クリスマスは今日である。日本人はセッカチだからイヴの方が大事なのかもしれないけども。私はあらゆる情報に疑い深い人間なのだけど、やはり信じることは大事だと思う。その心の強さが、人や宇宙への慈愛になるような気がするから。などと思う。神も仏も存在しないなどと、理論に埋没して欲に走るから犯罪も増えるのかもしれない。
世間は飛石連休。今時分は勝手に祝祭日が月曜日などに移動せられて、祝祭日そのものの意味がなくなっているような気がする。飛石だっていいじゃないか、もっと心にユトリを持とうよ、なんて思える師走の自分。 吉ぶら。ユニオンでレコード漁るも、安く買えるものは買いつくしてしまったので、欲しいのは高くて買えない盤と、探しても見つからない盤ばかり。取りあえずブラームスとモーツァルトのSQなど購入。 未だに年賀状ができていない。まあまあ、ユトリを持とうよ、などと思ってみる。
2003年12月21日(日) |
ヴィオロンのプレゼント |
新ぶら。KPホテルのランチ・ブッフェに行ったら、予約がないと待つというので、もっと☆の多いCHホテルのブッフェにした。店を出てから右脇腹が痛くなり、こら、胆嚢か十二指腸がやられた、動けない、と思ったのだけど、トイレットに行ったら治った。ヴィヴィアンの財布を購入。ヴィオロンのSPコンサートを予約して行ったら常連客ばっかり鮨詰超満員。しかも、二十三周年記念でケーキをサービスするというのマスターの奉仕ぶり。珈琲を入れ、蓄音機のネジを回す。ヴィオロンの創業記念日と私共の結婚記念日が同じ日なのか。バロック特集。皆、うつむいて目を閉じて、小さくも力強いレコードの音を聴く。八十年前の音を。
Rがタンスの組立てに時間を要して、遅めの外出。ネパールカリーなど食べてから、猿の惑星の絵葉書を買って、古着屋でRのダッフル・コートを探したものの見つからず。セシオン杉並に行って、ホールで室内楽の無料コンサートを観賞。500人ぐらいの観衆。一人300円でも取れば結構なものなのに、無料とは・・。エルガー、シベリウス、バッハなど、ベタでない音楽を聴けて良かった。ギリギリに行ったからバス側の席になってしまったのが残念。 やっぱりどんな音楽でも狭いところで聴くのが好きだな。弦楽器そのものの音。素人でも、いい楽器と普通の楽器の音の違いがわかるぐらいダイレクトに聞こえる。 北風に吹かれながら、再び阿佐ヶ谷まで歩いて、もんじゃを食べて帰宅。 夜、沖縄よりシークヮーサー、紅芋カステラなどが届く。そういえば、隣人Sさん、まだ沖縄から帰って来ない・・。
久々に午前に三鷹の仕事が入ったものの、朝は頭が働かないなあ。スタバで昼餐していたら、店内、丸で静かな老人ホームにいるような雰囲気である。鹿もダッタン人の踊りと思しきスラブ・クラシックが掛かっている。平日の昼のヨーロッパのカフェーにいるのかと錯覚してしまいそうな気がした。 そのまま東西線で会社に原稿をとり。寒くて冷えた。お腹痛い。 邸の加湿器が不機嫌。そろそろ年賀を書かなくてはいけないのだけど、面倒だな。環境にも配慮して、いっそ年賀状制度は廃止にするってのはどうか知らん。Rは忘年会。
冬、日本でいちばん乾燥しているのはアスファルト率の高い東京らしい。そらそうだ。喉が毬毬。鹿もこの冬、米不足と来ていて、米所からの配給が間に合わず。で、我が邸の米粒も底をつきて、雑穀粥などで凌いでいるわけで、何やら届いたと思ったら、毎年恒例、箱一杯のササ蒲鉾。
最近、昼メロ「真実イチロ」に嵌っていて、これが落ち目な役者が出ていて、夜やってる「北の国から」よりは面白いと思うんだけど・・。だって、国衛がこんなにいい親父なのに、息子も娘もロクデナシじゃあないの。まあ、こういう経験をして成長して、立派になって終わるのってのはわかるけど、終わり良ければ全て良し、にしては随分酷いような気がする。 久しぶりにテレ東のサスペンス、「捜査線上のアリア〜」これは面白かったなあ。役者もお茶目で、サバサバしていて。 なんだかテレビ評人間になってしまった。
西荻に行って、音楽はジャズしか聴けないぜという感じの親爺がやっている店で、珈琲カンタータ、バロック音楽などのレコードを購入。ジャズを聴く人というのは全く以って、愛想が悪い人間が多い。まあ、歴史も形式も狭いもののみを愛聴しているのだから、人間に対する許容範囲も少ないのだろう。もっといえば、演歌、ラップ、タンゴなどはさらにキャパが狭いわけだから、こと更だ。 久しぶりにヴィオロンに行ったら、マスター自ら、来週のSPコンサートに是非来てください、竹針削って待っています、などとアピールされる。 悪寒、微熱、頭痛、腹痛。感冒と思しき。
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