木の芽通り
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エスプリとはユーモアが劣者の位置に身をおくのとは違って、自分を 批判する対象よりも高い地点において上からスパッと相手を裁断するこ とである。人を刺すような言葉、相手の弱点を貫く警句は既にそれを言 う者が相手より高い場所にいてこそできるのである。 ユーモアは全くこれとは反対だ。自分を劣者におくのがユーモアなの である。 「ぐうたら漫談集」 遠藤周作 『愛と人生をめぐる断想』
と、これをずっと前から取り上げようと思ったのに、 エスプリとクールに目を付けた方がいた。 してやられる。 とは言え、決して自虐はユーモアではない。
今更ながら蕉翁の言葉には、納得。 「する」のは飽きる。 これを盆栽に例えたのは…
‐‐あとで更新‐‐
イザナギは「みそぎ」をする。そして 左眼を洗うときに太陽神−アマテラス、 右眼を洗うときに月神 −ツクヨミ、 鼻を洗うときにスサノヲ を生む。
この左眼・右眼・鼻、なにか意味があるのだろうか、という疑問は 「万葉集」に「虹」が何故読まれなかったか、ことと一緒に、 もう何十年も私の頭から、離れてくれないのである。
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