どうすればよかったのだろうかと、いつも後になってから考えるけれど、それは無駄なことなのかもしれない。結局次の機会を経てもまた同じことをわたしはおもうだろうから。それ以前に、わたしが「そうした」ということは事実として確然とそこに在って、もはやどうしようもないの、だ。それでも延々と考えてしまうのはそれがわたしにとって重要なことだからだろう。
あたらしい月になると同時にあたらしい心持ちになるのは何故だろうな。いろいろなものがおわって、またはじまってゆく。
そしてまたいい損ねた、最早いまさらなかんじだがそれでもちゃんとなんとかしなきゃいけないとはおもってるんだごめんよ。相当駄目だな俺。
ようやっと最後のけりが、ついた。踏ん切りがあまりにもつかなくて、とてもゆっくりと、段階をふんで殺していった。若しかすると未だ息の根はとまっていないのかもしれないけれど、少なくとももう彼処に戻る気はまったく無いし、戻れもしない。
これからは、眼前に広がる風景だけを視て、風を感じていればいい。