あたろーの日記
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2007年04月15日(日) |
ビル或いは塔の・・・ |
旧暦2月28日。 またまた一週間ぶり更新になってしまいました。 恐ろしいことに、先週は月から金まで、自宅でお湯を沸かすことすらしなかったです。つまり、お茶を飲むさえなかったのでした(^^;)夜帰宅してすぐ布団敷いて、朝はギリギリに起きて飛び出していくという、なんともまあ、生活してるって感じのない週でした。 でも、仕事忙しいことは忙しいけど、自分なりに学ぶことが多いので、当分はこれでガンバロウ、と思います。だけど、瞑想する時間が減ると、身体と精神のバランスとるのが難しいって実感します。まず第一に、疲れやすくなる。。。落ち着いて物事を考えるのが億劫になる。他人の言動を許そう、忘れよう、という寛容な精神がなくなってしまう。。いろんな点で、自分に余裕がなくなっていくみたいです。今週は、自分と向き合う静かな時間を絶対確保していこう。 昨日は会社の行事の手伝いでちょっと出勤したので、今日は掃除洗濯・・と思いながら、結局ほとんど昼寝。あーいかんいかん。と思いながらも、たたんだ布団にごろんと寄りかかって寝てしまいました。選挙の街宣カーとか、近所の子供の遊ぶ声とか、なんかのどかで。
最近、大地宅配から届いた野菜セットの箱を玄関ドアの前に置いたままにしておくと、野良猫くんが乗っかって休み場にしていくらしい。前にも日記に書いたのですが、週に一度届く野菜の箱、夜帰宅して家の中に入れようとすると、上に猫の抜けた毛が(笑)。それだけなら良いのですが、豆腐や納豆など冷蔵品を届けて貰う発泡スチロール製の箱の上に、先日は爪を研いだ痕と、にゃんと黄色いオシッコが少量!あのヤロ、スプレーしやがった(=_=)つまり、自分の縄張りだとマーキングしたようなのです。帰宅してドア脇の大地箱の上にかばんを置いて鍵を開けようとして、「おっと!」と慌ててしまいました。もう少しでオシッコの上にかばんを乗せるところでした(汗)大地宅配の箱はもちろん次回配達日に回収して貰う通い箱なので、拭いて綺麗にしておきましたが、爪研ぎ痕はねえ。。。まあ、ボロボロになってないので大丈夫とは思いますが。。 だけど、私の姿を見ると大慌てで逃げ出すとは言え、「あのドアの前に行けばゆっくり休めるんだにゃ」と、アテにしてくれてるなんて、なんだか可愛い奴じゃないの、と、ちょっと微笑ましく思えてしまうのでした。 願わくば、大人しく寝るだけにして欲しいけど。
1週間前に見た夢で、どうしても忘れられないのが、ビルが横倒し崩壊していく夢。あまりにもリアルでうなされて目覚めた。ちょうど日記にも書いたように、911テロに関するドキュメンタリーを見た後だったので、それが夢に出てきたのかなーとも思い、でも世界貿易センタービルの崩壊の様子とは異なるイメージだったので、これから起こる何かを象徴しているのかなあ、とも思い、ちょっと暗鬱な気分になった。まるでタロットカードの「塔」のような映像が夢の中に出てきたのです。どう解釈したものか。ビルや塔のような建築物が物理的に倒れるのか、それともタロットカードの意味するように、これまで積み重ねてきた、或いは当然と思ってきた何か(信念とか価値観とか、はたまた組織や社会的な何かや暮らしや経済など)がある日突然崩壊するという暗示なのか。後者であれば、それはごく個人的な自分に関してのことか、それとも社会一般に関してのことか。 なんとなく、自分自身に関して、これまで培ってきた何かや、価値観を根底から覆すことが起こるような気がしているのですが、こういう風に夢で警告を貰ったということに感謝しよう、と思います。常に用心を怠りなく、足元をしっかり見つめて行かなきゃなー、と、ちょっと気が引き締まる感じです。 さてとー、今週もガンバロウっと。 あと2週間でGWですよねっ!
2007年04月08日(日) |
のんびりした日曜日。 |
旧暦2月21日。 久しぶりにのんびりしたなぁ♪ というか、だらだら過ごしてしまいました。。。 夕方になって慌てて投票に行ってきた。 都知事選。開票速報にがっくり。まあ、予想のついていたことではありますが。また石原帝国かぁ。あーあ。 順序が逆になってしまいましたが、金曜は仕事を終えて21時から(遅いー)職場近くの墓地で花見。いろんなおうちのご先祖様達の霊に見守られ(?)賑やかに酒盛り。盛り上がったところで居酒屋へ移動し、閉店後さらに別の店、そこも閉店後はカラオケ。朝まで歌ってまた閉店で追い出され、6時にふらふらになって帰宅。すぐ寝て起きて、午後は友人と「さん喬を聴く会」。場所はいつもの深川江戸資料館。我ながらよく体力続くよなあと。でも、お弟子さんの噺ではうとうとしてしまい、いかんいかんと頭をぶんぶん振って、さん喬師匠の噺はひと言も聴き逃すまい、と、目をぱちくり。「寝床」と、本来なら3時間近くになるという長い噺「ちきり伊勢屋」を短く(それでも1時間は超えていた)したものをじっくり。「ちきり伊勢屋」という噺を聴くのは初めてでした。どんな噺だろうとわくわくしていた。相変わらずさん喬師匠は人情噺が巧い。情景描写もぞくぞくするほどリアルで、客席に江戸の往来が、年の瀬の寒さが、そそそーっと立ち現れる。聴く人の呼吸がいつの間にかひとつになっている。唾を飲み込む音さえも周囲に響いてしまうほどに、張りつめた会場。そこに柳家さん喬の語りが一瞬一瞬の空気を捉えていくよう。あのテンションを1時間以上、1人で保っていくのだから、凄いと思う。 まるでロードショーを見終わった後のような、心地よい疲労感と余韻が残って、会場を出た後友人と言葉少なに駅に向かいました。 写真の猫は両方とも深川にて。猫って、どうしてそんなところが好きなんだろう、っていうような場所によく乗っかってる。携帯電話のカメラを向けると、大あくび。あくび直後のマヌケ顔がまるで笑っているような。白黒猫は薄汚れてノラちゃんなんだけど、あら、よく見ると見返り美人。目が綺麗な。深川の猫はのんびりしてる。いじめられたり厄介払いされたりすることがないのかもしれない。路上の生き物が平和な土地って、人間にも住みやすいんだろうな。
話は今日に戻って。 今朝はちょっとゆっくり起きて、布団の上で瞑想した。ちょっと前だと、瞑想してるって言うと、変わった人、って思われてたかもしれないけど、今はかなりポピュラーになってきたような感触が。。私が瞑想というのに出合ったのは7〜8年位前で、その頃から毎日朝晩、時間のない時は2日や3日に1回のペースになることもあるのですが、ちょぼちょぼと続けてきました。ただ、数年前にいろいろあって精神的に参ってしまった時期は、一時的に瞑想をすることさえ忘れてしまっていて、その後自分を取り戻した時に、やっぱり少しずつでも1人静かに瞑想する時間を持ち続けていこうと思い至り、今に続いています。 瞑想の仕方にはいろいろあるらしいのですが、私は面倒なことが苦手で覚えられないので、ただただゆったりとした音楽を聴きながら、自分の呼吸、吸うと吐く、に意識を集中する、というやり方に落ち着いています。最初は日常生活の中での心配ごとやあれこれが頭の中を支配しているのですが、だんだん、呼吸を意識していると、だんだんと、吸うと吐くが深く深くなっていって、余計な雑念がすーっと消えていき、自分の頭も身体の中も、クリアで柔らかい粒子で満たされていくような感覚になります。それがとても心地良いです。 瞑想を続けていると、うまく表現できないのですが、なんて言うんだろう、「すべての答えは自分の中にある」ということが、自然に解ってくるような気がします。そういう想いが身体の中からわき起こってくるような。瞑想することさえ忘れてしまうほど心身共に忙しかった一時期、まるで自分が何か大切なものから分離してしまっていたように感じていました。日に1度でもいいから、自分自身と向き合う静かな時間を持つって、すごく大切な、いや、最も大切なことなのかも知れない、と思います。 と言うものの、最近はやっぱり、帰宅が遅くて睡眠時間もちょっと足りず、朝も寝ぼけ眼で家を飛び出していくので、この辺りで軌道修正して、せめて毎日、朝か夜のどちらかはまとまった時間(と言っても30分程度ですが)瞑想できるように心がけよう、と考えているところです。頭もスッキリするし、身体の調子も良くなるし、精神的な余裕もできるし。。。 あれ、なんでこんなにつらつら書いたんだろう。要するに、今日の午前中は久しぶりに充実した時間を過ごせたって書きたかったんです。
夜、まとまった時間が取れるときに見ようと思っていた番組を見た。「阿修羅」にある「このビデオ(無料)をすべての日本人に見てもらいたい!」というもの。9.11の実像を暴くドキュメンタリー。あのテロがアメリカ政府による陰謀だというのはすでに多くの人の知るところだ。でも、見て損はないビデオでした。情報がいかに操作されて人々がいかに嘘の情報を信じ込まされるか、9.11はその教訓でもある。 自分の判断能力を鍛えて情報に踊らされないようにすることが、こんな世の中に生きていく人間にとっての防御壁だと思う。
2007年04月02日(月) |
ご冥福をお祈りします |
旧暦2月15日。 しばらく危篤状態が続いていた上司のお嬢さんが、3月31日に亡くなった。享年22歳。 生まれつき重い障害をお持ちで、常に誰かが手助けをしなければ生活ができない状況で、また、ご両親と他のご兄弟はずっと死を覚悟しながら22年間支えて育ててきた。 私は今の職場に来た8年前から、上司からしょっちゅう娘さんのお話を伺っていたので、お会いしたことは無かったけれど、まったく無縁の他人ではないような気がしていた。ご両親である上司の苦労と、娘さんに対する愛情に、いつも頭が下がる想いだった。 夕方、職場を早めに出て、お通夜のお手伝いに行った。 当初、参列者は100人ほど、との予想に反して、300人位の方々が、故人を偲んで斎場におみえになり、受付の記帳には長い行列が出来た。多くが、故人と家族と共に、同じ障害を抱えて苦楽を共にしてきた仲間の方々や関係者で、娘さんの存在を中心にして上司とご家族の交友関係が広いのには驚いた。 会場の一角には、故人の成長の記録である多くの写真が載ったアルバムがおかれ、ご家族との愛情に溢れたスナップが、22年間の家族のあゆみを物語っていた。 それにしても、ご両親はもうかなり前からこの日の来るのを覚悟していたとはいえ、お子さんが先に亡くなるというのは、あまりにもむごい。自分のお腹を痛めて産んだお子さんが自分より先に逝ってしまうというのはなんと残酷なことだろう。
ご冥福をお祈りするとともに、穏やかで何の苦しみもないあちらの世界で、自由に動き回れることの楽しさを満喫して戴きたい、と切に願う。
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