木の芽通り
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奇しくも、同じような時期に 信頼する先輩が似たようなことを書き始められたが、 これは、去年から考えていたことなので、 やはり始めることにします。 先輩が嫌な思いをなさらなければ、いいですが。 ごめんなさい。真似っ子です・…・
さて、先日の新年会の感想を。
清記の間違いの多さには辟易。 人選も監督するほうも大変であるのはわかっているので、 ここの場だけで愚痴る。
沈思黙考水餠には負ける M 最高点句。私は選に入れなかった。 既に、パターン化された付け合わせ方法とみたからだ。 尊敬する先輩の作とわかって、御本人にすかさず、ぶ〜っと。 (ごめんなさい。って謝ってばかり。) こういう型の場合、「水餠」に主を置くことで諧謔が得られる。 「には負ける」という断定方法は、作者を聞いて納得。 梯子から御慶の降つてきたりけり A これもパターン化されてきているが、 この省略、読み手がどこまで、想像してくれるか。 他結社では、ちときついかと思う。 1度は成功させてみたい型である。
真悲しやかんじき用の足に生れ M 会員では私しか採らなかった。先生は準特。 上五を万葉語にする必要があるのか。 「悲し」と言ってしまっては、との2点の疑問はあったが、 やはりどこか命に触れる部分があったのでいただいた。 ただ、命に触れるからこそ、上五は惜しい気がする。 また万葉語にすることで、その土地に生まれた宿命、あるいは 地霊、ということまで考えさせるような狙いが 詠み手側にあるのかどうか。 作者を聞いて、ここまで言い切ってしまうのがこの作者だと思った。 それでも、この作者の血が句に注ぎ込まれていると思う。 さて主宰作品。 執するを鬼と呼びたる雪こんこ これは、附きすぎだろうなあ。 それに「執する」=「鬼」はちょっと当たり前のような。 このような12・5或は5・12が一番作りやすい型だが、 季語以外の12文字だけで、既に詩として成り立たなくては、 と先師に教わった。 季語は添え物になってしまうが、だからこそ、離す必要があるのだが。 難しいんだ、これが。
宝引のやうな佳什を抽き當てし 私だけがいただいた。 「やうな」が効いているかは疑問。 作者の気持ちが充分伝わってきたので採ったが、主宰とは。
と、言いたい放題。 で自分は? 相変わらず、感覚だけで作って、全没。 納得である。
最近読んだ本っていえば、 文庫本になった…… 「理由」 私の強運を象徴するような「生と死の歳時記」はまだ買ってもいない。 実感から遠いところにある。
愛とはまず意思であり忍耐であり努力です。 「恋することと愛すること」 遠藤周作『愛と人生をめぐる断想』
一番苦手な熟語を3つも並べられると、とっても自分とは縁のないものと思う。
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