2007年05月29日(火) |
ROSETTA→FUNKIST→追悼ライブ part2 |
前回、FUNKISTのライブ後まで報告したので今日はその続きを。
【27日(日) タワさん追悼ライブ】
27日早朝5時頃、FUNKIST達の打ち上げの後、新宿から四谷までお散歩してから、札幌に戻る為羽田空港に向かいました。
乗る予定のヒコーキはお昼の12時なので、寝るために山手線3週くらいしようか迷ったんだけどさ、結局まっすぐ羽田に移動。
空港内のソファに座って、今回もらった音源などを聞きながら2時間ほど仮眠。 軽く食事して予定通りの便で札幌へ戻ったんだ。
千歳空港到着後、まっすぐ追悼ライブ会場のヴィニーズバーへ。
SIXRIDEのもう一人のメンバーとも言える【タワさん】の一周忌のライブのお手伝いでした。
【タワさん】はバンドじゃなくてアコースティックギターで歌う人なので、SIXRIDEのライブよりも、【下山武徳の夜会】会場で一緒に出演するメンバー。
タワさんは押尾コータローさんのファンだったらしくて、私が以前コータローさんや渡辺香津美さんと仕事してた時、サインをもらいに来てたんだよね。
「あ、タワさんだ! ねえコータローさん、この人すごくいいギタリストなんですよ」
と、コータローさんや香津美さんにタワさんを紹介すると、タワさん、すっごく嬉しそうな顔してコータローさん達と喋ってたなあ。 やっぱりキョドってたけど(笑) それがタワさんのいいとこ(笑)
その彼が亡くなってもう1年も経つなんて・・・・。
そんなご縁もあったので今回の追悼ライブで親族やファンの皆さんをお迎えするお手伝いをさせてもらいました。
通常のライブとは意味合いが違うので内容の詳細は控えさせていただきます。
決してしんみりした集まりじゃなくて笑いもいっぱいだったよ。
受付をやってた私の隣にはSIXRIDEのギタリストでもあり現在JADESTERの青柳慎太郎がいて、ステージで繰り広げられる会話に二人で大爆笑の連続。
こうしてまたみんなが集まって、その場に密かに存在していただろうタワさんの気配もみんな感じていて、生前と変わらない雰囲気を過ごせたよ。
タケちゃん(下山武徳)が吐き出すように、その声がどこまでも届くように歌う姿に私は何度も涙を流したわ。
ありがとうね。
そして夜の12時頃に追悼ライブは終わり、親族やファンの皆さんは二次会へ移動。
一仕事終えた私は会場(ヴィニーズ・バー)に残りひとやすみ。
後片付けを少しだけ手伝ってると、
「じゅんこさん、今日なんにも飲めなかったんじゃない? 長時間疲れたでしょ」
と、ヴィニーズ・バーからビールの差し入れが。
うひゃー嬉しい! ありがとー! と、カウンターでビールとギョーザをいただく。
やっとゆっくりのんびりできたひと時だったわ。
帰り際にタワさんのお兄さんがポツリとつぶやいた言葉。
「生きてるうちにこうしてあげればよかったんですけどね・・・・」
タワさん、逝くのが早すぎたけどさ、またどっかで会いましょう。
そして、ニュースでご存知の方も多いと思いますが、ZARD・坂井泉水さんのご冥福をお祈りするとともに彼女が安らげるよう心から願っています。
2007年05月28日(月) |
ROSETTA→FUNKIST→追悼ライブ |
【25日(金) ROSETTA ライブ】
札幌のホール・スピリチュアルラウンジでROSETTAのライブ。
リハーサルで新曲のチェックして、本番はメンバーに任せて私は別のお仕事へ移動。 ライブも終わり撤収作業してる頃にホールに戻り、メンバーや一緒に出演したバンドの方達とホール内で打ち上げ。
その後、意気投合したバンドを引き連れて二次会の場所へ移動。 ススキノの街を「は〜いみなさん、こっちですよ〜」と引率するじゅんこさん。 振り返れば、皮ジャン着てギターしょって夜なのにサングラスかけてるガラの悪〜い連中だらけ(笑)
ロックな飲み屋でサイコーな音楽でお酒も進み、みんなよりもお先にお店を出たのが朝の5時頃。
5時半頃に自宅に戻り、シャワー浴びながらデジカメとCDウォークマン・PHSの充電、メールチェックして、これからヒコーキに乗る為バタバタと7時頃に自宅を出る。
朝の8時頃に無事千歳空港に到着し、本日最初のミッション『じゃがぽっくる・3個ゲット』をクリア。
皆さんご存知のように、千歳空港でこのお菓子をゲットするのは難問なのですが、そこはじゅんこさん、考えましたね。
「朝一番の入荷時に店で待っていれば良いのでは?」 と。
そーゆー事にはハナの利く私なので、タイミングよく「お一人様一個限り」の個数限定してないお店を発見し、入荷と同時に5個ゲット! 「仕事のできるバイヤーっぷり」を発揮してみました(笑)
【26日(土) FUNKIST ライブ】
じゃがぽっくるも無事ゲットし、乗り遅れることもなく10時発のヒコーキに搭乗。
今日は新宿MARZでJKRS企画のイベントです。
今年の2月、北海道ツアーの際に一緒に仕事したFUNKISTのライブもあるのでみんなに会いに行ってきました。
・・・・と、その前に、 今回私が上京した目的はもうひとつ。
うちの秘蔵っ子シンガーたかし&マネージャーちえちゃんと今後の打ち合わせの為、そして、彼らにFUNKISTを体感させたかったから。 会わせたかったから。
お昼に羽田に着いて新宿でたかし達と合流し、歌舞伎町の天下一品でラーメン食べてティータイム。
それから歌舞伎町にあるライブハウス・MARZに行き、第一部・15時〜FUNKIST・南アフリカツアードキュメントDVD上映会を見た。
今回の私はお仕事じゃなくお客さんです。
上映会では涙が止まらなかった。 このDVDには、南アフリカの荒んだ現状、今もなお黒人と白人が争い生きる為の強奪など、私達が普段知りえない状況が映し出されていた。
バンドにありがちな「ライブやったぜ!楽しかったぜ!そんな俺達を見て!」的な映像とは全く異なる。
みんなが知らない世界の日常を私達に伝える為に、命がけで南アフリカの町で音を奏でたFUNKIST。 言葉の通じない町で、魂で奏でた音で、肌の色も、言葉の違いも関係なくひとつになれた瞬間の喜びは、ほんとは彼らにしかわからない。 でも、映像で少しだけ伝わったよ。 ありがとう。
第一部のDVD上映会が終わり、第二部のライブタイムの準備でお客さんはいったん外へ。 その間、親分じゅんこさんとシンガーたかしとマネージャーちえちゃんの御一行様はコマ劇場前でおやつタイム。
その時、「大至急連絡ください」のメールが。 悲しいお知らせでした。
なんともやりきれない気持ちのままMARZに戻り、第二部のライブタイムを見ていた。 ステージと客席が一体化したエネルギー溢れる会場で、私はその仲間に入ることができず、会場の隅でたたずんでいた。 命がはじける会場、みんなのいい笑顔、それはそれはもう、見ているだけでこっちも笑顔になるくらい良いライブ。
きっと気づかないうちに私は顔を伏せてしまっていたんだろうね、ライブ中、主催者のCHO-1さんに「じゅんこさん! 楽しんでる?」と声をかけられた。
ああ、暗い顔してちゃイカンと思いながらも、心中複雑で、またFUNKISTの歌で泣かされた。
この日のイベントは、上映会あり、ミニストーリーあり、ライブありで、みんなたくさん泣いたし、たくさんの笑顔になった日だった。
んで、やっぱり朝まで打ち上がって、朝4時半頃にお開きで、新宿駅までたかしとマネージャーちえちゃんをお見送りしてバイバイ。
その後じゅんこさんは、お天気もよかったし空を見たくなったので四谷までぷらぷらと歩いた。
この道にはたくさんの思い出が詰まっていて、いい事も悪い事もいっぱいあったなあ。 何年たっても変わらない建物や公園を通り過ぎるたび、少しだけ思い出してしまうんだけど、ただ無心に歩いてた27日・日曜日・朝の5時。
このままこの街にいたい衝動にかられながら、予定通りお昼のヒコーキで札幌に戻らなくちゃ、と現実に戻る。
27日(日)は、知人の追悼ライブのお手伝い。
長くなるからこの話はまた後でね。
手を伸ばせば届いてた微笑みはせつなくて
目を閉じれば夢の中へ消えていく君を
もう一度抱きたくて
あの時、あの場所で出会ったことを忘れないから・・・・
アルバム〔MARS〕より By G
2007年05月16日(水) |
ほんとは「黒」は嫌いなの |
ほんとうは黒い服があまり好きじゃない。
仕事の時は裏方として黒い服装が多いのだけど、プライベートで黒い服は好んで着ない。
私にとって「黒」は、身を隠す色。
本音を隠し、相手にスキを見せない色。
・・・・・・・そして、悲しみを表す色。
仕事モードの時に着る黒い服は「戦闘服」「モビルスーツ」と呼び、現場と言う荒波の中で自分の存在を隠す。
ものごころついた年齢の頃から学校の制服以外は黒い服って持ってなかった。
結婚した時に嫁入り道具のひとつで黒の礼服をしつらえた。
それ以外は黒い服って持ってなかったのに、いつのまにかタンスの中は黒い服が多くなっていた。
どーもいかん。 気持ちがしっくりこない。 「黒」は私のイメージじゃない。
みんなも好きな色ってあると思うんだけど、私も好きな色があって自分のテーマカラーにもなってるんだ。
白 赤 黄 青 (黄+青で生まれる緑色もね)
これが私の好きな色で、洋服はもちろん、持ち歩くモノや部屋の中にこの色がちょびっとずつ配置されてる。
あ、風水とかカラーコーディネイションとか、そーゆーのに興味はないんだ。
自分にとって自然で、なんとなくまわりにあると落ち着いて元気がでる色たち。
さいきん、友人のオカマの陰謀でピンクの服を着させられる事もあるけど(笑)
原色が好きだね。
ちっちゃい頃からセサミストリートやアメリカンコミックスばかり見てたからその影響は大きいと思うな。
でもなぜかお部屋はシックで黒が多いインテリアだったりするのがこれまた不思議。
冬はフローリングの床に真っ黒の大きなラグ敷いてるしね。 テレビやステレオが黒いからどうしてもそれに合わせた配色になっちゃうのかな。
最近は部屋の照明をブルーにしたよ。
間接照明の電球をすべてブルーに入れ替えて、まるで海の中にいるような色合い。
そしてTV画面は「ディープブルー」のDVDがエンドレスで流れて・・・・。 音はルナシーのアルバム〔STYLE〕なんだけど(笑) 「せめて 抱きしめて 想いが届いたなら 目覚めるのさ 扉を開けて 響け いつまでも 寂しさを貫いて 胸を焦がし続けていて・・・」から始まるやつね。
実は、4月の下旬から私のまわりで悲しい出来事が続いて、あまりの悲しさとやりきれなさに崩れてしまいそうだった。
でも日常はハードに動いていて、泣いてる暇もないし泣かせてくれる胸もなく、つい弱音を吐いてしまった私にすぐに反応してくれて、そんな時にくれたメールがとても優しくて、そのさりげない言葉で私は自分自身を保つ事ができていた。
そしてまた、タイミングよく「ケーキ食べに行こう」と誘ってくれた友人もいて、甘いモノと楽しいおしゃべりと、ぶらぶら歩きながら見た山や木に咲く花が私の心を落ち着かせてくれた。
しばらく黒い服は着たくないけど、本音を隠してくれる「黒」に時々助けられたりもするから、今はそれに甘えていようかな。
そーいえば、うちのフットサルチーム「萌えレンジャー」って、グリーンだけいなくない?
萌えレッド隊長 じゅんこさん(ゼネラルマネージャー) 萌えブルー りっちゃん(芸能プロダクションの人) 萌えピンク えもと(じゅんこさんの弟子兼マネージャー) 萌えイエロー たこやき(こんがりタケシともいう) 萌えブラック だいすけ(この「黒」は大好き) 萌えレインボー 某アイドル(J事務所だからマル秘) 萌えパープル シンディ(新人・コンサドーレユースあがり) 番外・萌えぐんじょう色(黄土色だっけか?) Caffeine店長
やっぱグリーンいないわ。 誰か、「萌えグリーン」になって私達と一緒にサッカーせえへん?
ここには画像アップしてないけどミクシーでは時々画像アップしてます。 今回は、私が毎日コーヒー片手にぶらぶら通る場所の写真。 緑の芝生と白い白樺が綺麗だったよ。 いつかこんな場所で写真を撮りたいわ。
酒が入れば 秘密が出てゆく
こんな事をブログに書いた友人がいる。
すまんのう、本人の承諾なしに載せちゃったよ。 今度ウォッカ奢るからそれで許して。 あ、そーだ、ドライブ行こうドライブ! 太平洋に行きたい。 ドライブ連れてって! ・ ・ ・ このパターンで私はいつも自分の行為を棚に上げる癖があるみたい。
さて、上記の言葉は最近のじゅんこさんにピッタシで困っちゃう。
今夜、仕事で札幌に来てる友人・・・んん〜同業者にしとこっか、まあ、そーゆー人にバッタリ会った。
札幌に来るって話は噂で聞いてたけどさ、偶然に会ったわりには
「いよっ! じゅんちゃんっ!」 って。
あれは確信犯でしょ、実は私に会いに来たんでしょ(笑)
久々の札幌で、子守りの仕事も終えてぺろんぺろんに酔ってた彼は交差点で
「あのねーこの人ねー昔ねー・・・!!!」
と叫び出したので急いでタックルして息の根止めといた(笑)
私の10代の頃を知る彼らは何を口走るか危なくってしょうがない。
酔っ払いは困ったちゃんだわね。
なーんて言ってる自分も酔ったら自分で自爆するような出来事をポロポロ言ってるんだよね。
いちばんの地雷は私自身だわ〜いやん。
しかも、「うちのTJ、昔アイドルだったんだよ!」と得意げに言うROSETTAのいちばんのろくでなしDr.りょうもいる。
『てめー、ぺらぺら言うんじゃねえって言ってんだろーが!』と私が言っても「いーじゃん、おもしろいから!」と、ネタにしやがる。
アホな子ねえ、私が若い頃になんちゃってアイドルやっててファンクラブまであったのにプチスキャンダル起こして家出して北海道に逃げてきたなんて・・・
そんな話を信じる人おりまへん、て。(笑)
あ、今日、そのろくでなし野郎のライブやおまへんか〜。
ばったり会ってタックルしといた友人、あ、違った、同業者も今夜と明日お仕事やおまへんか〜。
お互いに子守仕事で大変やね。 今度ゆっくり飲み語りましょうなあ。
もうすぐ、うん、もうすぐ、いつでも会える環境を作りますさかい、よろしゅうたのんまっさ。
5/12 am3:30頃筆記
2007年05月08日(火) |
agent-Gからお知らせ |
この度、当マネジメントオフィス 【unique style agent-G〔ユニークスタイル・エージェントG〕】(以下 agent-G) は Singer【たかし】のマネジメント業務を再開いたします。
2004年3月当事のagent-G設立メンバーでもあり、同じ意志をもつ者として【たかし】の今後の活動をバックアップしていき、彼の純粋な心の歌を皆様にお伝えしていければと考えています。
札幌出身の【たかし】は現在東京在住で、歌と共にライフワークとなるプロジェクトに向けて行動しています。
私が最も信頼するスタッフが東京駐在のマネージャーとして【たかし】と活動しておりますので、スタッフともども今後のご支援をいただけたら嬉しく思います。
アーティストも担当マネージャーもまだ未熟ではありますが、どこかで見かけたら遠慮なく声をかけてやってください。
皆様の声が、彼らの原動力となり、生きるチカラになります。
いつもどこかの街角で彼は歌っていると思います。
その歌声が、メッセージが、皆様の心に届くようなアーティストに育てていきます。
どうか温かい目で見守っていてください。
そしてもし、共感できたなら、是非アクション起こしてください。
その小さな1歩が、いつの日か大きな喜びとなりますように。
agent-G は、失いかけた感情を呼び覚ますお手伝いを音楽を通じて提供していきます。
今後ともご支援とご協力を、なにとぞ宜しくお願いいたします。
unique style agent-G 代表 高橋純子
たかし プロフィール
1983.9.8生まれ 札幌市出身 元Riphias(リフィアス)のベーシスト バンド解散後はシンガーとして東京を中心にソロ活動中。
たかし ブログ http://plaza.rakuten.co.jp/supercthouse/
2002年3月、初めてステージを見た。
翌月、モデルとしてのTV出演を依頼した。
そこから私達のすべてが始まった。
いや、正確にはもっとずっと前、まだ幼い君が体育館でボールを追っていた時から。
初めての恋に傷ついていた頃、靭帯を傷めて松葉杖をついていた時、突然坊主頭にした時・・・・・
いやんなっちゃうくらい全部覚えてるよ。
初めて連れて行った夏の野外イベントで、何かを確信した君が言った。
「僕が今何を考えてるかわかる?」
きっと必死に涙をこらえていたのだろう、顔を上げたまま遠くを見ていたね。
道に迷っていた幼い少年は年月と共に大人になり、自分で道を創れるようになった。
そして今、合流地点まで君は歩いてきた。
合流地点にくる途中には、濁流の川もあっただろう、足場のない崖を上れず途方にくれた事もあっただろう。
傷を負い、泥だらけになりながらも笑顔を絶やさなかった君は少しだけ頼もしく見えたよ。
「ゆるぎない確信」と「必然の存在」が私達の心の支えだった。
さて、そろそろすべてのドアを開けようか。
ドアの向こうには、君達を待つ人々の無邪気な笑顔と愛があふれているでしょう。
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