさせれた。
個人の感情にも競争なんだから資本主義ってすごい。
人間平等に、なんてくだらないことがいいたいんじゃなく、ただたんに自分の自分を抑える力のなさ、頭の軽さを感じた今日一日。
優先順位って出ちゃうよ。表に出すのは失礼なんだろうけど。てか人間として最低の礼儀でしょ。あっても出さないのは。
でもねぇ、私は今日出した。彼女はやんわり止めてくれた。

だいたい優先順位の最高位は自分なんだよね。コレは誰がなんと言おうと私はそうだと思う。
「違うよ!人間自分を犠牲にしても他人を助けたいとか思うよ!!」
とか言うヤツがいても「それってアンタはやっぱり自分一番で、自分犠牲にしてるってなんていいヤツ!!とか言う思いに浸りたいからでしょ。自分優先じゃん。」
とか思うくらい。
ひねくれ?根暗?
違うつもり。
感情にも理由が無いではいられないんだと思う。私はね。
とにかく、優先されるのは命ではなく感情なわけです。
私の中ではね。

でも私は今日自分の感情にまかせて嫌なヤツになったよ。
優先順位ってのは上の方につけられた他人はいいってわけじゃないんですよ。
それを自分の感情にまかせて勝手やろうとしたんです。
そりゃ上の方に位置づけられた他人は鼻が高いときもあるだろうけど、自分ばかり特別視されてるってのを他の人が目の当たりにするといらん感情を持たれるわけです。迷惑なんです。
私が今日しようと思ったことをきっと実行していたら高順位に位置づけられている彼女も、私も、後で本当に気まずかったと思う。
そう考えると私の行動は中身と一緒で本当に軽い。
軽はずみな私の行動で、迷惑をしている周りの人ってかわいそう。

と、いいつつもその「かわいそう」のなかには自分に対する、
「本当はみんな何を考えてるか解らないし、悪く思われてる自分もかわいそう」
ってかんじの感情も入ってると思う辺りがなんともいえない。
自分が悪いのに理不尽に自分をかわいがるのはやっぱり最優先は自分だからだと思う。
でも私はそれが悪いんだとか言いたいんじゃなくて、むしろそう思うのは普通だと思ってる。
そこを取り繕うような言い訳をしている人も、なんでそんなこと取り繕う必要があるのか、(取り繕ってる時点で自分優先が出てると思うし)ぐらいしか思うことはない。

でも!

優先順位をあからさまにする人!これはね、いくら自分が思ってても、あからさまにしないのが人間関係、社会のルールなんだと思うわけ!

だから本当に今日の自分の行動の軽さに反省する。

そして、そうゆうこと全然考えてなかったかもしれないけど社会、人間関係のルールにしたがってやんわり止めてくれた彼女にホントに感謝しました。

てかこういう風にかかれると読む人は何があったか気になるだろうね。
個人的に聞いてくる人があれば教えてもいいんですけどね。
ここは誰が見てるか結局のところ解らないから。
裏の意味無し。


2001年09月23日(日) 昔日記

topかえられました〜。よかったよ!私はこのまま勉強なんか欠片も出来ないのではないかと心配しておりました。
きっと書き終わってもしないんでしょうけどね☆
だってまたしても気に入らない感じです。
唯一まともに思えるのはガラステーブルです。
てかそれ以前に包帯!?何!??あーゆーのは上手い人がやるとああ凄いなあって思うけど中途半端にシリアスぶってる私みたいなへたくそがやると逆に引きます。
自分でやって自分でツッコミですけど。
本当は住葉都さんみたいなのがあこがれでした。
イメージはキルメニイさんの「サスケ人形」みたいだったんですけど見事に失敗でした。はは。
上手くいかないと言い訳が多くて嫌になりますね。
そしてだんだん文を書き慣れて来るというのは恐ろしいことです。
まるで友達に送るメールのような文になりつつありますよ。

さて、今日のお題はtopもかえたし『綾波サスケ』で!!
…カカサスも結局語っていないくせにコレだ。
いい加減にはしないと決めたつもりが…。読んでくださっている方もいらっしゃったのに…。すみません。

でもとりあえず。
『綾波サスケ』とは友人住葉都さんとサスケ復活の時にできあがったパラレルで、私の「サスケに包帯って萌え!!」から始まったんです。
綾波とはあれですよ。有名なアニメ「新●紀エヴァン●リオン」の綾波さんですよ。パラレルで!って。
とりあえず私のカカサスを簡単に語ると、カカシは人を好きになれないくせに好きなふりしちゃいたいな人でさ、それでなんで相手がサスケかっつーとやっぱ似てたんでしょって感じ。
どこがって言うと長いから省くけど。てかそれは別の機会にか?(といってやってないんですが。)
とにかく自分と重ねてたと。サスケのほうも兄貴重ねててね、でもサスケとカカシの違いは重ねてるのに気付いてるか気付いてないかな訳ですよ。
んでカカサスの醍醐味?私の中でそれは勘違いと擦れ違いで、カカシはサスケは特別だと思って好きだっていうけどそこで勘違い。
そんで無意識に自分を重ねてるくせに似ているけど違うことに葛藤。似ているけど違う!ここがポイントなわけですよ!
だって似てるけど違うのは綾波も一緒なのですよ!
お母さんだし?!でもエウ゛ァってのは嫌な話で『似てるけど違う』よりも『同じだけど違う』のが辛いのを知ってて三人目とか作っちゃうんですよ。
で、結局何が描きたいかっていうと、

「カカシがサスケに自分重ねてて『似てるけど違う』に葛藤してた矢先にサスケが死んで、でも『同じなのに違う』になって生き返ったらカカシってどーなる?!」
って話が描きたくて仕方ないんですよ。

そして都ちゃんはまたとんでもない一言を。

『「もう壊れても、直さなくていいから」って言わせたいんだよ。』

マジで萌えですよ!?アホで結構!私はオタクですから!
本当にこの人は私のツボな言葉を色々言ってくれます。
前にダンサー・イン・ザ・ダークの感想の所に書いた言葉もこの子の言葉だったりします。凄い人です。

そこから私はまた一人で妄想。
「アンタ、オレ見てるとつらいんだろ。だから。もう直さなくていい」
とか言う訳よ。
サスケはカカシより大人だと思う。
てか一度に無くしたものが多くてわがままをなくしたってゆーか。大人な考えだけど行動はできないんだろうね。
逆にカカシは無い物ねだりなんじゃないかな。自分は「暗部」様なのにね。
サスケが欲しいものをもってるくせにサスケを使って「感情」っていうか、安心感?とにかく一方的に求めてるんだよ。
で、カカシはどこまでも自分勝手でサスケを生かそうとしてて、サスケは必要とされるのが嬉しくてカカシのためにならないってわかってるのにずるずる生きてて。
ここら辺が子供なのかな。サスケは。
でもこの時カカシがサスケは自分とまったく別もんだって気付けばハッピーエンドになるんだけど、それは無理でしょ!
だって気づくきっかけが無いものね。
いつまでたってもカカシはサスケに自分をかさねて、サスケはそれを許して。
きっかけはあるとしたらサスケが大人にもっと近づいてからかな。
そんでエヴァのパクリだから死んじゃうんですよ。
そんで新しいサスケがきて、「何泣いてんだよ、ウスラトンカチ」とか言うの。
新しいサスケとあって、初めてカカシはみんな違うんだって気付いてでもその時にはサスケは『同じでも違う』になってると!
そういう話が描きたかったんですよ。
時間と根性が無くて出来なさそうですが。
でも出したい…っ!読みたい人なんかはいるのでしょうか??

てか二日続けてアホな語りですよ。
よくも長々書けるものです。自分でも驚き。
明日は少しはまじめな話でも書けたらいいなあ。
なんて。


2001年09月20日(木) 昔日記

昨日はtop替えのため書けませんでした。
一生懸命替えたtopも気に入らないんですけどね!!
どうみたっておかしいのはわかってるんだけどかえようがありません。
てかこのサイト自体私のセンスのなさがあふれて嫌になるんだけど。
ホントにどうしようもない…。てかすぐ直そうと思ってたのにそんなこともできない感じ。昨日もS籐さんに聞きながらバナーを替えている始末。
どうしたものだか…。機械音痴ここに極めり。
まあ人には向き不向きがあるのですよ。
私はネットで見た人に感想を送るのが向いてないと思います。

と、言うことで本日は感想文って…。なんです。また前置きが…。
ネットをはじめて最近特に思うこと。
ネットというのは掲示板とか、メールとか、手紙に比べると簡単に感想がおくれるものです。
簡単に送れるというのはホントはいいはずなんでしょうけれど、私はなんかものすごく感想を送るのに勇気がいります。
ネチケット。
ここのサイトは私自体が人に言うほどネチケットをわかってないんでなんにも注意書きなんかはないんですが、あるところにはものすごく細かくあるものです。
いや、あるのはいいんですが、細かく勉強のためにもみていたりすると、ホントに感想だしづらくなります。
感想ってどこまでいいものなんですかね?
正直困ります。いいことばっかりしか書かないのが普通なんでしょうか。
まあ悪いところを指摘されて気持ちいい人はいないでしょうが。
たとえば好きな作家さんがネットで活動してて、毎回感想を送る。
でも自分の好きなものだけしかかくわけじゃないじゃないですか。
毎回送ってて、名前も覚えてもらってて、そんで今回だけ送らないっていうのは本当に心苦しい。
あと、私はよく裏のあるサイトさんに行くのですけれども、URL請求のメールについて、とかよく書かれているのを目にします。
感想を必ずつけてくださいとか書いてあると本当に出しづらい…。
てか普通感想つけんの当たり前でしょ!?とか思うから余計に構えちゃってできません。
裏ってのは本当に自分の心内が出るもんだから(裏だからだせるのだろうし)自分のことホントに好きな人にしか見てもらいたくないんだろうなあってのはよくわかりますけど。
本当にネットというのは相手の顔がみえないのもあるけど判断が難しいです。
感想、いいことだけを書くのが感想じゃないんだと思うんです。
でも「どこどこがちょっと〜」って書いた時、自分は全部舐めるようにその人の作品をみて、「ここがちょっと〜」って言ってるのに、ただ単に否定されただけって思われたりするんだろうなあ、と思った。だからむやみに送れない。
勝手に感想言ってる時には言いたい放題だけど、いざ相手に言うって難しいのだろうね。当たり前だけど。
当たり前だけど忘れがちなこと。
すべてが好きなんじゃない。けど、すべてが嫌いなんじゃない。
感想だけの話じゃないよね。
でもこれがわかってると感想送る側も受け取る側もやりやすくなるんじゃにかなって話。
ホントは感想いっぱい送りたいんですよ、私は。

しかし今日の日記、ホントわけわからない。ああ独白…。見た人気分悪くなるんだろうなあ。
てかなんかネチケットあるのを悪いみたいにいってますが、全然まったくそんなことはないんですよ!!当たり前ですけど!!
これは当たり前だけどわすれちゃなんないもんです。
私は忘れてないかホントに不安になりますよ…。


2001年09月18日(火) 昔日記

まあ昨日のも誰も見てないだろうからいいだろうけど。
とにかく今はカカサス語ってる場合じゃないです。
表の日記の書いたけど、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』みました。
独りで夜中に見てたせいでもあるかもしれないけど、本気で泣いた!!
恥もねーっつの!!だってみんな寝てるし。ティッシュが!!
こんなに映画見て泣いたのは久しぶりだよ。
いいもの見ました。『ジャンヌダルク』なみに私の好きな感じです。

まずとにかく曲!ビョークの曲は枠にはまっていないと思う!ホントに!
だいたいあの人歌も歌えて演技もできて…。
はじめミュージカル始まったときはビックリしたけど。

てかね、ただの同情話じゃないんだよね。話の先はホントにわかりやすいけど。
ひたすら不幸になりますって感じ。ネロとパトラッシュみたいな。最後死んじゃうしね。しかも彼女なりに悔いはないって感じで。『ジャンヌダルク』そうだけど、死ぬのが泣き所ではないわけです。
私の大好きな友達が描いてました。

「死ぬのは怖くないけど、『死ぬ』かもしれないと言う概念が怖いなはなんでだろうね」

私はこの言葉を見たとき、「すごいこと考えてるよ。私みたいな薄っぺらい人間には考えもおよばない言葉だ」とか思ったわけです。
でも!その時私は本当には分かってなかった。
「死ぬのは怖くない」
では死と言う概念とは?
これは私的な意見でしかないけれども、自分が「死」んだことにより、自分のやってきたこと、存在、生きてきたという事実、やり遂げられなかったことなど、などが同時に「死」ぬこと何だと思います。

『ダンサー・イン・ザ・ダーク』、『ジャンヌダルク』がなぜ私にこんなにも影響を与えたか。
それは彼女たちが、「死という概念」を乗り越えたと思ったからだと思います。
人は死ぬときはやっぱり未練を残したくなくて、死ぬというその瞬間までも他人に思ってもらいたいんだと思います。
他の人がどうかは解りませんが。少なくとも私はそう思う。
それと、もう一つは彼女たちが結果的に『死んだ』というのも私が涙した要因の一つだと思います。
なぜなら私にとって、というかある意味人にとって『死』というものは安らぎだと思うからです。
ビョークが殺した彼。彼は正にそう。「死」は安らぎなんです。
すべての人に平等な安らぎを与えるとは限りませんが。
今アメリカではいっぱい」人が死んでいますしね。
でもこれも一つの考え方だと思います。

もう一つ。私は人間が好きです。『人間』が好きなんです。
だから私は『理想』だらけの綺麗事は見ても感動しません。
セルマは人だった。ジャンヌも人だったんです。当たり前のことですが。
自分が死んでも子供の目を治してやりたい。
これって一見すごくいいことしてるし、感動の言葉なんだと思う。
でも本当にそうか?違うだろ。
だってこれって自己満足じゃん。残った人のこと考えてないじゃん。
もし本当に存在していたということそのものが消えるのならありだろうけどさ、人の「死」ってそうじゃないでしょ。
自分がやってあげたいから無理にでもそうする。生きてるのがつらいけど自分で死ぬことが出来ないから殺させる。自分が生きてて欲しいから自分勝手に生かそうとする。
コレってみんな自己満足。すべては自分のためでしょ。
でもいいんです。私はこれがいいんです。
人間ってそういうもんでしょ。まったくの善意なんて無いと思います。でもそれでもいいんです。自分のためにしか行動できない。でもその自分のためが、他人のためになる。
そういうのが人間関係なんだと思います。
私は『ダンサー・イン・ザ・ダーク』からそう感じました。


A |MAIL