あたろーの日記
DiaryINDEXpastwill


2007年01月12日(金) 最近の事件に思う。

 旧暦11月24日。
 夜帰宅後、読み終えた本を実家に送る準備したり、ネットでこのところ続いている信じられないニュースをじっくり読んだりして、2日続けてついつい日記は書かずじまい。
 あんまりニュースに引きずられてはいけない、と思いながらも、いろいろな新聞サイトなどを読みふけってしまう。会社でも、渋谷で起こった2件のバラバラ殺人事件の話題になると、みんな話が止まらない。それだけ誰もが事件に関心を持ち、異様さに驚いている。自分の思い通りにならない相手を殺害し、遺体を切り刻むなど、残酷で猟奇的。自分勝手すぎる。言葉を尽くしても、事件に対する驚きや嫌悪感をうまく表現できない。しかし、事件の背景にある家庭環境や結婚生活などを知ると、普通と違うようでいて、案外どこにでも転がっているような事情なのかもしれないとも思う。兄弟それぞれ性格や勉強の出来不出来、他あらゆる違いは当然どの家庭にもあるし、家庭内の不和だって多くの家庭であるだろうし、夫婦間の問題だって同じく沢山あるだろうし、事件が起こったから犯人の人物像がクローズアップされるけど、似たような人は案外多いんじゃないか、と思う。だいいち、どこまでが異常でどこからが普通なのか、定義すること自体そもそも不可能だ。満員電車に押しつぶされながら会社に行き、普通に仕事をして、帰宅して家人に暴力を振るう夫は沢山いるだろうし、外見は綺麗に着飾って恵まれた家庭生活を営んでいるように見えて、実は虚言癖や見栄っ張りの妻だってゴマンといそうだ。それに他人が調べ上げた犯人や被害者の人物像はあくまで他人から見た外側の姿にすぎない。人の心のほんとうの闇は、本人にだって理解しきれていない。なんとなく、「特別な人」が犯した犯罪なのではなくて、どこにでもいる普通の人が何か悪い穴にはまって取り憑かれて引き起こしてしまったような、そんな漠然とした恐怖までも感じてしまう。だから事件の報道から目が離せない。他人事のようでいて、実は他人事などではないんじゃないか、という底知れぬ恐ろしさ。人間というものは、もしかしたら、いざという時に遺体を切り刻むという行為を行えてしまう生き物なのか?と自分の心に何度も問い直してしまう。
 都会の中の、そう離れていない2つの家庭で、そんな背筋が凍り付くような行為が行われていたというのは、偶然などではなく、そういう時代に私たちが生きているということを否が応でも認識させるある種の符牒なのだろうか、という気がしている。


2007年01月09日(火) 思ったこと。

 旧暦11月21日。
 防衛庁が防衛省に昇格。庁から省へ半世紀かかっているとはいえ、ここに来てなんだか急ぎすぎの感。複雑で緊迫した国際情勢や国内外で増えている災害に対する自衛隊活動の必要性を考えると、理解できる部分は多いけれど、だけど首相が今この人のうちに、と、国民が「え?」って思う間もないほどにさっさと昇格させちゃったって感じ。もっとちゃんと説明して欲しいよ。少し前まで、自衛隊のPKO活動であれだけもめたのに、あの時の議論は一体何だったんだって位に忘れ去られている。
「美しい国と国民の未来、世界の平和と安定という崇高な使命のため、さらに献身的な貢献を切望する」(首相)って、聞こえはいいんだけど、この欺瞞に充ちた国際社会の中で、一国の軍隊の舵取りをするには、まだまだ議論して突き詰めていかなければならないことが沢山あるのに。「美しい」「崇高な」だなんてまた気持ちよく聞こえる言葉を使っているけど、要するに曖昧にして国民から隠しておきたい事柄を綺麗な修辞で覆っているように思える。
 省ともなれば、予算は国会を通さなくても組めるそうだし、自衛隊(ほとんど軍隊)の海外派遣はもう当たり前の任務らしいし、これから国民が気づかないところで、何か重大なことが増殖していきそうで怖い。

 渋谷区の、兄が妹を殺害して遺体をバラバラに切断した事件。同じ人間のやることとは思えない。もうなんともやりきれない。たとえ相手の言動に自分が傷ついても、親に対する言動に腹立たしく思えても、相手がどうであろうと、その人の命を奪い、しかも遺体を損壊することの理由にはならないのに。とうとうこんな事件が起きる時代になってしまったか、と、背筋が寒くて仕方がない。

 


2007年01月08日(月) 成人式って。。

 旧暦11月20日。
 毎年思うんだけど、ディズニーランドで成人式だなんて、ほんと、アホだわ。昨年の紅白歌合戦の裸踊りと同じくらいのレベルで、アホ。出るほうも出させるほうも、両方とも同じくらいアホ。見る側が恥ずかしくなる。アホーアホー。
 アホだなんてなんて口が悪いのかしら、申し訳有馬記念。

 ほとんど自宅で過ごした休日。本読んだり文章書いたり編み物したり。
 子供の頃、冬は寒いので、雪遊びをしなくなった小学高学年の頃から、自宅に籠もって本を読むか、手芸をしていた。たまにお菓子作りもしたり。子供っていうのは、母親の過ごし方を自然に真似るようになるみたいで、母が本を読むか編み物縫い物をするか、お菓子を作っていたりしたので、私も妹もそうすることが多かった。私は今はお菓子は滅多に作らない、その代わり酒の肴はしょっちゅう作る。だけど、もし自分が子供を育てるようになったら、手作りのおやつを食べさせたいなあ。。。服も、私の母がそうしていたように、手編みのセーターやカーディガンや、手作りのスカートを着せてあげたい。本でイマジネーションの世界を拡げて欲しいから、毎晩寝る前に読み聞かせをしてあげたいし。
 実家で姪っ子甥っ子達を見たり、年賀状で友人の家族写真を見たりするたびに、やっぱり家族っていいなあ、子供育てたいなあ、という想いを抱く。だけど、こればっかりは、縁もあるし、また今の自分にはまだやりたいことがあって、それがメドついてから、という気持ちもあるので、家庭を作ることはもう少し先になりそう(縁があればの話ですが)。しかし、時々、いい歳をして結婚していない子供もいない女性は役立たずだとかまともでない、というニュアンスのことを、周囲の人から言われたり、政治家の中には堂々と言っちゃう人もいたりして、悲しくなるしやるせなくなる。人それぞれの生き方があっていいじゃないか、と思う。いろんなパターンがあってしかり。結婚したり子供を産んだりするのは、人並みになるためでもなく、国の役に立つためでもない。ごくごく個人的なことだ。だから、そういうことに、人から干渉されたくはない。
 ・・・飛躍しすぎかもしれないけれど、成人式なんていらない、と思う。選挙権や飲酒などの目安と考えればそうなんだけど、大人になったかどうかなんてごくごく個人的なことだ。内面の問題だ。私なんていまだに大人になりきれてない自分の精神面を毎日見つめている。・・・みんな同じく着飾って横並びで成人式やるんじゃなくて、人それぞれの生き方が尊重される大人の社会を作るべきじゃないか、と思う。社会そのものを成熟させることのほうが、形式だけの成人式より大切なんじゃないか、という気がする。。。
 
 


あたろー |HomePage