あたろーの日記
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2006年11月26日(日) 『落語手帖』

 旧暦10月6日。
 今日は自宅でなんか書いたり読んだり。
 休日の楽しみはなんと言っても、夕方早めに銭湯に行ってから、自宅でのんびり晩酌をすること。今日も鍋にして、ちょっと奮発して琥珀エビス(缶ビール)と、ふなくち菊水一番しぼり(カップ酒)。ふなくち菊水、美味しすぎるよ〜。これらをちびりちびりと、2時間かけて呑む。呑み食いしながら、『落語手帖』(江國滋/ちくま文庫)の続きを読む。ああ、よかった。落語が好きでも、噺家ではなくて、自分が噺家の高座を観たり聴いたりする側の人間であることの幸せを、この人はじゅうぶんに知っていたんだと思う。・・・すぐれた噺家、すぐれた噺は、人物描写が決しておろそかではない。人物が細やかに描かれていない噺は、2度も聴こうならもう厭きてしまう。人物の情景が繊細に表されている噺なら、なんど聴いても、またその描写が巧い噺家ならなおのこと、聴けば聴くほど、新しい発見があり、情緒もその時々によって感じさせるものが微妙に異なるので、何度聴こうと愉しめる。そういうことを、納得させてくれる本。
 
 書くのを忘れてました、ちょっとだけ笑ったこと。
 先日ブックオフのとある店に行ったとき。実用本の、料理本棚の中に、『カエルを食べてしまえ!』という本が混ざっていた。食べる=料理本、というひじょうに安直な持っていき方に、ある意味感心した。これ、最近コンビニの雑誌コーナーにも置いてある自己啓発本のひとつだ。たしか、あなたにとって面倒なことを先にやっちゃいなさい、という内容だったかと思う。決して料理の本ではない。ちょっと中を開いてみれば、料理の本だなんて誰も思わないだろうに。そもそも、書名からしてほんとに料理本かどうか、検討つかないのか、不思議だった。
 もうひとつ。面白かったって言うか、可愛かったって言うか。
 浅草演芸ホールで、私の前に座っていたおばあちゃん、お歳は80代半ばといったところか。噺聴きながら、いきなりヤクルト飲んでいた。グイグイ始めたから、お、酒呑み始めましたか、と思ったら、違った。ヤクルト。寄席とヤクルトの組み合わせが、浅草なんだと思いました。巣鴨に寄席があっても、きっとそんな感じですね。そういえば、巣鴨でも落語会があったりします。都合がつけば行きたいのですが、平日だったりするのでなかなか。


2006年11月25日(土) 『狂った果実』。と、ちくま文庫の復刊。と、「火事息子」。

 旧暦10月5日。
 江東区の古石場文化センターへ映画を観に行く。
 「江東シネマ倶楽部」という、月に一度、土曜日の昼夜2回、昔の映画を上映してくれるもよおし。この前江戸深川資料館に「さん喬を聴く会」で行った際、チラシを見つけて、このシネマ倶楽部の2006年後期分(10月から来年3月まで)の会員チケット2000円(映画6本で計2000円ですぞ!)を購入したのですが、第1回目の10月28日『にあんちゃん』は、神保町の古本まつりの途中抜け出して行くつもりが、古本見てたり露店のカレー食べたりしてるうちにすっかり神保町を離れられなくなって、映画は行きそびれました。「にあんちゃん」もほんとは観たかったんですが。。
 今回は『狂った果実』(中平康監督・1956年日活)。知らなかった、製作はターキー(水の江滝子)だったんだ。原作石原慎太郎。キャストは言わずと知れた石原裕次郎、津川雅彦、北原三枝、岡田真澄ほか。
 私はこの映画をちゃんと通して観たことがなくて、たぶん実家でテレビがついていてこの映画を親が観ていても、「昔の裕次郎の映画やってら」程度にちらっとそばで観て、「わからない」ってやめて自分の部屋に戻ったようなそんな程度の記憶しかないです。で、この映画について知ってることと言えば、「石原裕次郎。石原慎太郎。北原三枝。太陽族。日本のヌーベルバーグ」だけ。正直言ってあまり興味なかった。石原慎太郎嫌いだし(そんなこと言っちゃいけないか)。太陽族にもまったく共感できないし。だけど一応は観ておこう、と思ったわけです。
 しかししかし、観てよかった。最初、映画の台詞回しが早過ぎて(監督の意図だそうです)何喋ってるのか聞き取れなかったし、働かずに海で遊ぶか女の子ナンパして酒呑んでるかしてるだけの金持ちの坊ちゃん達の生態に全く理解不能で、ただ、当時の不良である彼らの服装がかわいいのと(シャツの柄とか)、彼らが遊びに行き他の不良グループと喧嘩する遊園地が、どうみても浅草花やしきっぽいかわいい遊園地(時代が違うものなあ)なのとかで、結構愉しんで観ていた。 
 それが、次第に、1人の女性をめぐって、兄と弟の心理劇の様相を帯びてくる。話が進むにつれ、3人の世界がぎゅっぎゅっと濃縮されていく。そして、衝撃的なラスト。・・・粗筋を知らなかった私は、(えっ、こういう映画だったんだ!!)と、ラストシーンが終わった後も、しばらく呆然としていた。
 俳優もいい。弟役の津川雅彦と、兄弟の友人役の岡田真澄が特に。岡田真澄演じる平沢フランクが、映画に一本の筋をスーッと通しているような存在感。平沢の目に、滝島兄弟に起こった出来事はどのように写るのだろう。・・・追悼、岡田真澄さん。
 慎太郎氏。あーあ。都知事やってる場合じゃないですよ、と思った。都知事やるにしても、都民の税金で海外豪遊なんかしないで、そのお金を都の芸術振興にもっと回してくれればよいのになあ!そういえば、そのニュース(都知事のこれまでの海外出張が基準より異様に高い費用をかけていたという)、ちょっと報道されたと思ったら、以来ほとんど耳にしなくなったけど、どうしてだろう。
 映画の話でした。横道逸れてしまって。
 会場人数は240人(施設案内による)ほどでしょうか。ここも、年配の方々が多かったです。おばあちゃん・おじいちゃんが特に。あと、私の両親世代。私の隣のおばあちゃん、映画開始5分で船漕ぎ始めました・・・。しかし、他の人達は懐かしい映画に見入っているようでした。
 1階入り口ロビー脇に、地元生まれの映画監督である小津安二郎紹介展示コーナーがあって、その中に、シネマ倶楽部でこれまで上映した映画のリーフレットがずらっと並んでいるので、それを1枚ずつ戴いていくことにした。で、順番に1枚1枚引っ張って取っていったのですが、私の前に同じように取っているおじさん、「よっ」「よっこら」「よしっ」と呟きながら、1枚引っ張るごとに、指に唾つけている。。。取るのが遅くても構わないから、唾だけはつけんでくれぇ〜っ、と、心の中で叫び続ける私。おじさん・おじいちゃん達って、なんでもそうなんだよなあ。チラシ引っ張るとき、指にチッ。古本屋で本のページをめくるときも指にチッ。新刊書店で雑誌をめくるときもチッ(!)頼むから『サライ』立ち読みしながら指舐めんでくれ〜っ!
 そういうわけで、古石場文化センターを出たのが夕方。小津橋という、小津家の名を冠した小さな橋を渡り、深川の夕暮れを楽しみながら、門前仲町の商店街を歩く。まだ16時半頃だったと思うけど、魚三酒場の中はどうやら満席らしく、外に5・6人位の行列が出来ている。ああ、門前仲町に棲むオヤジになりたいわぁ。その隣が朝日書店。あらかじめ門前仲町に古書店はないかな、と、ネットで調べてきた。想像していた、街の古本屋さん、とは趣がちょっと違って、明るくてすっきりした感じ。でも本は安くて趣味がいいと思いました。今回は何も買わずに出てきたけど、門前仲町に来たら必ず寄ろう。
 深川不動の門前通りをちろちろと眺め、あげまんじゅうを1つ買って歩き食い。遠方から帰ってきたのだろう、着物を着てトランクを持ったちょっと粋なお姐さんが、お不動さんのほうを向いて立ち止まり、軽く一礼してから脇道に入っていった。
 こんな光景、ふと目にすると、なんだか嬉しくなる。
 
 その後清澄白河駅まで清澄通りを歩いていき、そこから半蔵門線に乗って、神保町まで。まだ開いている古書店をちょいちょいと覗く。キントト文庫で、後から入ってきた若い女性2人連れが、「『まぼろし小学校』、どこで見たんだっけ・・・」と会話しながら必死に探している。串間努さんの『まぼろし小学校』(ちくま文庫)のことかな。だったら三省堂のちくま文庫コーナーに「ものへん」「ことへん」の2冊があるよ、と、教えてあげたいのだけど、口にする勇気がない。教えてあげると古書店のお客を逃がすことになるので(と、自分で自分に言い訳)。本屋さんにいると、時々そういうことがある。店員さんに「○○っていう本ありますか」とお客さんが訊く。と、店員さんも、さあー、という顔で困っている。つい、どこそこの棚にありますよ、とか、○○文庫に入ってますよ、と口を挟みたくなるのだけど、どうも勇気が出ない。店員でもないしましてやお客さんの知り合いでもないので、余計な口出しすまいと思うのだけど、やっぱり、書棚の前で何食わぬ顔していながら、そういう会話には耳がダンボになってしまう。以前、どこぞの書店で口を挟んで、お客のおじいさんと店員さんにお礼を言われつつも、「この人誰だっけ」という顔をされたことがある。誰でもないんです、私。。。他のことにはまったく記憶力ないのに、書名に関しては自分でもびっくりする位覚えているみたいだ。たぶん、私だけじゃなくて、書店巡りが好きな人の頭の中には、ある程度そういうデータベースが出来上がっているんじゃないかと思う。・・・キントト文庫を出て、古書モールに寄り、しまいには三省堂書店に近づき、とうとう吸い込まれる。2階の文庫本売り場で呆然となる。ちくま文庫の復刊がずらりと・・・!筑摩書房のサイトは2〜3日に1ぺんは見てるのに、復刊については知らなかった(ゆえに、予算に入れてなかった)。ちくま文庫って、欲しいと思った時に買っておかないと、意外と品切れになりやすい気がする。とはいえ、一度に何冊も買えないので、棚の前でしばし迷う。買ったのは、『書物漫遊記』『食物漫遊記』(種村季弘)『食物・・・』のほうは8月だか9月だかに復刊されていたもの。最近種村季弘という人が気になるので。
 他に今回復刊されていたので気になったのは、『私の猫たち許して欲しい』(佐野洋子)、『天皇百話上・下』(鶴見俊輔編/中川六平編)、『ロッパの悲食記』(古川緑波)。谷崎潤一郎の大正期の短編集もあったけど、どうしようか迷っている。少しずつ買い足している中公文庫のラビリンスシリーズと重複しそうだし。ともかく、今日買わなかったちくま文庫復刊本、また書店から消えないうちに、ちょこちょこ買おうと思います。
 1階の雑誌売り場で『暮しの手帖』『ミステリマガジン』『週刊読書人』を買い、地下鉄に乗って自宅最寄り駅で降り、スーパーで鍋に入れる鶏肉を買う。嬉しいことに、新潟は栃尾の大きな油揚げが、豆腐コーナーに売っているので、酒の肴にしようと思ってそれもカゴに入れる。また嬉しいことに、にぎり寿司に半額シールが貼られて売り場に人が群がっていたので、鮭のにぎり5カン190円もカゴに入れる。銭湯に寄って、帰宅し、鍋の用意。宅配で届いている野菜をどかどか入れる。今日は醤油ベース。栃尾の油揚げは、魚焼グリルでちょっと焼いて、2口大に切って、スライスした玉葱をのせて醤油をかける。発泡酒とカップの日本酒をちびーりちびーり呑みながら、先日買った『本の雑誌』最新刊を読む。いつも楽しみにしているページに、ふと、学生時代からの友人のことをみつけて、(なるほど、筆者とはそういえばそういう繋がりだったのかぁ)、と、思う。
 最後はiPodで圓生の「火事息子」を聴く。というのも、『落語手帳』(江國滋/ちくま文庫)を読んでいたら、三木助の「火事息子」について書かれてあったので。あいにく、この噺、桂三木助では持っていなくて、三遊亭圓生のものをiPodに入れてあった。圓生の噺をじっくり聴く。ちょうど、今の季節に合う噺なんだと思う。江戸の夜の風景が、頭の中に立ち現れてくる。今度は図書館で、三木助の「火事息子」を探してみよう。
 
 


2006年11月24日(金) 秘密プラン浅草編。

 旧暦10月4日。
 一昨日から腰痛で(女性によくある症状)、ジーンズのポケットにカイロを入れたりして、腰を温めていたら、腰、低温やけどしちゃって、ちょっと皮が剥がれて痛い。まぬけ。
 今日は会社は休暇を貰い、バスに乗り、浅草演芸ホールへ行った。バスに乗る前に、巣鴨の地蔵通り商店街にある郵便局に所用で寄り、同じく商店街の伊勢屋という塩大福の店で、助六を買う。昼食と夕食用の2食分。それと、コンビニに入って、カップ酒の小さいのを探したのだけど、あいにくと大きめのしかなくて、仕方なくそれを買う。と、お新香も買う。・・・うっかりしてたのだけど、今日は「4」のつく日で、地蔵通りは縁日。平日の縁日なのでさすがに若者は少なく、今日はもう、おばあちゃんばっかり。。。例によってなかなか道を進めない巣鴨の縁日でありました(汗)
 巣鴨でさっさと用事を済ませてバスに乗ろうと思ったのに、思わぬところで時間を喰ってしまい、浅草演芸ホールそばのバス停に着いたのは昼の12時を過ぎていた。昼の部は11時40分から始まっている。まあ、平日の寄席だからすいてるだろうな、と高をくくっていたら、とんでもない。入り口で、現在満席で立ち見状態と言われる。えー!そうなんだ!大失敗。だったらもっと早く来るんだった。と、それでも料金(『東京かわら版』を持っていくと200円引きの2300円)を払って中に入る。なるほどホール後方にずらりと立っている人達が。ちょうど、舞台に近い、前方の壁側がすいていたので、そこに体育座りしてしばらく聴いていた。そのうち、茨城から来たという団体客が、バスの時間なのか、集団で席を立って出て行ったので、うまく座れましたが、夜の部も立ち見が出るほど混んでいました。それにしても、他の寄席や落語会と違って、おばちゃん・おばあちゃん達の数が、圧倒的に多い。客の7割はおばちゃん・おばあちゃん達だ。さすが、浅草観音様のおそばであります。・・・巣鴨の地蔵通り商店街と、客の構成はほとんど変わらない。ちょっと違うのは、ウィンズがごく近いので、ちょっと荒れた(気分の)おじさんも混じっていることだ。+他の年齢層の観光客、+お目当ての噺家さんを聴きに来た落語ファン、といった感じです。
 おばちゃん・おばあちゃん達というのは、笑い方が素直で、笑い声に圧倒的なパワーがある。それと、よく頷くし、相づちを打つ。場内恐ろしい熱気だ。
 
 私のお目当ては、昼の部の、三遊亭歌之介、柳家さん喬、柳家三三、夜の部は、柳家権太楼。今日は三遊亭歌之介「爆笑龍馬伝」、柳家さん喬「時そば」、柳家三三「犬の目」、柳家権太楼「黄金の大黒」だった。初めて見た噺家さんで、ファンになりそうな人が、二ッ目に昇進したばかりの柳亭こみち。数少ない女性の噺家さんで、気っぷが良さそうでよく通る声で、なにしろ巧い。これから注目してみよう、と思いました。古今亭志ん橋「居酒屋」、実は昨日原宿から代々木まで歩いている時、iPodで聴いていたポッドキャストの「フジお台場寄席」の中にありました。昨日は歩きながら、志ん橋師匠の顔を思い出しながら、この部分で高座でどんな仕草をしてるのかなあ、なんて想像しつつ聴いていたのですが、まさか翌日に実際に同じ噺を見ることが出来るとは思っても見ませんでした。想像したとおりの身振り手振り(特に居酒屋の小僧さんの役)で、前日に自分の想像力で予習しておいて、翌日に現物を見るという、なかなか面白い経験をしました。
 ・・・古今亭志ん五「素人義太夫」ついついつい、ウトウトとやってしまった。あーあ。勿体ない。昼席の主任、トリだったのに。実は、来る途中、バスの中で、同じく志ん五師匠の「蜘蛛駕籠」を聴きながらウトウトしてしまったのです。なおかつ、以前、確か末廣亭でも、志ん五師匠の高座の時に居眠りをしてしまった気が。どうも、あの声は私を心地よく眠りに誘うようです。ほんとに、自分でも、どうしてか分からない。
 色ものではマジックの伊藤夢葉、曲芸の鏡味仙三郎社中、夫婦漫才のあしたひろし・順子(ひろしさんは84歳でダンスを披露!)、曲ごまの三増紋之助(この人ほんと巧いなあと思います)、あと、懐かしいところではものまねの江戸家小猫、それと、どこかで見たような気がするパックンとマックンが、プログラムにはないけど出ていた。
 時間がおしていたために、最後のほうは、春風亭小朝・林家いっ平ともに、ちょっと駆け足。いっ平「荒茶」はそれでも面白かった。加藤清正の髭で泡だった茶、想像しただけでもう。。。うう。。。
 全体的に、古典落語が少なかったような。。。客席のおばちゃん・おばあちゃん達にウケるような、著名噺家・芸能人のお笑い思い出話とか、世間話的な笑わせ話とか、あと、客席を引っかき回すような感じの話が多かったような。そういうのもたまにはいいけど、2人、3人と続いたりすると、さすがにうんざりする。それって、新作落語とはまた違うし、古典落語とも勿論違う。なんか、世間話でお茶を濁すような高座は、正直言ってつまらない。生意気言うようだけど、最初マクラで一山笑わせておいて、どんな噺に入っていくのかな、と期待させておきつつ、次第に古典落語に入り、練り上げたひとつの噺をじっくりと聴かせてくれる高座が、私の好みです。ただ、場内が爆笑すればいいってもんじゃない。ああ、いい噺をみっちり聴いたなあ、っていう満足感を抱いて寄席を出たいなあ。ほんと、生意気なこと言ってますが。

 浅草演芸ホールを出たのが21時。さすがに座りっぱなしで、お尻が痛い。助六とか日本酒をちびりちびりと胃袋に入れていたので、空腹感はなし。となれば、巣鴨行き終バスまで約1時間、演芸ホール近くの銭湯蛇骨湯に行く。ここは、都内にありながら、しかも公衆浴場でありながら、天然温泉だそうです。もちろん東京都の銭湯料金430円で入れます。江戸時代から続く歴史の長い銭湯で、お湯は地下水、茶褐色。屋根があるけど一応露天風呂も。中の熱い湯船に浸かり、腰の皮剥け部分がじりじり染みるのに耐え、次に露天風呂に行き、何十分も浸かり、最後にまた熱い湯船にじっくり浸かり、よい心持ちに茹で上がったところで、上がり、バスに乗って帰ってきました。
 いいですなあ、自分でやっていて、我ながらよいプランだと思いました。
 浅草演芸ホールで落語三昧の後は、近くの蛇骨湯で1日の笑い疲れた身体を温めて、ガラガラ空いているバスに揺られてのんびり帰ってくる。
 ガイドブックにはない私だけの秘密プランであります。
 


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