あたろーの日記
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旧暦10月3日。 新しい携帯電話(Nokia804NK)に替えてから、どうも画像の処理に手間取ってしまい、日記にアップするのがおっくうです。 携帯電話で撮った写真をそのままアップロードすると、1枚の写真がPC画面いっぱいに広がるほど、でかくて、わあっ、となってしまうので、まず携帯電話上で縮小して、それでも縮小しきれないので、PCに入れてからまた画像処理のソフト使って縮小しました。が、今日は小さくしすぎてこんな風になってしまった・・・・・すいません。猫と、猫と、ブリ大根です。 昨夜(11月22日)は女性同士で静かに呑み会。ブリ大根が美味しかった。店は外苑前駅近くの惣八。基本的に店の名前を覚えられない私。職場の人にどこかいい店ないか訊いて教えて貰ったとき、「あーわたしここ行ったことあるから知ってる」と答えたのですが、その、以前行ったことのある店、というのは実は行ったことがなくて、私が惣八と教えて貰った店を混同していただけだったことがあとで判明。方向全然違うのに凄い間違い。 とにかく、ブリ大根が美味しかった。
今日は勤労感謝の日。自分に感謝する。いつも働いている自分。どうでもいいけど祝日だから嬉しい。 ともかく出掛ける。 渋谷にコンタクトレンズを買いに行き、その足で久々に、渋谷古書センターに。1階、地下1階、2階と順繰りに見て回る。私はなんとも思わないけれど、自分が見たい棚の後ろや隣が、聖人・・・じゃない、成人雑誌の棚だったりすると、そっちを見てる人にとってはイヤなんだろうな、と思う。ここの本屋さんじゃなくても、どこでも、成人雑誌とフツーの本の棚が近接してる店は結構あって、棚の本の背表紙をずーっと眺めながら、身体だけずらしていくと、やがて誰か(お互いそれぞれの棚を必死で眺めている)とお尻や肘がぶつかったりして、「すいません」となるけど、その相手が成人雑誌の棚を見ていたりすると、一瞬、気まずい雰囲気になる。気まずいというのは、私はそうでもないのだけど、相手がそう思うらしい。 面白いのは(そんな風に言っちゃいけないかな)、その手の雑誌コーナーに、男性が何人かいると、近くの棚に女性が来ても、誰も去らない。けれど、男性が他にいないと、相手が何故か遠慮?して、女性がその辺りから去るまで、成人雑誌コーナーには近寄らずに、他の棚を見てたりする。つまりどうやら、「仲間」がいると、心強いらしく、堂々と棚の前に長居できるらしい。なんだか涙ぐましくて、こちらも気を遣ってしまい、早く立ち去ってあげねば、と思う。私だって、なにも考えずに無遠慮にズカズカ入り込んでいるわけじゃないんです。 が、しかし、古書店に入って、成人雑誌の棚があると、カウンターのおじさんは、成人雑誌も普通の本も触ってるんだよなぁ、と考えてしまい、ちょっと購買意欲が失せる。欲しい本が見つかって、その憂慮を乗り越えるほどそれが欲しかったら買うけど、私の直前に誰かが成人雑誌を購入してたりすると、店のおじさんの手は成人雑誌を触って(ビニールには入ってるけど)、次に私の買う本(成人雑誌ではないよ)も触るわけか・・・と、躊躇せずにはいられない。ある時は妄想がどんどん広がって、この店の本は、成人雑誌を触った客や店主の手が、同じように普通の本にも触れているんだよなあ、と、悩み始める。世の中にその類の本があってしかりだし、成人雑誌を置かないと経営が成り立たないんだろうから、あんまりぶうぶう言っちゃ可哀相だよなあとは思いつつ。。。まあ、世の中には、トイレに入って手を洗わずに出てくる男性が少なからずいるらしい(と、聞きました)。女性も時々。洗面台で手を洗っていると、隣で、指先だけど水道の下に持ってきて、「チャッチャッ」って感じでちょっとだけ水につけて終わりっていう人を時折見かけて、(オマエソレデテヲアラッタツモリカ〜ッ)と、びびることがある。あと、たまーに、トイレから出てきてすぐに鏡で自分の顔や髪型をうっとりと直して、とうとう手を洗うのを忘れて出ていく人(!)もいる(テヲアラウノワスレテマス〜)。なので、成人雑誌が同じ店内に置いてあろうとなかろうと、世の中、他人の触った本は、みーんな、何かしら細菌(!?)がついているんであります、きっと。 だよなぁ。そう思わなきゃ、古本なんて買えない。
結局渋谷では何も買わずに出てきて、その後、あの混雑した休日の渋谷駅に戻って混雑した山手線に乗るのが億劫なので、駅地下を通って駅と反対側に出て、明治通りを原宿に向かって歩いた。が、原宿だってどうしてどうして混んでいる。ともかく目的地のひとつ、原宿のブックオフに着いて、ここも久しぶり、で、文庫を6冊ほど、青木玉や宮尾登美子の随筆などを買う。原宿のブックオフはでかい。でかいのと賑やかなのとで、とても疲れる。その後、やっぱり混んでいるJR原宿駅には行きたくないので、明治通りをひたすら新宿方面に向かって歩く。途中、池袋行きのバス停をいくつも通り過ぎる。そのひとつで立ち止まり、(バス来るのを待って、乗っちゃおうかなあ)と悩んだけど、iPodで聴いている落語(ポッドキャストの番組、「お台場寄席」)が面白いので、それを聴きながら歩いて行こう、と思った。で、あとから来たバスに当然追い越されたのですが、またこちらが追いつき、また追い越され、追いつき・・・・で、原宿から代々木まで、同じバスとほとんど一緒に進んでいきました(笑)。それだけ、明治通りが渋滞してたってわけなんですけど。私がバス停で、バスの時刻表や路線図見ながら、どうしようかなーと迷ってたとき、そのバス停で待ってたおばちゃんとか女子高生が、混んでいるバスの中に立って、窓から外を見ている。うーん。同じ距離、てくてく歩いていくのと、渋滞でのろのろ運転のバスの中で座れずにいるのと、どちらがいいかなあ、なんて。 その後代々木駅で山手線に乗って、帰ってきました。 実は24日は有給休暇貰ってます。4連休で、はりきってます。
2006年11月21日(火) |
自宅近くに喫茶店が欲しい。 |
旧暦10月1日。 『むかし卓袱台があったころ』(久世光彦/ちくま文庫)。帯に「久世ワールド、秘密の鍵」とあるけれど、久世ワールド、とはまさにそうとしか言いようがない、どうしてああも繊細で艶のある、深い感性を感じさせる随筆なのか。幼い頃、部屋の薄い暗闇の中に何かを感じ取った、その時の記憶とか、家族の風景とか。それから、空襲で燃え残ったと思った土蔵の戸を開けたら、中から真っ赤に燃える火が飛び出してきて、一気に燃え上がったという話は、とても印象に残った。
自宅近くに気の利いた喫茶店があればいいのに、と思う。 コーヒーが安くて美味しくて、マクドナルドみたいに賑やかな音楽じゃなくて、高校生とかがいなくて、長居が出来て、夜遅くまで営業している店。 仕事帰りに、時間が出来たら、店の奥のお気に入りの席に座って、読みかけの本を開けるような。今週は雨とか、読みかけの本を読みたいばかりに、という理由で、電車通勤にしてしまっているのですが、帰り道、電車から降りて、読みかけの本を閉じて歩くのは苦痛だから、立ち寄って続きを愉しめる店があると嬉しいのに。銭湯に寄って自宅へ着いて鍵を開けて電気をつけて・・・という流れの前に、電車の中の続きができる場所が欲しい。それと、たぶん、喋りたくはないし、賑やかな場所じゃないほうがいいけれど、見知らぬ人達が自分と距離を置きながら、空間を共有している、という、都合のいい孤独感を味わいためなのかも知れないけど。 残念ながら、気の利いた喫茶店がないところに、住んでます。
旧暦9月30日。 志ん生の語った半生記『なめくじ艦隊』(ちくま文庫)を読み終える。 同じく志ん生の『びんぼう自慢』(ちくま文庫)、長女である美濃部美津子さんの書いた『三人噺』(文春文庫)と合わせて読むと、ぐんと面白い、と思う。どうしようもなく救いがたい貧乏芸人の志ん生の、やぶれかぶれの毎日が、不思議なくらい楽天的な当のご本人の、のんきだけど威勢がよくてリズミカルな語り口で読み手を魅了する。こんな旦那さんで、奥さんはよくぞ逃げずに頑張ったなあ、と思うけれど、志ん生ってやっぱり芸の虫なのだ。と、大酒喰らってとんでもないことをしでかしても、身体の中に一本筋が通っているその張り具合がよいんだと思う。『三人噺』は、そういうどうしようもなく愛すべき芸人の父と、辛抱強い母を両親に持った娘の美津子さんが、思い出すようにしみじみ語る、両親と弟たちのこと。 読んでいる間ずーっと、頭の中で志ん生が喋っていた。文字を追うのと同時に。
昨夜は寝る前に、『ムーミン谷の十一月』の第1章を読んだ。しばらく、毎晩寝る前に1章づつ読んでいこうと思う。最初からいきなり、スナフキンが旅に出る。誰とも喋りたくなくて、孤独が好きで、自由が好きなスナフキンの気持ち、とってもよく理解できる。決して社交的ではないのだけど、孤独も大切なんだよなって、スナフキンを見るといつも思う。
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