独白2
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日記を書かずに日々が進む…
お酒を飲むつもりはなかったのに、3日連続飲んで、その上お土産にする予定のすし屋さんに引きずられてカウンターへ お腹一杯になりながら食べてきました そして帰ってきてから終電ぎりぎりで商売のお姉さんのところへ
びっくりした 何にも考えず前回と同じお姉さんにしてもらったのですが、凄い 「前回のリベンジで」と言われて、最初っからノリノリでやってくださいました セックスしてだるくなってるのか、二日酔いなのか分からないけど、声がかすれてるのは前者のせいと思います 時間的にお泊りになったわけですけど、ホント、至れり尽くせりで、本職のお姉さんって凄いなあと思いました 次また行ったらもうちょい色々していただきたい プロの技で
あー、でも帰りはつらかったな… 脚ががくがくで あとはコンタクトがしょぼしょぼで
2007年09月29日(土) |
知り合いが増えるのはいいことか |
若いという事と女であることというだけで知り合いが出来ても無駄に感じてしまう
試しに行ってきた風俗店でセックスをしてくる いや、セックスっていうのか? 女性相手でも男性相手でもどっちにしろ不感症だと実感しました でもまあ女性のが丁寧だよね〜 お仕事とは言え凄く奉仕させすぎていて申し訳ない気持ちで一杯です きっと口とかいろいろ疲れたと思う
女性とやると…果てが無いなあ 私が攻める場合はいいけど、そうじゃないと本当に果てが無くてどうしたらいいのかわからない なんで風俗相手に私が気を使ってるのかよくわかりません どうしたものかな お金は払ってるけど、マグろなのが申し訳ないです
ああ、結局また酒びたり そういう時期なのかなあ
生理が近いとメランコリック(ぷっ)になるよねって言われたのですが 今日は生理も近いけどきっと具合も悪い 私の場合は日々健康でほぼ弱いところも無いので、感傷に浸る事もできないのですが、具合がたまに悪い時なんかは無駄に悲劇のヒロインぶることができるので、必ずしも悪い事とも言い切れない とはまた凄い前向きな発言である 弱いといえば頭くらいかな
昔から食人という項目に関して結構な興味があったわけですが カニバリズム犯罪とかの記録を読むとか 犯罪心理関係は根暗人間として(他の根暗に失礼だが)やっぱり興味を持つ項目だと思う 中でも興味があったのが食人と、あとはやっぱり性犯罪なんですけどね 食人に関しては犯罪だけではなくて基本的に宗教的、あとは伝統関係でも何でも興味がありました 特別本を買いあさるとかはしないけれどもやっぱりネットで犯罪心理系のサイトとか見たり、本屋で立ち読みする猟奇殺人ものなんかの本ではそこらへんを重点的に読んでいたりしました あとはやっぱ猟奇殺人とか変態的な項目
何が興味深いかって こう、同じ人間を食べてみようと思ったその心理状態に興味が沸きます
フィクションの物語では「人間を食べる生き物」というものも存在するわけですけれども、またそれとは違うわけですね そういう生き物というのは、人間のどの部分を食べるかはこの場合おいといたとしても大体にして、「人間が主食」という種類の生物な事が多いと思う それは蚊が血を吸うとか、牛馬が草を食べるとか 生命活動を行うに当たって、「人間(部分的な場合を含め)からしか栄養素がとることができない」という事なんだと私は思っています 消化器官がそういう風にできてるんですよね、きっと だから人間を食べるようにできてると まあフィクションなので、他の肉等ではなくなぜ人間限定なのかというところまでは描かれてはいないでしょうけどね 物語においてそこは基本的に重要ではない場合が多いはずなので
人間というのは基本的に雑食なのでしょうが、それでもわざわざ同じ人間を食べようと思うその瞬間の心理というのはとても興味深い それは殺人衝動の瞬間の心理も性衝動の瞬間の心理も含め、何かを決断するに当たっての瞬間心理はすべて興味深いのですけどね たいていの犯罪心理とかのカニバリズムとかは、同じ人間を食べる事によって興奮を得られるという事が多いようなのですが あとは宗教的理由によって食人をするとか 他のものでも代用できるにも関わらず、リスクを犯してまでわざわざ同じ人間から栄養を得ようとするまでの執着を持たせるのはなんなんだろう
個人的意見からすると、犯罪にならないのであれば私は別に食人は回避すべき事ではないと思っている きちんと調理して、フルコースで出てきたりしてもきっと普通に食べれる 犯罪にならないのであれば 私にとって人間というのも、加工されていれば立派な食の対象になり得る訳です ただその味に関しては好みがあるので、私が好んで食べるようになるかは現時点ではわかりませんけれども
人と牛・豚等の肉の違いは味の違いだけで、差はないと思っているのですが、それでは何が違うかというと、牛・豚等の食用に生産されているという事だと思うのです 人間は今のところ食用には生産されていないので、普通に生活している人間を食用目的に殺傷する事によって色々な問題が出てくると 言語を操るとか、意思の疎通が出来るという位では多少の罪悪感があったとしても牛・豚等と同じだと思う 言語に関しては、食用目的で生産した場合はもちろん言語を覚えさせる必要は無いので、勝手に覚えたとしてもきちんと学習しなければやはり言葉を使うことは難しいと思う 意思の疎通に関して言えば、牛・豚等だって多少の意思の疎通というか、主張とかもできると思うのでそれと同じだと
あとは姿形が同じ人間である事 これは結構重いのかもしれない 猿を殺すのも、人と似ているから鳥や獣を殺すよりも嫌な気分になりやすいというのも聞いた事があります 人は想像する生き物であるので、自分の姿と似ているものを殺す事によって、自己に置き換えて想像してしまう為、嫌悪感とかが出てくるのかもしれない ただその点に関しても、牛・豚等と同じであるわけで 料理をする人間が必ずしも牛・豚等をさばくわけではないのです 捌くのは一部の人間であって、大多数はスーパー等で加工された肉を買うだけである そしてその大多数は牛・豚等をさばけるわけではない 特に女性はね、力も無いだろうけど「気持ちわる〜い」とか言って出来ないだろうと思われます 加工された只の肉は、牛も豚も人間も大差ないと思う 味は違うだろうが
そう考えると、リスクがあるからこそのカニバリズムや儀式の食人があるのだろうなあと思う 人間を食用に生産しているのであれば、そんな事は起こらないと思う というか、食べるのが当たり前だから異常視されないというだけかもしれないが だから今ある食人という行動は、「食」の為の行動ではないという事なんだと思う 雪山遭難、とかの場合は除いてね リスクがあるからこそ衝動が起きて、衝動があるからその瞬間心理がとても気になると ただそれだけ
食の為に殺す事と、殺す為に殺す事の大きな違い その違いとその衝動に心惹かれる
食用の犬専門店のようなものがあると聞いたが、それを聞いてふと思っただけなんですけどね ここの日記は基本的に本当に個人的に思ったことを書いているだけなんで、誰も見ていないと思っていたのですが(というか、見られることを前提に書いていない) ちらりとでも見てくださっている方がいらっしゃるようで驚きました 知り合いだったら気まずい! というか、知り合いには見られたくないなあ…と、今さらながら思った 何も考えてなかったのが丸わかりである
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