|
|
■■■
■■
■ 総括ですよ。2006。
みなさまただいまーー!!!! (世間ずれした顔で)
ん…?
……??
_, ._ Σ( ゚ Д゚) えっ。 ( つ旦O と_)_)
_, ._ ( ゚ Д゚) ( つ O 今日は何日って? と_)_) __ (__()、;.o:。 ゚*・:.。
_, ._ (((;゚ Д゚))) ガクガクブルブル ((( つ O)) ((と_)_)))
あっ。
(つД⊂)
(現実逃避)
そんな大晦日。 気づけば一ヶ月ぶりの日報でした。
どうも、みなさまご機嫌麗しゅう。(久々)
◆
そんなあまりの温かさにまだ年末感が薄いですよね。
紅白も勢いが無いし、レコ大は30日だし。 PRIDEは「続きはWEBで!」って感じだし。
来年はもっと日本として盛り上がって欲しいですよね。
そうだ!勢いだ! 勢いが重要なんだ!!!
わっしょい!
さぁ、今年もいってみよう! 寺本の、行く年来る年2006!
(もはや勢いのみ)
◆
まずは1月。
寺本両人、厄年だったのですね。 ほんだくんは、厄払いに行こうとするも、 通行止めでいけず という幕開け。
泣ける!
そんな中。 日報で寺田は予言します。 「牛丼復活」
しましたねー。
これはナイスですね。
復活してからというもの。 早くもがっついている寺田君の目撃談が数件。
しかし、秋に卒業するという予言が当たることは無かったのです。
変わりに、ほんだの予言。 「寺本共に卒業」
これがあたると言うのだから、人生って楽しいですね。 (ニヤリ)
2月。
ほんだの厄年加速。
○携帯急に壊れた。 ○去年作った、卒研ポスターが無くなった。 ○研究室PCの調子が急に悪くなった。 ○出せたはずの学会資料が出せてなかった。 ○原付が撤去された。
世の中は、イナバウアーでした。
3月。
寺田の厄年も発進。
ぎっくり腰、大爆発。
まぁしかし相変わらずののろけ日報に、 ほんだも骨抜きになるのでした。
そんなほんだは。 就職活動さえ満足にできない(しない)日々。 一年後の姿が想像もできませんでした。
4月。
ほんだ君の就活。 奇跡の2社エントリー。
そして2社ともご縁がありませんでした。
ほんだくんの未来は 博士 白紙に。 あぶないあぶない。
寺田君は、余裕の沖縄旅行with嫁さん。
ほんだくんは必死に引きこもりを図りました。 「この頃のほんだ日報は目を背けたくなるほど、ひどい。」 (有力情報筋の証言)
5月。
寺田君、24歳へ。
ほんだ君の厄年、さらに加速。
○就活、全滅。 ○研究室においてあるマグカップが無くなった。 ○またiPodのイヤホンが右だけ壊れた。 (3回目。4つ目に買い替え。) ○7月の国際学会の事前登録、締切の翌日に気づく。 ○消えたマグカップが誰かの使用済み状態で出てきた。 (誰!?せめて洗ってから返して!)
そして。
○助教授から「6月は研究頑張りましょうね」の一言。 (不敵な笑みで。。。就活は!?俺の就活は!!??)
まぁ学会会場であんなことをするんですから、 仕方がないのかもしれませんね。
6月。
寺田が凸版印刷受かりかけます。 (その後、ちゃっかり内定Get。)
そういえば。 このページがどこかのページに似てるなんてのも。
W杯が世間を湧き起こす頃、 寺本はダメ学生のA代表として駆け回っていました。
7月。
24歳になったほんだ君はあちこちに飛びました。
まずは最高学府東京大学に侵入。 現地更新をしてみるという暴挙にでます。
そしてその足で、異文化コミュニケーション@北京。 寺本写真館もついに世界進出です。
ちなみに、いまでも北京の学生さんと、 たまに連絡を取っております。 (電話がかかってきたときは、素でびびった。)
ほんだ厄年は更に加速度を増します。
○参加予定の天文学会@9月北九州、 提出物提出期限日(6月末)に 「やっぱりいいんじゃない?」 という助教授の一言で、参加自体がチャラに。 (いままでの準備もチャラ)
○はやぶさシンポジウム@東大には、締め切り当日に 「出て見たら?」 という助教授の一言で、急遽参加決定。 提出物は全部英語、突貫工事、ぶっつけ作業。
○就職活動、また振り出しに。
○秋にある学会で、急遽学会特別賞にノミネート。 助教授の「出して見たら?」 の一言で決定。
8月
世間は青いハンカチが大ブーム。
このあたりから寺本は人生の夏バテになります。
世間も真っ青。 (親族はもっと真っ青)
9月。
牛丼、復活。
これしか言うことはありません。
(ほかに何もやってないだけ)
このあたりから、寺田君は自分の年齢を 「18歳と○ヶ月」 というように。
ピーターパンシンドロームは大加速。
10月。
寺田君は、引きこもり。
本田君はこんなことをして遊んでました。 (遊んでない!)
ほんと、学会関係者には見せれない代物ばかりです。 見ないフリをして!! (>研究室の各位)
11月。
何をしていたのか、もはや覚えていません。
寺田君は妄想力に磨きをかけていました。 あと、これでもかとTSUTAYAに入り浸り。
本田君は修士論文という魔物にうなされていました。 (うなされるだけで、前には進まず)
あと、この月頭には日野自動車さんのご子息誕生を 寺本で全力バックアップを宣言するのでありました。
ほんと、幸せをありがとう。 >日野整骨院様。
そして12月。
寺田君は11月と変わらず、TSUTAYAに入り浸り。 本田君は修論という魔物にK.O.寸前。
厄年の神様は忘れていませんでした。
○iPodのイヤホン(4つ目)やはり右だけ壊れる。 ○修士論文中間発表にて、助教授の一言。 「4回生の発表より、 本田君が何を言うのかの方がドキドキしたわ。」
…おれ、そんなに問題児?
○研究室忘年会でPM5時半から朝まで飲み続け。 →お腹が壊れる。
もはや、ネタとして使うことしか出来ません。 来年厄年の皆さん。
厄落としは早い目に。
そうそう。 本年のイヴイヴには、みんな嫁さん連れて大集合という祭でした。
日野、寺田、豊田。
あれ。 本田さんは?
そう思ったソコのあなた。
正月から、日報読んでるお暇なあなた。
ここまで長く読んでいただいたあなたへ送る。
ほんだくん、彼女できたんです。 (何気にサラリと言い放つ、ヘビーな一言)
7年ぶりの快挙。 寺田は、目がうつろ、口はあんぐり。 5秒くらい現実が受け止められないような状態でした。
俺、なんか悪いことしたかなぁ?
まぁ厄年でしたが、このくらいは許してくださいな。 そんな2006年でしたとさ。
(どんなまとめだ)
◆
そんなこんなで2006年も暮れ行きます。 皆様にとって2006年はどんな年だったのでしょうか。
そして2007年はどんな年になるのでしょうか。
寺本は18年続いた学生生活に別れを告げ(予定) 寺田:凸版印刷 本田:枚方市役所 と、社会の荒波にもまれるのです!(予定)
予定は未定!(名言)
我らが寺本写真館ですが。 来年で何年目ですかね。(ド忘れ)
5年目ですね。(カンニングしました。)
何しか、余裕が出てきたら、 どんどん更新していこうと思っております!
2007年。 みなさまには、幸多き一年になるように。 輝かしい瞬きより、穏やかな幸せを願う今日このごろです。
寺本には幸と同等、またネタ多き一年であるように。 寺田夫妻にはご多幸と実りを。
ついでに本田には、更なるネタとささやかな幸せを。
一昨年、去年も申しましたが、
みなさんあっての寺本写真館、 いや、 Unit寺本だとおもっております。
来年も、どうぞよろしくーー!!!!
寺本 (年忘れ代表ほんだ)
2006年12月31日(日)
|
|
|