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■ ソウルメイト
それは例えば旅先であったり、学生時代の他愛も無い日常であったり、命がけで企画したプロジェクトを遂行したときであったり、 誰かが死んだときであったり、自分が死にそうになったときであったり、様々な場面が考えられるのだけれど。
ある一時期にものすごく濃厚に人と関わり合うことがある。 もうそこに他人の入る隙は無くて、時間も空間も何もかも自分達のためだけにあるような感じ。 多分そんな出会いをして共にそんな時を過ごして、別れの予感もなかったとしたら、きっと「この人は私のソウルメイトだわ」とうっとり思うだろう。異性同性問わず。
だけど、そんな関わりあい方をするとかなりの確立で「別れ」があるように思う。経験上。 活き活きとした興奮状態でありながらどこかで「ここで別れたらもう二度と会うことはないだろうな」と醒めてみている、というか、解ってるような諦めているような気持ちがちゃんとあるのだ。不思議なことに。
そのくせ、私はもうずっとそういう「解っている気持ち」を見ない振りしてやってきた。 そんなことしても容赦なく離れてしまうものは離れてしまうのに、別れることに弱っちな私は“そういうこともあるのだ”と思うことができなかった。認めてしまえば楽なのに。
それが最近結構自然に受け入れられるようにやっとなってきた気がする。 どうしてだか、もう会えない人たち。たとえあってもあの時のような関係は築けないのも解っている人たちを私の日常から切り離す。
そう考えると、今わたしが営んでいる日常に、すでに決まっていたかのように当たり前のように居る人こそがソウルメイトなのかもしれない。 他愛の無い話しかしなくても何年もの歳月変わらず笑いあえる人とかね。
生きていく流れの途中でちょとっとぶつかる石みたいに、揺らいで刺激されて目が醒める。これこそが本来あるべき姿だと思い込む。 だけどしばらくするとまたいつもの流れに戻り先に進んでゆくのだ。
「あの石にぶつかることはもうないんだなぁ」と切なく思ったりしながら。
2005年01月09日(日)
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