あたろーの日記
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2006年12月08日(金) しまった風邪引いた!

 旧暦10月18日。
 先日仮病使って会社休んだ罰なんだと思う。ほんものの風邪引きました。 昨日から、会社にいても寒いなーなんて思っていたら、今日頭と頭が痛くなって、だるだるソース。定時で帰ってきて、夜は自宅で鍋。野菜沢山食べました。
 そういうわけで、今日はもう寝ます。明日の日中も布団の中でぬくぬくごろごろ我慢していようと思います。明後日こそは元気に出掛けたいので。 
 会社でも風邪流行っているようで。お気をつけくだされ。


2006年12月07日(木) 『犬狼都市』

 旧暦10月17日。
 昨夜は職場の人達と急遽呑み会。今日は仕事帰りに神保町に寄る。三省堂で『わたしたちが孤児だったころ』(カズオ・イシグロ/入江真佐子訳/ハヤカワepi文庫)を買う。幸運にも、筑摩書房のPR誌『ちくま』を貰うことが出来た。
 書店を出て、23時までやっているカフェというか、チェーンのコーヒーショップで、22時半まで、本を読む。ほんとうは書きかけの文章の続きを、と思ってノートを持ち歩いているのだけど、『わたしたちが・・・』が気になり、読み始める。
 一昨日、寝る前に『犬狼都市(キュノポリス)』(澁澤龍彦/福武文庫)を読んだのだけれど、さすがにその夜は寝つきが悪かった。「犬狼都市」「陽物神譚」「マドンナの真珠」という3作の短編。人間の娘と狼とのまぐわい。奴隷の男根を切り取る残忍な皇帝。屍となった男達の操る船に捉えられたまま共に旅をする3人の女と少年。
 本を読んでいて、物語を読んでいて、そこに描かれている世界へ想像の旅に出掛ける時、ふつうは、自分が今存在している空間から上へ横へとごく自然に移動しているような気がするのに、澁澤龍彦を読むときは、あの有名な氏の書斎、あるいは博覧強記の人の地下の書庫にある秘密の扉から、複雑に歪みきった空間を通って、簡単には戻って来れないような世界へ放り込まれてしまうような感じがする。本に描かれた世界を、薄暗い書斎や書庫の扉からのぞき見ていたら、いつの間にか足を踏み出してしまっているような。だから、その、書庫の向こうの世界へ気軽に行ってひょいっと簡単に戻ってこれるような精神状態の時は、澁澤龍彦を読む気になれるけれど、そうじゃない時は寄りつきたくない、そういう作家だ。どうも私にとっては、お酒で言えばテキーラとかウオッカとか、ごくたまーにしか飲まない、しかも飲む前にちょっとした気構えが必要な種類のものみたいだ。かといって嫌いじゃない、嫌いじゃないから飲めるのだけど、普段飲み、は、しないなあ、という感じの。で、飲むと実際、ぐるぐる回っちゃう。澁澤龍彦は評価の高い作家だし、今でもひじょうに注目されているけれど、私はそんな感じで、怖がっています。


2006年12月05日(火) 反省。

 旧暦10月14日。
 ・・・朝自宅で『暗殺者』の下巻に取りかかったら、本を閉じることが出来なくなってしまい、もうちょっと、もうちょっとだけ・・・と読み進めているうちに、出勤時間が過ぎてしまった。・・・ここで本を閉じてしまったら結末まで読めるのがどう考えても早くて夜だ・・・、日中は続きを読みたいのをこらえて仕事せねばならない、と思ったら耐えられなくなってしまい、ついに、会社へ電話を入れて、さぼってしまった。。。す、すいません。社会人としてとうてい許されないことです。言い訳ですが、月末業務も一息ついて、また忙しなくなる月のルーティンワークの、ほんの手前の1日です。明日から人が変わったように働きますから、許してください。って、誰に許しを乞うているんでせう。
 後ろめたさを感じながらも、『暗殺者』下巻を昼に読み終え、心地よい疲労感に、どっと畳の上にぶったおれておりました。ラドラムの評価は、どうやら人によってはっきり分かれるらしい。『暗殺者』が比類無き彼の最高傑作だというのは一致しているけれど、他の作品となると、「駄作だ」「『暗殺者』ほどではない」という声もよく聞かれる。となると、その最高傑作しか読んだことのない私は幸か不幸か。だけど評論家とか、評論家肌の人とか、評論好きな人の言うことをそのまま受け入れておくのも不幸であるからして、要は、自分の感覚に合うか合わないか、だけが、個人対1冊の本の関係の全てだ、と思う。したがって、まだまだちょぼちょぼと、ラドラムを読んでいこう、と考えております。
 
 アパートの部屋の壁が薄いので、隣のおじさんが観ているテレビ番組の音が聞こえる。うるさいというほどでもないので気にならない。気にならないのにはもうひとつ理由があって、おじさんの観る番組がだいたい決まっているようで、NHKの火曜夜の演歌番組(私も昔観てた)とか、日曜夜の大河ドラマとか、あとは野球とか社会派ドラマとかドキュメンタリー系。幸いなことに、バラエティ番組や若者向けドラマは好きじゃないらしいので、キャアキャアいう音は隣のテレビからは聞こえてこない。私が上京したての学生時代、やはり隣の部屋のお姉さんのテレビ音が筒抜けで、その頃テレビがあってもほとんどつけなかった私はさすがに耐えられなくなって、ある日、もうちょっとテレビの音量を下げて欲しいとお願いに行った。今の部屋はそういうことがないので幸せだ。そのお姉さんの音量が異様に大きかったのもあるけど、つけている番組の傾向で、耳障りかそうでないかが決まるので(私って勝手かな)。
 ・・・隣のおじさんからしてみれば、テレビの音は聞こえないのに、時々落語と笑い声が聞こえてくる我が家は、それはそれで不気味かもしれない。


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