木の芽通り
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2003年01月15日(水) 0112新年大会

奇しくも、同じような時期に
信頼する先輩が似たようなことを書き始められたが、
これは、去年から考えていたことなので、
やはり始めることにします。
先輩が嫌な思いをなさらなければ、いいですが。
ごめんなさい。真似っ子です・…・

さて、先日の新年会の感想を。

清記の間違いの多さには辟易。
人選も監督するほうも大変であるのはわかっているので、
ここの場だけで愚痴る。

沈思黙考水餠には負ける M
 最高点句。私は選に入れなかった。
 既に、パターン化された付け合わせ方法とみたからだ。
 尊敬する先輩の作とわかって、御本人にすかさず、ぶ〜っと。
 (ごめんなさい。って謝ってばかり。)
 こういう型の場合、「水餠」に主を置くことで諧謔が得られる。
 「には負ける」という断定方法は、作者を聞いて納得。
 
梯子から御慶の降つてきたりけり  A
 これもパターン化されてきているが、
 この省略、読み手がどこまで、想像してくれるか。
 他結社では、ちときついかと思う。
 1度は成功させてみたい型である。

真悲しやかんじき用の足に生れ M
 会員では私しか採らなかった。先生は準特。
 上五を万葉語にする必要があるのか。
 「悲し」と言ってしまっては、との2点の疑問はあったが、
  やはりどこか命に触れる部分があったのでいただいた。
 ただ、命に触れるからこそ、上五は惜しい気がする。
 また万葉語にすることで、その土地に生まれた宿命、あるいは
 地霊、ということまで考えさせるような狙いが
 詠み手側にあるのかどうか。
 
 作者を聞いて、ここまで言い切ってしまうのがこの作者だと思った。
 それでも、この作者の血が句に注ぎ込まれていると思う。
 
さて主宰作品。
 
執するを鬼と呼びたる雪こんこ
 これは、附きすぎだろうなあ。
 それに「執する」=「鬼」はちょっと当たり前のような。
 このような12・5或は5・12が一番作りやすい型だが、
 季語以外の12文字だけで、既に詩として成り立たなくては、
 と先師に教わった。
 季語は添え物になってしまうが、だからこそ、離す必要があるのだが。
 難しいんだ、これが。

宝引のやうな佳什を抽き當てし
 私だけがいただいた。
 「やうな」が効いているかは疑問。
 作者の気持ちが充分伝わってきたので採ったが、主宰とは。


と、言いたい放題。
で自分は?
相変わらず、感覚だけで作って、全没。
納得である。




 


2002年11月20日(水)


最近読んだ本っていえば、
 文庫本になった…… 「理由」
私の強運を象徴するような「生と死の歳時記」はまだ買ってもいない。
実感から遠いところにある。
 


2002年08月30日(金) こりゃだめだ。

  

   愛とはまず意思であり忍耐であり努力です。
          「恋することと愛すること」
                    遠藤周作『愛と人生をめぐる断想』
               


一番苦手な熟語を3つも並べられると、とっても自分とは縁のないものと思う。


微香 |HomePage

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